085⚫️交差する文化と考えの差異
久々に「アナク」を聴いた後で
かつて、新聞というメディアが世にあった頃、
「投書欄」と呼ばれる掲載場所が存在した。
「紙」に自分の考えを書き、「封筒」に入れて新聞社へ「郵送」する。
――そんな手間なことをやっていたのか、と驚く営みだ。
そこには、時代がどれほど移り変わろうとも、
決して変わることのない不変の論調が並んでいた。
年代による、理解のすれ違い。
年上の者が若い世代の流行を「自分たちの時代は違った」と嘆けば、
年下は高齢者を「何も分かっちゃいない」と咎める。
地域の違いから生まれる、文化の摩擦もあった。
「都会の人に、この地方の豊かさは分からん」と不満を述べると
「地方の人には、この都会の便利さが許容できんのだ」と声をあげる。
この摩擦は加速度的に熱を帯びていく。
自らの価値観こそが絶対に正しい。 正義は我にある。
こうして分断は深まっていく。
ナントカ世代だとか、所詮は異国の文化だとか、
そうやって互いにラベルを貼り合うのだ。
同じホモ・サピエンスであるというのに、
私たちはどうしても理解し合えない。
古代ピラミッドの建設現場に残された、あの有名な落書きには、
すでに「最近の若いモンときたら……」と書き残されていたのだ。
あるいは、金属器を持つ民族が、
石の文化圏を容赦なく、異物のように征服していった歴史も周知の事実である。
かつての投書欄も、デジタル空間のタイムラインも、
ただその果てしない延長線上にあるに過ぎない。
紙の新聞が消え、「紙面」という言葉さえ古びていく。
さて、私たちはこれから、一体どこへ向かうのだろうか。
……どこへ行くんだろうねえ。




