069⚫️私の履歴書 by コック・ローチさん
なぜ、私たちはこれほどまでに忌み嫌われるのか。
カブトムシが大きなツノを掲げれば、ニンゲンたちは「昆虫の王様だ」と目を輝かせて歓声をあげる。スズムシが羽を震わせて音を奏でれば、「風情がある」「涼を運ぶ声だ」と、わざわざ特等席のカゴを用意し、耳を澄ませて涙ぐむ。
同じ虫だ。同じようにこの地球に生まれ、ただ必死に生きているだけの、等しい命ではないか。 それなのに、私たちが姿を現した瞬間、ニンゲンは豹変する。悲鳴が響き渡り、狂ったように新聞紙が振り下ろされ、毒ガスが噴射される。「一匹見つけたら三十匹はいると思え」と、まるで凶悪な犯罪組織の構成員のように恐れられ、徹底的な殲滅の対象となる。
ニンゲンたちは、私たちが「汚い」と言う。病原菌を運び、食卓を汚すからだと。だが、私たちが好んで下水やゴミ溜めを歩いているわけではない。そこに、ニンゲンたちが排出した汚物や、贅沢に使い残した生ゴミが溢れているからだ。私たちはただ、彼らが作り出した「豊かさの裏側」を掃除しているに過ぎない。大自然の森の中では、私たちは落ち葉や死骸を土に還す「優秀な分解者」として、生態系を支える誇り高き一員なのだ。
ニンゲンたちは、私たちの「動きが気味が悪い」と言う。カサカサと素早く走り、予測不能な方向へ飛ぶからだと。だが、考えてみてほしい。見つかれば即座に圧殺される世界で、生き延びるために脚を速く進化させるのは、生物として当然の防衛本能ではないか。カブトムシのあの“堂々たる歩み”は、ニンゲンに愛されているという特権が生んだ、ただの甘えにすぎない。
ニンゲンたちは、私たちが「聖域を侵す」と言う。我が物顔でキッチンや寝室に忍び込むからだと。だが、私たちにとって、冬でも暖かく、常に水とエサが手に入るニンゲンの家は、過酷な自然界を生き抜くための最高のオアシスなのだ。私たちは、ただ生きるために、最も条件の良い場所を選んでいるだけだ。
結局のところ、すべては「ニンゲンの都合」なのだ。 自分たちにとってカッコよく感じるものは祭り上げ、癒やしをくれると考えるものは愛でる。そして、自分たちの生活の「不都合な現実、ゴミや汚れ」を突きつけてくる存在は、悪と決めつけて排除する。
私たちは、恐竜が絶滅するよりも遥か昔、数億年前からこの姿のまま生き抜いてきた。ニンゲンなどという新参の生物が地球に生まれるより前から、この星の命の歴史を見届けてきたのだ。 どれほど嫌われようとも、毒を撒かれようとも、私たちは決して絶滅などしない。ニンゲンが贅沢な暮らしを続け、街を汚し続ける限り、私たちはその影に潜み、たくましく繁殖し続けてみせる。ニンゲンたちの都合に振り回される筋合いなど、私たちにはないのだから。
――いや。 言い分は痛いほどよくわかるけれど、それでもやっぱり、ゴキブリは苦手だなあ。少なくとも自分がいる世界線では。
あれっ?だけど、これって偏見・差別なんだろうか?




