062⚫️あの男ならば
「ベルスさ〜ん!ベルス・エルド・サリオンさ〜ん!お薬できましたよお〜!」
ベルスはハッと我に返り、席から立ち上がった。
待合室には、かすかに消毒液の香りが漂っている。
かつてレグナス王を街道で待ち伏せし、
その命を奪おうとした男が、
今は王国が整備した診療所で診察を終え、大人しく調剤を待っていたのだ。
「あら、ごめんなさいね。眠っておられました?」
若い薬剤師は、屈託のない笑みを向けた。
「あ、いや……すみません、何度も呼ばせてしまいましたか。」
「ふふ、いいえ。二度しかお呼びしていませんから、だいじょうぶですよ。」
ベルスは薬の袋を受け取り、小さく礼を言って屋外へ出た。
あの凄まじい、黒い疫病の嵐は去った。
仲間の中にも、あっけなく命を落とした者がいた。
主君の仇を前にしながら王を討てず、
無様に逃げ出した――その報いが下ったのだと、最初は天を呪った。
だが、高熱に伏せた彼と家族の命を救ったのは、
他ならぬ王の命を受けてやってきた救護隊だった。
もし、あの時、レグナスを誅していたら……。
命を拾った負い目だけではない。
もしあの王がいなければ、
感染を恐れず動くこれほどの救援体制など存在しなかった。
どれほど多くの命が、暗黒の底に沈んでいたことか。
想像するだけで、身震いがし、心が凍りついた。
ヒトは変わるのか。
いや、変わったのはレグナスだけではない。
自分自身もそうだ。
遺恨のため、あるいは新たな何かを守るため、ヒトはヒトと争う。
だが、本当にそんなことをしている場合なのだろうか。
大地が揺れ、津波が押し寄せ、伝説の暴海竜までもが姿を現した。
この小舟のように脆い世界で、我々はいつまでいがみ合い、
罵り合い、傷つけ合うのか。
その足元で、大いなる脅威が牙を剥いているというのに。
我らは小異を捨てて、大同につかなければならん。
――だが、その理を成すのは、その言葉ほど容易ではない。
自分一人の胸中でさえ、まだ答えは地についていないのだ。
どうしたらいい。自分は、どこへ向かえばいい?
その時、ふっと脳裏に浮かんだ顔があった。
バルハイン――。
そうだ、あの男ならば、この混迷の行く先を見据えているかもしれない。
ベルスは体力の回復を待つと、すぐさま荷物をまとめ、
バルハインの足跡を追う旅に出た。
見上げた空の彼方、一羽の鳥が、迷いのない軌跡を描いて飛んでいくのが見えた。




