帰る場所
言葉が通じるようになり、ルシアンさんに食後など時間がありそうなときに本の内容について聞くようになった。
わかった単語を紙にメモし、その隣に日本語で意味を書くようになった。今はそのメモを見ながら、図書館で本を読んでいる途中である。
「あ、おっはよ~!人間ちゃん」
「………!!?」
何気なく本から目を上げると図書館の扉の向こう側に赤髪の男がいた。
な、なんで?赤髪さんがここに?私が顔を上げるまでそこにいたの?
椿が驚いていたのが面白かったのか、赤髪の男は大笑いしている。
この前の夕食中に知ったのだが、この赤髪さんの名前はアルベルト・フォン・ローゼンベルクというらしい。
「あ、あの、ローゼンベルク様。ルシアンさんを呼んできます……」
「大丈夫だよ~」
何が大丈夫なんだ?二人きりはさすがに気まずいから。
「というか、部屋入ってもいい?」
「ど、どうぞ」
ローゼンベルクは図書館の敷居をまたぎ、椿の前の席に座った。
「ボクの名前、知っているんだ。ルシアンから聞いたのかな?」
「はい」
「ルシアンは人間ちゃんになんてボクを紹介したの?」
「えーっと、ローゼンベルク様は帝国屈指の名門貴族の嫡男であり、皇帝に仕える高位の官僚……なんですよね?」
「あ、それだけ?最低限のことしか知らないんだ。」
椿がこくりと頷く。
「ふーん。……人間ちゃんは今何してんの?本読んでんの?」
ローゼンベルクは興味が薄れたのかすぐに違う話題に変わった。
「はい。文字が読めないので、ルシアンさんに教えてもらいながら色んな本を読んで勉強しています。…………あの、この前はこれ、ありがとうございました。」
椿は手のブレスレットをローゼンベルクに見せて、お礼を言った。
「あ~それね。別にいいよ。元々、ボクの家にいる人間くんに使っていたんだけど、新しいものを買って古いの持て余していたんだよね~」
「えっ!私以外にも人がいるんですか!?」
「そーだよ。ボクの家に一人いる。次来るとき連れてこようか?」
「その人は外に出ていいんですか?」
「?……別にいいでしょ」
他の人は外に出られるんだ…………。なんで私だけ?
そう思いながら、椿は目線を落とした。
「人間ちゃんは外に出られないの?」
椿の感情の変化に気づいたのか、ローゼンベルクがキャメル色の目をこちらに向けた。
「…………はい」
「へー。あのルシアンがね。」
ローゼンベルクは口元を手で隠しながら言った。
なんで私だけ、私だって、
「人間ちゃん、外に出てみたくない?」
椿が黙っていると、ローゼンベルクが優しい声でさらに続けた。
「家に帰りたくない?」
椿は声を発すると声が震えそうで黙っていた。しかし、ローゼンベルクの目から離せなかった。
「ボクが連れ出してあげようか?…………今日の深夜ここに来るよ。もし、逃げ出したかったら助けてあげる」
じゃあねと一言言うとローゼンベルクは図書館を去っていった。椿は椿の心臓の鼓動がじょじょにドクドクと大きく鳴っているのがわかった。椿はローゼンベルクが去っていた扉をずっと見ていた。
――深夜
あたりが暗闇に包まれ、静寂な夜。図書館も月の光に照らされていた。
カチャリと小さな音が扉から椿が入ってきた。きょろきょろとあたりを見渡し、慎重に中に進んでいく。
あれ?ローゼンベルクさんがいない。
窓に背を向け、月光に照らされた図書館の方を見渡したが、人影が見えなかった。
ふっと自身の影に何かが覆いかぶさったような気がした。
コンコンと音が鳴ったため、椿は窓の方を振り返る。
窓の外に月の光を背負ったローゼンベルクがいた。椿が驚いて見ていると、またコンコンとローゼンベルクが窓をノックした。椿が慌てて窓を開ける。
「こんばんは」
「こ、こんばんは。ローゼンベルク様」
「こっちにおいで」
ローゼンベルクが外に手招きをする。椿はおそるおそる、窓の近くに近寄った。ローゼンベルクが窓に手をかけたと思うと、明らかに鳴ってはいけない音を出して窓をさらに開けた。そして、ローゼンベルクは椿を抱き寄せ体を持ち上げた。
突然のことで椿があたふたしていると、ローゼンベルクが言った。
「じゃ、いこーか!」
「え?ここ2階ですけど、どうやって?」
「こうやってだよ~」
ローゼンベルクが2階から躊躇なく飛び降りた。椿が叫ぶ前に着地と同時にローゼンベルクは椿を抱えながらそのまま走り出し、屋敷を囲っている塀も軽やかに乗り越えた。
塀の外は森で覆われており、風が強いのか木々が揺れていた。
椿は当初はうろたえていたが、ローゼンベルクが安定を保ちながら森を走り続けることから少し、緊張を和らげた。
この人笑った時に見えていたけれど、あの牙、この身体能力、やっぱり普通の人間じゃない。
椿はローゼンベルクに聞きたいことが多くあったが、舌を噛みそうだったため、じっと流れる風景を見ていた。
しばらくすると、ローゼンベルクの足取りがゆっくりとなってきた。
ローゼンベルクの視線の先を見ると、黒塗りの馬車が停まっており、ローブをまとった白髪の御者が扉を開けた。
ローゼンベルクは椿を抱えながら器用に馬車の扉をくぐり、椿を向え側の席に座らせる。そして、御者に合図をすると、馬車が走り出した。
「ローゼンベルク様、あ、あの、ありがとうございました」
「ん?いいよ~」
「この馬車はどこに向かっているのでしょうか?」
「ボクの家だよ」
「家……。私は、私はいつ私の家に帰ることができるのでしょうか?」
「なんか質問、多いね。しばらく着くまでかかるからボク、寝るね」
そう言うと、赤髪の吸血鬼は足を組み目を閉じた。
吸血鬼といえど、やっぱり私を抱えながら走るのはしんどかったのかな……。それとも助けてもらったのに、図々しい態度だったかな。
椿はローゼンベルクに目を向けながら考え込んでいたが、彼が椿の質問に答える様子がないことを見て答えのないことを考えてもしょうがないと思い、外の景色に目を移した。
ローゼンベルクが走っていた先ほどと異なり、平らな道を馬車が走っているが、やはり暗闇で目を凝らしてみても周りは森ばかりだった。
私は家に帰ることができるのかな……。
異世界に転移してずっと思っていたことをまた、椿は反芻した。
そういえば、夕食の時にもルシアンさんが居なかったけど、何かあったのかな?
ふと、銀髪の吸血鬼のことを椿は思い出したが、すぐにあの人のことは忘れようと思い脳裏からかき消した。




