086⚫️もし全人類が、あるひとつの宗教の信者になったら
「世界線をこえて」のシリーズは全て架空のものです。あなたの世界線の事実とは関係がありません。いつも「あとがき」で述べているように、です。
うぇえ!何よ、この分量!
ミサちゃん、これが大学の課題なの?!
読んで自分の考えを述べよって、ひやあ!
ムリ!わたしには無理ぃ〜!
と言いながらも、イヨは3連続の資料に目を通し始めた。
【序論:理想郷への問い】
もし全人類が、ある一つの宗教の完全な信者になったとしたら、この世界はどうなるのだろうか。人類の歴史を血に染めてきた「宗教戦争」はついに終わりを告げ、永遠の平和が訪れるのだろうか。
人類の精神史を形作ってきた三大宗教――仏教、キリスト教、イスラム教。これらがそれぞれ全人類に「完全」に行き渡った世界をシミュレーションすることは、人間の本質、そして「平和とは何か」という問いの核心に迫る試みである。それぞれの世界が持つ決定的な特徴と、その果てに待つ「戦争の結末」について、ここに最終結論を導き出したい。ただし、一連のこれら内容は、ある世界線での思考実験としての試みであり「この架空仮想空間」で、この文章を読んでいるあなたの世界線にあるかもしれない実在の宗教名や人名・国名、その他の名称、固有名詞等と、「偶然」に一致しているかもしれないが、「全く無関係」であることを、大前提として強調しておく。
【一、全人類がブッダ(仏教)となった世界】
〈特徴:静寂なるニルヴァーナと文明の終焉〉
全員が釈迦と同じレベルで完全に悟りを開いた世界は、一言で言えば「絶対的な静寂」である。
仏教における悟りとは、すべての苦しみの原因である「煩悩(執着、怒り、エゴ)」を脳のシステムから完全に消し去った状態を指す。このような人々だけで構成された地球では、他者と自分を比較して羨むことも、自分の利益のために誰かを騙すことも起こらない。
経済活動は生きるための最小限となり、高級品やエンタメ、過剰な便利さを求めるビジネスは消滅する。誰もが「足るを知る(知足)」の境地にあるため、格差や地位によるマウンティングも存在しない。生物としての生存本能や血筋を残す執着すら手放されるため、性欲や結婚への関心は薄れ、人類は穏やかに、そして幸福なまま子孫を残すことをやめ、静かな絶滅(完全なニルヴァーナ)へと向かう。
〈戦争の結末:完全な消滅(一〇〇%の平和)〉
この世界において、戦争は一〇〇%消滅する。戦争を引き起こす根本原因である「領土欲」「富への執着」「プライド(怒り)」そのものが人間の脳から消去されているからである。国家や法律、警察という「枠組み」すら不要になり、人類史上唯一、真の意味での「絶対的平和」が実現する。
【二、全人類がキリスト教徒(特定の一派)となった世界】
〈特徴:神の愛による情熱と、見えない統制社会〉
全人類がキリスト教の特定の一派の完全な信者となった世界は、「神の愛」を原動力とした極めてアクティブな社会となる。
「隣人愛」の精神が地球規模の義務となり、貧しい人を助ける福祉制度や相互扶助のシステムは完璧に機能する。また、労働は神から与えられた神聖な義務(天職)と捉えられるため、人々は熱心に働き、科学技術や社会の発展はさらに加速するだろう。
一方で、聖書の教えが世界共通の絶対的な法律となるため、個人の生き方は厳しく制限される。離婚や堕胎、あるいは神の領域に触れるような科学技術には強力な規制がかかり、道徳的に少しでも「罪」とされる行為は社会的に許されない、息苦しいほどの統制社会という側面も併せ持つ。
〈戦争の結泥:「宗教戦争」の消滅と、「内戦」への変貌〉
国境や宗教の違いを理由とした「大きな戦争」はなくなる。しかし、戦争そのものが消滅することはない。
なぜなら、キリスト教は人間の「不完全さ(原罪)」を前提とした宗教だからである。全人類が同じ一派に属していても、人間の中にエゴや権力欲が残る以上、必ず「聖書の解釈の正しさ」を巡る内輪揉めが起きる。歴史上、キリスト教徒同士が激しく争ったように、組織の主導権を握ろうとする派閥争いや、地球上の限られた資源を奪い合う「内戦」という形で、形を変えた武力衝突が残り続ける。
【三、全人類がイスラム教徒(特定の一派)となった世界】
〈特徴:全地球の完全なる同調と、共同体の誕生〉
全人類がイスラム教の特定の一派の完全な信者となった世界は、「神の法」によって二四時間すべての日常がコントロールされた、驚異的な一体感を持つ社会となる。
毎日五回、地球上の全人類が同じ方向に向かって祈りを捧げ、断食月には全ての人々が飢えと食事を共有する。国家という概念は消滅し、全人類が人種や民族を超えた「ウンマ(一つの巨大な家族)」として統合される。
経済面では「利息」が厳格に禁止され、富裕層から貧困層への「喜捨」がシステム化されるため、資本主義的な格差や飢餓は地球上から一掃される。しかし、法律と道徳が完全に一致するため、神の教えに反する芸術やエンタメ、個人の自由な思想は完全に排除され、システムへの絶対的な服従が求められる超規律社会となる。
戦争の結末:【「国家間戦争」の消滅と、「正統性」を巡るゲリラ戦】
アメリカや中国といった「国家」の壁が消えるため、かつてのような国境線を巡る大規模な戦争はなくなる。しかし、やはり戦いが完全に消えることはない。
イスラム教の歴史が証明しているように、最高指導者の正統性を巡る争いや、「どちらの解釈がより神の意志に忠実か」という過激派と穏健派の対立は、人間のエゴがある限り必ず発生する。また、気候変動などによる水や食料の局所的な不足が起きれば、同じムスリム同士であっても生存をかけた武力衝突、あるいはテロやゲリラ戦という形で争いは継続する。
【結論:戦争を終わらせる不都合な真実】
三つの宗教が全人類を支配したときの世界を比較すると、一つの冷徹な結論に行き着く。
キリスト教とイスラム教の世界では、どれほど全人類の信仰が一つになろうとも、人間が「不完全な生物(煩悩や原罪を持つ存在)」である限り、解釈の違いや資源の奪い合いによる形を変えた争い(内戦やテロ)は決してなくならない。神という絶対的なルールを導入しても、それを運用する人間が天使でないならば、ジェームズ・マディソンが指摘した通り、権力の暴走や衝突は防げないのだ。
戦争を文字通り「一〇〇%完全に終わらせる」ことができるのは、仏教の世界だけである。なぜなら仏教だけが、ルールで人間を縛るのではなく、人間の「エゴ(個)」そのものを消滅させるアプローチを取るからだ。
しかし、エゴや欲望を完全に消し去るということは、人類が「人間らしさ」や「文明の進歩」を捨てることと同義であり、それは緩やかな絶滅への道でもある。
つまり、「人間が人間(不完全な生物)である限り、戦争を完全に無くすことはできない」のであり、「戦争を完全に無くすためには、人間であることをやめ(ブッダになり)、絶滅を受け入れるしかない」というのが、この思考実験が導き出す不都合な真実である。私たちが今、不完全ながらも日々の食事を楽しみ、休日の時間をささやかに楽しんでいる「凡人としての生」は、皮肉にも、争いの種を抱えたこの世界だからこそ、なのである。




