連関は境界を結ぶ共鳴か-4
山村楽器で文化祭に出ると決めたその日の夜、黒田からメールが届いた。
《文化祭の件だけど、夏休みに一回打ち合わせしない?》
画面に表示されたその文字を見て、俺は暫く携帯を眺めていた。
《いいけど、どこでやんだよ》
俺がそう返すと、すぐさま黒田から返信が来た。
《テストの時みたいに、ファミレスに集まる?》
……ファミレス、か。
《それだと音源聴けねえし、ギターも出せねえだろ》
《じゃあどうしようか》
俺は少し考えた。
ファミレスは、もちろん無理だ。テスト勉強の時みたいに飲み物を頼んで長居するには便利だが、音を出せない時点で文化祭の打ち合わせ場所としては使えない。
だったら、学校はどうかという考えも一瞬だけ浮かんだ。夏休み中でも、部活や自習用に学校自体は開いている。けれど、教室は吹奏楽部が練習で占領しているかも知れないし、3年生が夏季講習を受けているかも知れない。わざわざ学校まで行って、結局何もできませんでした、では面倒臭すぎる。
そう考えていくと、残る場所は一つしか無かった。
——俺の部屋だ。
俺の部屋なら、ギターも、パソコンも、ラジカセもある。試しに弾こうと思った時にすぐに弾けるし、曲を調べたり、CDを聞いたりすることもできる。セトリを決めるには、多分一番手っ取り早い場所だ。
《だったら、うちにするか?》
送ってから、少しだけ不思議な感じがした。
——俺は今、クラスの奴を自分の家に呼ぼうとしている。
そう思った時には、もう黒田から返事が来ていた。
《いいの? 助かる!! ベース持ってった方がいい?》
「ベース……」
その文字を見て、俺は思わず唾を飲んだ。
黒田がベースケースを担いで、俺の家に来る。いつもアニメや歴史の話ばかりしかしないような奴が、俺と同じように、“相棒”を連れてやって来る。
——そんな光景が頭の中で浮かんだ瞬間、黒田とバンドを組む話が少しだけ現実味を帯びてきた。
《持ってこい。試しに弾くかもしんねーし》
《了解。じゃあ明後日でも大丈夫? お昼食べた後とか》
《分かった。後で駅に着く時間教えろ。迎えに行く》
《ありがとう! じゃあ明後日、よろしくね!》
そこで、やり取りが終わった。
……黒田が、俺の家に来る。
その場のノリで軽々しく「うちに来い」と言ってしまったが、よくよく考えてみれば、誰かを家に呼ぶなんて小学校以来かも知れない。
俺は携帯を閉じて、リビングの方に向かった。
「なあ。明後日、クラスの奴が来るんだけど」
リビングでテレビを見ていた母に言うと、母はリモコンを持ったまま固まった。
「……え?」
母はきょとんとしたまま、俺を見上げた。
「珍しいじゃない。友達?」
「……クラスの奴」
俺がそう言うと、母はリモコンを膝の上に置いてじっと俺の方を見つめてきた。その眼差しが、何かやたらと嬉しそうで、俺は少しだけ居心地が悪くなった。
しかし俺が気まずそうに目を逸らすと、母ははっと我に返ったように、いつもの口調に戻って言った。
「良いけど、そういう事はもっと早く言いなさいよ」
「仕方ないだろ。さっき決まったばっかなんだし」
「でも、ちゃんと部屋片づけなさいよ。あんなだらしない部屋に友達入れるなんて、恥ずかしいじゃない」
「うっ……」
痛いところを突かれて、俺は思わず言葉を詰まらせた。
確かに、今の部屋に黒田を入れるのはマズい。俺だけなら不便はしていないからまだしも、他人を入れるには少し抵抗がある。机も、床の上も物で埋め尽くされていて、足の踏み場が無いとまでは言わなくても、他人の足を置く場所があるかと言われたらかなり怪しい。
「本の山も何とかして、掃除機もかけなさい」
「うるせえな。やるっつーの」
俺は母の声を受け流しながら、逃げるように自分の部屋に戻った。
部屋に戻ると、床に散らばった雑誌とCDが真っ先に目に飛び込んで来た。机の上には、未だに手を付けていない夏休みの課題と、ボロボロになった訳の分からないフライヤーの山がある。
「チッ……めんどくせーな」
俺は深く溜息をついてから、傍らの雑誌をまとめ始めた。
*
そして2日後。
結局、前日は一日中部屋の片付けに時間を費やした。
……片付けたと言っても、途中から面倒臭くなって、雑誌や教本は全部クローゼットの中に押し込んで誤魔化した。机の上の教科書は無理矢理、通学用の鞄にぶち込んで避難させ、ペンやピックといった小物はとりあえず端に寄せて真っ直ぐに並べた。あたかも最初からそこが定位置だったかのように。
母は「もっとちゃんと片付けなさい」と呆れていた。
確かに、うっかりクローゼットを開けてしまえば、本の雪崩が起きてしまうかも知れない。けれど、それでも表面上は一応、“他人に見せられる部屋”にはなったはずだ。
……そんな事より、俺は自転車を漕いで黒田を迎えに向かった。
駅前に着くと、バス停に小柄な人影が立っていた。丸い眼鏡に、黒い大きなベースケース。こちらに気付くと、大きく手を挙げて振り始めた。
「悪い、待たせたか」
「ううん、今バス降りたとこ」
黒田はそう言って、背中のベースケースを「よいしょ」と背負い直した。こんな華奢な身体で、こんなに大きな荷物を背負っているのは少し重そうに見えた。それでも黒田は“ちゃんと持ってきたよ”と言いたげに、ケースの肩紐をぎゅっと握りしめていた。
「じゃあ行くぞ。こっちだ」
俺はそう言って自転車の向きを変えると、黒田は「うん!」と頷き、俺の少し後ろを歩き出した。
*
「……ただいま」
「お邪魔します」
家に着くと、玄関を開けた瞬間に母が部屋から飛び出して来た。
「あら、いらっしゃい!」
「初めまして。立花君と同じクラスの黒田です」
黒田はそう言って、ペコリと頭を下げた。
母はその様子を見て、ぱっと顔を明るくした。
「まあ、ご丁寧に。奏介の母です。いつも奏介がお世話になっています」
「いえ、こちらこそ」
すると母は今度は俺の方を見て言った。
「ちゃんとした子じゃない、奏介」
……俺がちゃんとしてねえみてえに言うんじゃねえ。
「……ほら、黒田。上がれよ」
「あ、うん。ありがとう」
俺は黒田の背中を軽く押すようにして、さっさと自分の部屋に向かおうとした。すると母はガシッと俺の肩を掴んだ。
「2人共、ちょっと待ってなさい。これ、持っていきなさい」
そう言って母はオレンジジュースとコップを2つ、お盆に載せて渡してきた。
「ああ」
俺が受け取ると、黒田は「ありがとうございます」と言って、もう一度ペコリと頭を下げた。
……いちいち真面目だな、こいつ。
「ほら、行くぞ」
俺はそれだけ言って、今度こそ黒田を連れて階段を上った。
「適当に座れ」
部屋に入ると、黒田はベースケースを背負ったまま立ち止まった。
「……立花君の部屋って、本当に音楽だらけだね」
黒田は部屋の中をゆっくり見回した。
昨日掃除した机の上にはパソコンが置いてある。壁際のCDラックにはシングルやアルバム、ライブDVDがぎっしり並んでいて、棚の上には古いラジカセがずっしりと構えている。
そして、壁には黒宴のポスター。そのすぐ横には、いつでも手に取れるようにギターを立てかけてある。
「まあな」
俺はお盆を机の端に置いて、コップにジュースを注いだ。
コップを差し出すと、黒田は「ありがとう」と言ってから、背負っていたベースケースをゆっくり床に下ろした。
「で、文化祭の件だけど」
俺が腰を下ろすと、黒田はポケットからケータイを取り出した。
「一応、HR委員長の許斐さんに聞いてみたんだ。後夜祭の有志ステージで、持ち時間は15分ぐらいだって」
「有志募集するっつったクセに、持ち時間それだけなのかよ」
「まあ、後夜祭でちょこっとやるぐらいだし、そんなモンでしょ」
黒田はそう言って、ケータイの画面を俺に見せた。そこには、HR委員長とのメールのやり取りがあって、確かに「持ち時間は15分ぐらいでお願い」と書かれていた。
「15分ぐらいなら、3曲ぐらいじゃねーの」
「え、それだけ? 4曲はいけると思ったんだけど……」
「MCも挟む事を考えると、3曲ぐらいが丁度良いだろ。……それに、本番が10月って事を考えると、時間も限られてる。だったら、下手に4曲詰め込んで中途半端になるより、3曲で勝負した方が良い」
「じゃあ、3曲か」
黒田は納得したように応えた。
「1曲目は、みんな知ってる曲の方が良いと思うんだよね」
「まあ、文化祭だからな」
「うん。いきなり知らない曲ばっかりだと、みんなとっつきにくいと思うし」
黒田は少し考えてから言った。
「最近流行りの曲とか良いんじゃない? 例えば、嵐のOne Loveとか。あれ、映画の主題歌になったじゃん」
「……あれを俺に弾けってか?」
「駄目かな?」
「駄目っつーか、あれはどっちかっつーとアコギの曲だろ。俺がやるのはエレキだ。文化祭でやんなら、エレキで盛り上げるヤツの方が良くねえか」
「じゃあ、何なら良いと思う?」
俺は暫く、頭の中で曲を手繰り寄せた。。
「……嵐なら、A・RA・SHIとかじゃねえの」
すると黒田は少し意外そうに俺を見た。
「立花君、嵐知ってるんだ。てっきり、黒宴しか聴かないのかと思った」
「馬鹿にすんな。一応、最低限は知ってるっつーの」
……そうは言っても、黒宴ばっか聴いているのはホントだし、流行りの曲もそこまで詳しくない。ただ、音楽をやっている以上、あえてアンテナを狭めるような事はしない。好きかどうかは別として、何が流行っているのかぐらいは、多少は分かっているつもりだ。
「で、結局A・RA・SHIで良いのかよ」
俺が聞くと黒田は少し考えてから言った。
「良いんじゃない。俺もそれなら楽しめそうだし」
「じゃあ、1曲目はそれだな」
「うん」
黒田は嬉しそうに首を縦に振った。
「で、2曲目はどうすんだよ」
俺がそう聞くと、次の瞬間、黒田はゴクリと唾を飲んで黙った。
——それはあたかも、“言わなくても分かるでしょ”と伝えているような間だった。
「……黒宴、やりたいよね」
「そりゃあな」
「でも、文化祭でやる曲じゃないよね。みんながみんな知ってる訳じゃないし……」
「……まあ、な……」
……確かに、黒宴はああいう派手な衣装や濃い世界観込みでバンドを追っている奴らの間では、知らねえ奴の方が少ないというぐらいの存在だ。けれど、普通のJ-POPや邦ロックを聴いている奴らからすれば、名前を聞いたことがあるかないかぐらいの程度だろう。文化祭でいきなり黒宴をやったところで、全員がノれる訳じゃない。
……でも。
「……だから1曲目にA・RA・SHI入れたんだろ」
「え?」
「全曲黒宴にするならともかく、1曲ぐらいなら良いだろ」
……それに。俺と黒田が文化祭で一緒にやるなら、黒宴を外す理由が無い。むしろ、それが無ければ何の為に黒田と組むのか分からない。
「本当!?」
黒田はケータイを握ったまま、嬉しそうに身を乗り出した。
「じゃあ立花君はやりたい曲ある?」
「……俺?」
俺はCDラックに目を向けると、2か月前ぐらいにタワレコで買った、あの矢神のアルバムが目に付いた。でも、あれは“矢神のソロ曲”であって、“黒宴の曲”ではない。
黒宴をやるなら、黒宴らしい曲が良い。
俺はそのまま、CDラックに並んだシングルのタイトルを順番に眺めた。文化祭でやるなら、代表曲やライブの定番曲をやるのが良いのかも知れない。それなら黒宴を知らない人でも、まだノリやすい。
けれど、そんな決め方をするのはどこか許せなかった。
せっかく自分が憧れているバンドの曲をやるのに、ただ有名な曲だからとか、盛り上がりそうだからとか、そういう適当な理由だけで曲を選びたくない。
……それに、どうせやるなら、俺は矢神の曲がやりたかった。
黒宴の中でも、矢神が書いた曲。彼の曲はどれも荒っぽくて、速くて、身体ごと持っていかれるような曲ばかりだ。
でも、俺がやりたいのは、ただの暴れ曲ではない。
——矢神にとって大事な曲と言われている、あの曲だ。
「……『罪痕』」
俺がそう言うと、黒田の動きが止まった。
「え」
その短い一言で、黒田が何を思ったのかは、大体予想が付いた。
「いや、かっこいいけどさ……矢神さんの曲でしょ? 結構大変じゃない?」
「……」
「そりゃあ、暴れ曲だから盛り上がるとは思うけどさ……文化祭でやるには、ちょっと重くない?」
黒田はそう言う。
それでも、俺の頭の中では、何度も見たあのライブ映像が流れていた。
90年代っぽい匂いがする、派手で、重くて、どこか懐かしい曲調。メンバーの立ち姿は険しく、ステージ全体が張り詰めた空気を纏っている。その中で、矢神のギターだけが、稲妻みたいに空気を切り裂いていく。
それを皮切りに、白く眩い照明が断続的に客席を照らす。フロアでは一斉にヘドバンが起こり、振り乱された髪と黒い服が、照明の下で夜の荒波のように大きくうねる——あの感じが好きだった。
歌詞の意味を全部分かっているかと言われたら、正直よく分からない。
抽象的な言い回しも多いし、何について歌っているのかも、ファンの間では解釈が分かれる曲だと思う。何より、作詞作曲を手掛けた当の矢神自身が「勝手に解釈しろ」としか言わないのだから、“正解”なんて本人以外、誰にも分からない。
ただ、彼にとって大事な曲だと言う話は、雑誌で何回か読んだことがあった。
だからこそ、やりたかった。
「……矢神さんが“大事にしてる”っつー曲なら、俺はそこに触れてえんだ」
すると黒田は、少し黙った。コップを持っていた手が止まった。と、思いきや、黒田の声が柔らかくなった。
「……立花君って、矢神さんの事憧れてるんだね」
「ああ」
「じゃあ、立花君がそこまで言うなら、俺もやってみたい」
「……マジかよ」
俺が目を丸くすると、黒田は「じゃあ決まりだね」と言って、ベースケースに手を置いた。まだ一音も音を合わせていないのに、その仕草だけで、黒田が逃げる気が無い事だけは伝わってきた。
俺はもう一度、CDラックに並んだシングルの背表紙へと目を向けた。
文化祭で弾くには、確かに重い曲なのかも知れない。俺自身、その“重さ”を本当に分かっているかどうかも曖昧だけれど——それでも俺は、矢神が大事にした音に触れてみたかった。
ただ憧れて眺めているだけでなく、自分の指で、その音を鳴らしてみたいと、強く思った。
■黒宴メンバー
Vo.緋佳-hiyoshi-
永遠の厨二病だがカリスマ。
Gt.矢神-yagami-
口調も性格も荒いオラオラ系。
Ba.京真-kyoma-
後から加入したので、一人だけ芸名が本名と同じ。
Dr.靱乃-shinano-
実は元々就職していたが、バンドマンに転職した過去がある。




