休日
朝。
カーテンの隙間から差し込む光が、部屋の中に細い線を作っていた。
その光がゆっくりと動き、神谷の顔にかかる。
神谷 恒一は、布団の中でぼんやりと天井を見ていた。
昨日の疲れが抜けきらない。
体は重く、頭の奥にはまだ鈍い違和感が残っている。
(……起きたくねぇな)
目は開いているのに、体を起こす気にはなれない。
そんな半端な覚醒状態のまま、時間だけがゆっくり流れていく。
「お兄ちゃん」
部屋の外から声がした。
コンコン、とノックもなしにドアが開く。
「ねぇ、今日って仕事ないの?休み?」
顔だけ覗かせた美香が、そのまま部屋に入ってくる。
「……ああ、休み。今日は特に予定もない」
神谷は枕に顔を半分埋めたまま答えた。
「じゃあちょうどいいじゃん」
「何がちょうどいいんだよ……朝一からそのテンションやめろ」
美香は気にした様子もなく、ベッドの横まで来る。
「行きたい場所あるんだって。一緒に行こ!」
一瞬の間。
神谷は天井を見上げたまま、ゆっくり瞬きをする。
「いや俺は今日は部屋でゲームでもして、だらだら過ごす予定だったんだけどな……」
「はい却下ー」
即答だった。
「せっかくの休みなんだからさ、外出たほうがいいって。引きこもってたらもったいないじゃん」
「人の休みの使い方に口出しすんなよ……」
「いいからいいから。付き合いなさいって」
そのまま布団をめくろうとする。
「おい待て、やめろ寒いだろ」
「起きるなら問題ないでしょ」
「理屈おかしいだろ……」
結局、そのまま引きずり出されるように起きることになった。
ショッピングセンター。
自動ドアが開いた瞬間、ざわめきと空気の熱が一気に流れ込んでくる。
人の多さに、神谷は思わず顔をしかめた。
「……人多すぎないかこれ」
「普通だよこのくらい。むしろ週末にしてはまだマシなほうじゃない?」
美香は当たり前のように言って、迷いなく歩き出す。
「その“普通”の基準がおかしいって言ってんだよ……」
人の流れに押されるように進みながら、神谷は軽く肩をすくめた。
「お兄ちゃんさ」
「なんだよ」
「昔っから思ってたけどさ、服のセンスほんと微妙だよね」
「いきなりディスってくんな」
「だって事実じゃん。ほら見てよ、その無難すぎるやつ」
「普通だろこれ……」
そのまま半ば強引に服売り場へ連れていかれる。
ラックの前で、美香は一着を手に取り、くるりと振り返る。
「これとか絶対似合うと思うんだけど」
「いやそれ派手すぎるだろ。どこに着てくんだよそんなの」
「いいじゃん別に。たまには雰囲気変えてみなよ」
「変える必要ないだろ……」
さらにもう一着差し出される。
「じゃあこれは?さっきより落ち着いてるし」
「……まあ、さっきよりはマシかもな」
「はい決まり。試着してきて」
「だから勝手に決めるなって——」
背中を押される。
「いいからいいから、着たら見せてよ。ちゃんと評価するから」
「その“ちゃんと”が信用できねぇんだよ……」
しばらくして、カーテンを開ける。
「どうだよ」
美香は少しだけ目を細めて、全体を見る。
「……あ、いいじゃん。思ってたよりちゃんと似合ってる」
「今ちょっと間あったよな?」
「いや、普通にアリだよこれ」
「“普通にアリ”って一番判断困る言い方だな……」
鏡に映る自分を見る。
(……まあ、悪くはないか)
「……これなら別にいいか」
「でしょ?せっかくだし買いなよ」
「“せっかく”便利すぎるだろ……」
結局、購入することになった。
フードコート。
ざわめきの中で、なんとか席を確保する。
「お兄ちゃん何食べる?」
「なんでもいい」
「それ一番困るやつなんだけど。もうちょい考えてよ」
「じゃあお前と同じのでいい」
「やだ。被るのつまんない」
「注文多いなほんと……」
それぞれ別のものを頼んで戻ってくる。
「はいこれ。お兄ちゃんの」
「サンキュ」
一口食べる。
「……普通だな」
美香がじっと見る。
「その“普通”って褒めてる?それとも微妙って意味?」
「少なくともハズレではないって意味」
「じゃあ合格ってことにしとく」
自分のを一口食べる。
「あ、これ当たりだわ」
「どれ?」
「ほら、ちょっと食べてみる?」
「いいのかよ」
「一口だけね。全部食べるのはなし」
「……うん、こっちの方がうまいな」
「でしょ?交換する?」
「しない」
「ケチかよ」
小さく笑いがこぼれる。
周りは騒がしいのに、このテーブルの上だけ少しだけ落ち着いていた。
フードコートでの食事を終えたあと、少しだけ休憩してから、二人はショッピングセンターを後にした。
外に出ると、空気が少しだけ軽く感じる。
屋内のざわめきから解放されて、神谷は小さく息を吐いた。
「……やっぱ外の方がマシだな」
「えー、私は中のほうが楽しいけど」
「人多すぎなんだよ。さっきのあれはちょっときつい」
「はいはい、おじさん発言いただきました」
「誰がおじさんだ」
軽口を交わしながら、二人はそのまま商店街の方へ足を向けた。
午後。
今度は商店街へ移動した。
アーケードの下にはほどよい人通りがあり、ショッピングモールほどの圧迫感はない。
店先からは総菜の匂いや、焼き物の香ばしい香りが流れてきて、どこか生活感のある空気が漂っている。
「こっちの方がまだいいな。人も多すぎないし、歩きやすい」
神谷が周囲を見回しながら言う。
「お兄ちゃんはね。こういうとこ好きそうだもん」
「人少ない方が落ち着くんだよ」
「それ完全に年寄り発言だからね?」
「ほっとけ」
そんなやり取りをしながら、店先を眺めつつ歩く。
雑貨屋、八百屋、小さなカフェ。
一つひとつの店に個性があって、見ているだけでも時間が潰せそうだった。
その途中で、美香がふと足を止める。
「ちょっと見ていい?」
ショーウィンドウを指さす。
「いいけど、そんな急にどうした」
「なんか気になるのあった」
神谷も足を止める。
そこは小さな雑貨屋だった。
ガラス越しに、アクセサリーや小物が所狭しと並んでいる。
店内に入ると、鈴の音が小さく鳴った。
「これかわいい」
美香が一つ手に取る。
小さなアクセサリーだった。
振り返って、神谷に見せる。
「どう思う?」
「……似合うんじゃね」
少しだけ間を置いて答える。
「適当すぎない?」
「いやちゃんと見てるって。色もお前の服と合ってるし、そんな変じゃないと思うぞ」
美香は少しだけ考えてから、ふっと笑った。
「じゃあ買お」
「俺の意見そんな重要だったのか?」
「たまには参考にする」
「“たまに”ってなんだよ」
軽く肩をすくめる。
そのあとも、いくつか店を見て回った。
靴屋で立ち止まり、サイズやデザインを見比べたり、
カフェの前を通り過ぎて「あとで入る?」なんて話をしたり。
特に目的があるわけでもなく、気ままに歩く時間だった。
「今度はどこ行くんだよ」
神谷が少し疲れた声で聞く。
「もうちょい!」
相変わらず元気な声が返ってくる。
「その“もうちょい”が長いんだよ……」
美香は振り返って笑うだけで、歩くスピードを緩めない。
神谷は半歩遅れながら、その背中を追う。
(よくこんな歩けるな……ほんとに)
そんなことを思いながら歩いていると――
ある店の前で、美香がぴたりと足を止めた。
視線の先。
長い行列。
しかもほとんどが女性客だった。
「……ここか?」
神谷は看板を見る。
限定スイーツ販売中。
ホワイトチョコケーキセット。
その瞬間。
「ここ!」
美香が即答する。
目が明らかに輝いていた。
「期限限定スイーツ!しかも数量限定!これ絶対うまいやつだから!」
「いやテンション上がりすぎだろ……」
「究極のホワイトチョコケーキセット買うから!!絶対に!!」
「“絶対に”ってなんだよ、その気合いはどっから来てんだ」
「並ぶ」
間髪入れずに言う。
神谷は列の長さを見て、思わず顔をしかめた。
「……いや、これ結構並んでるぞ。普通に一時間コースじゃねぇか?」
「関係ない。こういうのは並んででも買うのが価値なんだから」
「その価値観は理解できねぇな……」
少し間を置いて。
「……俺も並ぶのか?」
「当然でしょ。ここまで来て一人で並ばせる気?」
「いやその理屈もよく分からんけど……」
気づけば、美香はすでに列の最後尾に並んでいた。
迷いがない。
神谷は小さくため息をついてから、その後ろに並ぶ。
(休日って、もっと静かに過ごすもんじゃなかったか……)
そんな考えが頭をよぎる。
だが、目の前には楽しそうに前を見ている美香の背中。
人のざわめきの中で、時間だけがゆっくり流れていった。
神谷 恒一はおいしいかまずいかはっきり言うタイプ




