帰り道
長い列の末、ようやく手に入れた紙袋を、美香は大げさなくらい掲げていた。
「無事に買えた!!」
満足げな声が、周囲のざわめきの中でも妙に目立つ。
神谷は肩を回しながらスマホを確認する。
「今、13時ちょい過ぎか……思ったより時間食ったな」
「でしょ?でもその分ちゃんと価値あるからこれ」
袋を軽く揺らす。
「一時間以上並んでケーキ一個だろ?」
「“一個”じゃないし、“特別な一個”だから。食べたら分かるって」
「はいはい……」
歩き出す。
人の流れに紛れながら、特に急ぐでもなく進む。
「……もう帰るか?正直ちょっと疲れた」
「えー、もうちょっといいじゃん。せっかく来たんだしさ」
そう言いながら、自然に腕を組んでくる。
「おい」
「いいでしょ別に。人多いし」
「はぐれねぇよこんなとこで……」
「念のためだって。迷子になったら困るじゃん」
「お前がなる前提なのかそれ」
そのまま歩く。
ペットショップの前で足が止まる。
ガラスの向こう、小さな子猫が丸まって眠っていた。
「ねこちゃんかわいい……」
声のトーンが少しだけ落ちる。
「寝てるだけじゃねぇか」
「そこがいいの。こういうの、ずっと見てられる」
「飼う気か?」
「できるなら飼いたいけどね」
「無理だろあの部屋じゃ。まず俺が止める」
「そこをなんとか……」
「なんとかならねぇよ」
ガラスに顔を近づけたまま、美香が言う。
「あとちょっとだけ見ていい?」
「何分だよ」
「10秒」
「絶対嘘だろ」
「じゃあ5秒」
「変わってねぇよ」
結局、少しだけ待つ。
帰り道。
人通りは少し落ち着き、さっきまでより静かだった。
そんな中で、不意に低い声が割り込む。
「おい」
神谷は足を止める。
振り向いた先に立っていたのは、場の空気に合わない男だった。
「美香だよな?」
その瞬間、美香の腕の力が強くなる。
神谷は小さく声を落とす。
「……大丈夫か?」
返事はない。
ただ、指先に力が入っているのが分かる。
男が一歩近づく。
「なんで連絡無視してんの?」
神谷は自然に一歩前に出る。
「誰だよあんた」
「は?そっちこそ誰だよ」
「兄貴だよ」
短く答える。
「兄貴ぃ?」
男は笑うが、目は笑っていない。
「へぇ、そうなんだ」
もう一度、美香を見る。
「で?なんで無視してんの?」
神谷はさらに半歩前に出る。
「用がないなら帰れよ」
「関係ねぇだろ」
「あるだろ。嫌がってんの見えてる」
男は小さく舌打ちした。
「……めんどくせぇな」
ポケットに手を突っ込む。
「お前、ちょっと来いよ」
その瞬間、神谷の声が低く落ちる。
「行かねぇよ」
「は?」
「行きたくないって顔してんだろ」
空気が一瞬で張り詰める。
通り過ぎる人の足音だけがやけに響く。
その中で――
「……もう連絡しないで」
小さな声。
だが、はっきりしていた。
男の表情がわずかに変わる。
「は?」
「もういいから。本当に」
今度は少しだけ強く。
沈黙。
男は舌打ちする。
「……マジかよ」
視線を逸らし、肩をすくめる。
「感じ悪くね?」
返事はない。
「まあいいや。またな」
投げるように言って、そのまま去っていく。
男の背中が見えなくなっても、美香はしばらく動かなかった。
指先の力も、まだ抜けきっていない。
「……もう大丈夫だ」
神谷が静かに言う。
少し遅れて、ようやく手が緩む。
神谷は振り返る。
「……知り合いか?」
一瞬だけ迷ってから、美香は軽く笑った。
「うん。まあ、ちょっとね」
「ちょっとで済む感じじゃなかったけどな」
「いろいろあるんだよ、こういうのも」
「……そうか」
それ以上は聞かなかった。
聞くタイミングではないと分かっていた。
再び歩き出す。
さっきと同じ道なのに、少しだけ空気が違っていた。
「ねぇ」
「ん?」
「さっき、ありがとね。ちゃんと間に入ってくれたし」
「別に。ああいうの放っとけないだろ」
「……そっか」
小さく笑う。
その笑い方は、さっきより少し静かだった。
神谷は無意識に、美香との距離を少し詰める。
さっきよりほんの少し近く。
離れないように、自然と歩幅を合わせながら。
神谷 恒一は本当は猫が好き




