第29話『増えていく家族』
第29話『増えていく家族』
エリスの腕の中から屋敷を眺めていた頃から、数年が過ぎた。
クロードは4歳になり、今では自分の足で庭を歩き、気になる石を拾って帰れるようになっていた。
まだ知らない文字は多いが、本を開いてはエリスに読み方を尋ね、覚えたことを書き留める。
金属の取っ手に触れただけで喜んでいた頃とは、できることがずいぶん違う。
それでも、分からないものを見つける楽しさは変わらなかった。
そんなある日、エリスに部屋へ呼ばれた。
「クロード、あなたにお話があるの」
「なに、母さま?」
「もう少ししたら、あなたはお兄ちゃんになるのよ」
クロードは思わず母の顔を見つめた。
兄なら3人いる。
けれど、自分が誰かの兄になることは考えたことがなかった。
エリスがお腹に手を添える。
「赤ちゃんがいるの?」
「ええ。まだ小さいけれどね」
「男の子? 女の子?」
「それは、生まれてからのお楽しみね」
(ぼくに、弟か妹ができるのか)
驚きが落ち着くと、聞きたいことが次々に浮かんできた。
いつ生まれるのか、今どのくらい大きいのか、声は聞こえるのか。
エリスは笑いながら答えてくれたが、やがてクロードの額をそっと撫でた。
「続きはまた今度ね」
「うん。楽しみにしてる」
◇
それから月日が流れ、エリスのお腹は目に見えて大きくなった。
クロードは母が落とした布を拾ったり、頼まれたものを運んだりした。
いつものように石を調べていても、ときどき母の様子が気になる。
そしてある朝、屋敷の廊下を行き交う人の足が慌ただしくなった。
エリスの部屋には入れず、クロードはアルトと一緒に外で待つことになった。
少し離れたところにガルディオもいる。
父は椅子に座ったかと思うと立ち上がり、廊下の先まで歩いて戻ってきた。
「父さま、座らないの?」
「……ああ」
そう答えたのに、しばらくするとまた立ち上がる。
アルトがクロードへ小さく肩をすくめて見せた。
普段は落ち着いている父も、今日はじっとしていられないらしい。
クロードも何度となく扉を見た。
早く赤ちゃんに会いたい。
けれど、それ以上に母が心配だった。
やがて扉の向こうから、小さくもはっきりした泣き声が響いた。
ガルディオが足を止める。
アルトも顔を上げた。
間もなく、女の子が無事に生まれたと知らされた。
「エリスは?」
「奥様もご無事です」
ガルディオが深く息を吐いた。
クロードもようやく胸のつかえが取れた気がした。
◇
少しして、クロードは母の部屋へ入れてもらった。
エリスは疲れた顔をしていたが、こちらを見て微笑んだ。
「母さま、大丈夫?」
「ええ。ありがとう、クロード」
その声を聞いてから、クロードは母の腕の中を覗いた。
小さな赤ちゃんが目を閉じて眠っている。
淡い金色の髪が、頭にほんの少しだけ生えていた。
「この子が……?」
「ええ。あなたの妹よ。名前はイリア」
「イリア……」
クロードはそっと近づき、エリスの顔を見た。
「触ってもいい?」
「ええ。優しくね」
差し出した指に、小さな手が触れた。
次の瞬間、その指がきゅっと握られる。
思わず動きを止めた。
あの頃は自分も、誰かの指を握ることしかできなかった。
今はこんなに小さな手を見つめている。
「ぼく、クロードだよ」
眠っている妹は答えない。
それでも、クロードは笑って続けた。
「お兄ちゃんだよ。よろしくね、イリア」
いつか一緒に庭を歩こう。
石を見つけたら、何が面白いのか教えてあげよう。
そのとき妹が別のものを好きになっていても、きっと楽しい。
クロードは握られた指をそのままに、まだ見ぬ妹との毎日を思い描いていた。




