裏側
周りの視線は変わらない。
それでも、現実は少しずつ動き始めています。
※全体的に集積しました。
視線が、痛い。
廊下を歩くだけで、周囲の空気がさざなみのようにざわつく。
「……あいつだよ」「マジで? よく顔出せるな」
小声のつもりなんだろうが、針のように鋭く耳に届く。
聞こえていても、何も言わない。
この一ヶ月で、言葉がいかに無力かを知りすぎた。
説明すれば「言い訳」と言われ、黙れば「肯定」とされる。なら、無駄な熱を使う必要はない。
講義室に入ると、一瞬だけ全ての視線が集まり、そして――
スッ、と、俺の周囲からだけ「人」という存在が消えた。
隣の席は空いたまま。まるで、俺だけが別の次元に隔離されたみたいに。
静かに席に着き、ノートを開く。ペンを走らせる。
周りの視線も、吐き気を催すような空気も、全てノイズとして処理した。
(……別にいい)
どう思われようと関係ない。
俺には、あいつらが一生かかっても辿り着けない「出口」が見えているんだ。
講義が終わると、誰とも目を合わせず、喧騒を避けて校舎裏のベンチへ向かった。
ポケットからスマホを取り出す。
通知が一つ。見慣れない企業名。いや――俺が密かに、誰にも言わず狙い続けてきた国内トップ企業の名前だ。
画面を開く。
『内定のご連絡』
短い文面。それだけで、俺のこれまでの「我慢」が全て報われた気がした。
深く、長く、溜まった泥を吐き出すように息をつく。
誰も知らない。俺がこの一ヶ月、罵詈雑言を浴びながら、夜通しでどれだけの準備をしてきたか。
投資で培った先読みの力と、地獄で研ぎ澄まされた集中力。
スマホを閉じ、静寂の中に身を浸す。
今はまだ、これでいい。
――その頃、食堂のテラス席では、陽気な笑い声が弾けていた。
「やっべ、単位足りねえかも! 隆二、貸してくれよ」
「マジかよ、お前。まあ、なんとかなるっしょ。俺らにはコネも愛もあるしな?」
隆二が翠の肩を抱き、周囲が囃し立てる。
「就活とかどうすんの?」
「んー、適当でいいだろ。どうせ俺、親のツテとかあるし。司みたいな根暗な奴と違って、世の中は『人付き合い』だよな」
翠も、隆二の腕の中で楽しそうに笑っていた。
司がどれほどの成果を掴んだか、その「格差」がどれほど開いたか、何も知らずに。
――そして、少し離れた場所から、その光景を冷徹に見つめる視線があった。
龍神葵。
腕を組み、無言で立っている。
本来、彼女にとって「他人の恋愛沙汰」など、廊下のゴミ以下の関心事だ。
だが、視線が離れない。
(……妙だな。あの女、翠と言ったか……)
隆二に媚びる翠の笑顔。あの日、ブレスレットを捨てた瞬間に見せた、底の浅い傲慢さ。
そして、誰からも背を向けられ、一言の弁明もしなかった本田司の、あの静かな目。
(暴力男が、あんな『澄んだ』目をするか? 追い詰められた人間が、あんなに『泰然』としていられるか?)
理屈が合わない。パズルのピースが、明らかに欠けている。
それが、完璧主義の葵には死ぬほど気に入らない。
「……面倒だな」
一度は背を向けた。関わる理由はない。
だが、あの日、自分の「正義」が揺らいだ感覚が、脳裏にこびりついて離れない。
もし自分の見立てが間違っていたなら――それは葵にとって、最大の屈辱だ。
「……調べるか」
誰にも聞こえない声で、彼女は呟いた。
その瞳には、真実を暴くための鋭い「狩人」の光が宿っていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
見えているものが、すべてとは限りません。
そして、見ている者もまた、変わり始めています。
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