迷える音色は闇夜の調べ-7
俺は楽屋にギターを置くと、振り返る事無く部屋を後にした。
フロアに戻ると、真っ先に響と合流した。
「お疲れ、奏介」
いつの間に交換したのか、響は俺に新しいレモネードを差し出してきた。
「……ああ」
俺は「……ありがとよ」と言って受け取ったが、奴と目を合わせる自信は無かった。
「奏介さ」
俺がカップに口を付けると、響が話し掛けてきた。
「さっきのステージ、良かったよ」
「……」
……どうせ、お世辞だろ。
「ギターも凄かったし、俺も負けてらんないな」
響は笑顔で言ったが、俺は奴の言葉を素直に受け取れなかった。
脳裏に浮かぶのは、先程の客の反応。ノッてんのか、ノッてねえのか分からない、あの不透明な感覚――あれがまるで足枷のように纏わりついて、なかなか離れなかった。
「……」
俺はカップの中のレモネードに視線を落とした。薄くなった黄色い液体がフロアの照明を受けて揺れている。心なしか、さっき飲んだ時よりも酸味が少し弱い気がした。
「……別に、そんな大したモンじゃねえよ」
反射的に、ほとんど無意識の内にそう言っていた。……“大したモンじゃない”なんて、謙遜のつもりでも、絶対に言いたくないはずなのに。
それでも響は、先程と同じ調子で続けた。
「いやいや、普通に凄かったって。あの速いフレーズ、よく崩れないで弾けるよね。……ちゃんと沢山、練習したんだろ」
俺は黙ったまま、小さくコクリと頷いた。
“ちゃんと沢山、練習したんだろ”――これこそ、俺が一番欲しかった言葉だった。
この1カ月の間、コツコツと積み上げてきたモンを、誰かに認めて欲しい気持ちだって、無いはずが無かった。だからこそ、ステージが終わった後、誰か1人でも良いから、そう言われたかった。
――はずなのに。
どうしてか、響に言われると、かえって素直になれなくなる。純粋に“ありがとう”と言えばいいモノを、何も返せず黙り込んでしまう俺は、我ながら天邪鬼だと感じた。
俺の中では、まだ“あの時の傷”が残っている。
ギターとキーボードを重ねるはずだった、あの一瞬。ほんの僅かに遅れて、気持ち悪く嚙み合わなかったあの時に負った傷を、未だに引き摺っている。
なのに、響はそこには一切触れなかった。
——気付いてなかったのか?……いや、響ぐらいの奴が、気付かない訳無いだろ。
……わざと触れないようにしてんのか?だとしたら、かなりムカつく。
でも——なんとなく、そうじゃない気もした。
響はそれに気付いた上で、“そこじゃない”と言っているのか。はたまた、俺が気付いてない、“もっと別のところ”を見て、そう言ったのか。
……だったら、コイツは何を見てそう言ったんだ?
……どっちにしろ、奴が何を考えているか分からなくてムカつくのは変わりなかった。そんな俺を差し置いて、涼しい顔でドリンクを飲み干している響の横顔が、余計に癪に障る。
ずっとそんなことを考えていたせいか、他の出演者のステージを見ても、全く頭に残らなかった。
*
「俺、そろそろ行くわ」
暫くすると、響が声を掛けてきた。腕時計を見ると、いつの間にか終演時刻が刻々と近づいていた。
「そうか」
俺がそう返すと、響は軽く伸びをしてから、空になったカップをドリンクカウンターに置いた。
……さっきまで俺の隣で吞気にレモネードを飲んでいた奴が、何食わぬ顔で楽屋に向かおうとしている。
……トリ、なんだよな。
そう思った瞬間、改めて妙な距離を感じた。
俺はさっきまで、ステージの上で必死に藻掻いていた。弾き切ることだけで精一杯で、客席を見る余裕も、拍手を受け取る余裕も無かった。……いや、それどころか、ステージに立つ前からずっと“本番”の事で頭がいっぱいで……そのクセ、終わった後も身体に残っているのは、あのミスをした時の“傷”ばかりだ。
それなのに響は、これからこの対バンを締める立場だというのに、肩に余計な力が入っていないように見える。いつも通り歩いて、いつも通りの調子で、のんびりステージに向かって行く。
……これが、全国の余裕ってヤツか?
そう考えると、余計に距離を感じてしまう。
「じゃ、行ってくる」
響はそう言って、片手をひらりと上げた。
「……頑張れよ」
俺がそう言うと、響は振り返って笑った。
「おう。ちゃんと見てろよ」
そして、響はそのまま楽屋の方へ向かって行った。俺はその背中を見送ったまま、暫く動けなかった。
……“ちゃんと見てろ”、ね。
随分とまあ、自信たっぷりに言ってくれるモンだ。全く、何を見ろってんだよ。
そう思いながら、俺はステージに視線を戻した。
響が楽屋に向かってから、最後から2番目の出演者がステージに立った。カーテンが開き、照明が変わり、フロアの空気がまた動く。
ギターの音も、ベースの音も、ドラムの音も、確かにそこにあった。客もそれなりに拳を上げていたし、俺だって周りに合わせて拳を上げたりした。
けれど、頭の中では、響のステージの事ばかり考えていた。
トリを任されたにも関わらず、どこか余裕たっぷりの響。あの“ちゃんと見てろ”には、どことなく自信のようなモノさえ感じた。
全国に通用する実力を持つという響。奴は一体どんな音を鳴らすというのか——あれだけ悠然とした態度を取っていたからには、さぞかし“凄いステージ”になるんだろうな、と響を試すようなある種の期待が確かにあった。
しかし、それと同時に怖い気持ちだってあった。“全国”レベルの奴の演奏を聴いて圧倒してしまったら……俺は、悔しさと劣等感に苛まれて、自信を失ってしまうかも知れない。
“期待”と“恐怖”——俺の中でこの2つの感情がぶつかり合うように存在していた。
そんなことを考えている内に、やがて曲が終わった。黒いカーテンが閉まり、フロアの照明が少し明るくなる。
——いよいよ響の番だ。
その事実だけで、周囲の空気が少し変わった気がした。
前方の客が何人か、ステージに寄り詰める。さっきまで後ろの壁に寄りかかっていた奴も、ステージの方をチラチラ見始めた。どこからか確かに「次、響君だよね」と言ったのが聞こえた。
……まだ始まってねーだろ。
心の中でそう毒づいたが、それでも俺はフロアの様子を無視する事は出来なかった。俺の目から見ても明らかに、フロアの空気は少しだけ前のめりになっている。
——ジャーン。
カーテンの向こうから、ギターの音が鳴った。セッティングが終わり、音出しをしているようだ。2、3回程、短い音が聴こえたと思えば、そのまま少し長めのフレーズが流れた。
それと同時に、最善列の奴らがピクリと反応し、ステージを見上げる。
そして、キリが良いタイミングで、唐突に音が途切れる。
すると、すぐに照明が落ちて、カーテンが開いた。
その途端だった。
「響―!」
「響響―!」
奴の名を呼ぶ、若々しい声が前方から飛んで来る。更に最前列の奴らは両腕を上げて響に必死でアピールをする。後ろ姿を見た感じ、俺と同じ高校生らしかった。
……何だよ、身内ばっか連れて来てんのかよ。
この時俺は、響の友人か何かだと直感した。どうせ友人かクラスメイトでも連れてきたのだろうか、と思ったのだ。
けれど、腕を上げている奴らの中には、何となく俺達よりも年が離れていそうな奴もいる。
……まさかとは思うが、奴のファンか?
カーテンの向こうから現れた響はこちらを隅々まで見渡した後、“聞こえてるよ”と言わんばかりに手を振った。
そして響がPAに合図をすると、軽やかなBGMが流れ始めた。
すると、響は間髪入れずにギターを構え、イントロを奏でた。
耳に入ってきたのは、思っていたよりもずっと聴き取りやすいフレーズだった。コードは明るく、クリーンに近い歪みの無い澄んだ音色。
俺の曲みたいに、歪んだ音で叩きつける感じでもなければ、手数で押し切る感じでもない。メロディも割と王道で、そこまで複雑ではない。
打ち込みのドラムも手数が少なく、シンプルで聴き取りやすい。スネアとシンバルが交互に鳴り、8ビートの真っ直ぐなリズムを作っている。シンセは艶があり、どこか近未来的な雰囲気を纏っている。
……POP-ロックというヤツか?割と普通だな。
俺は咄嗟にそう思った。あんなに期待を持たせていたのだから、どんな超絶技巧が繰り広げられるのかと思っていたが、案外俺でも弾けそうな曲で拍子抜けしてしまった。……いや、勝手に期待をしていたのは俺の方なのだが。
けれど、辺りを見渡すと、客はそうでもないようだ。
俺がステージに立った時よりも、身体が動いてる客が多い。
俺がステージに立った時よりも、客の動きがデカい。
俺がステージに立った時よりも、“何となく周りの空気に合わせているような奴”が少ない。
——俺がステージに立った時よりも、間違いなく、フロアの温度が上がっている。
……何でだ?……別に、難しい事してねえだろ。
俺は腕組みをしたまま、身体を前に傾けて更に耳を澄ませた。
響のギターは、音を潰してない分、一音一音の輪郭がハッキリしていた。コードを鳴らした瞬間、どんな音がどんな風になっているのかが分かる。歪みで重く塗り潰すのではなく、このフロアにポンッと音を投げ渡してくるような鳴らし方だった。8ビートのBGMもシンプルで、確かにノリやすいっちゃノリやすい。
……けどよ。
やっぱり普通じゃねえか、と思った。何度も聴いても、やはり、“王道のPOP-ロック”。俺には、そうとしか感じれなかった。
さっきまで偉そうに“二番煎じじゃ駄目だ”だの言ってたクセに、何なんだと思った。
でも——不思議と、“普通”や“王道”という言葉だけでは片付けきれないような気がした。
王道の形をしているのに——確かに、誰かの音をそのままなぞっているとは言い切れない。
軽やかなフレーズの後に、ほんの少しだけ引っ掛かる音がある。明るいコードの隙間に、初めて出会うような“クセ”が混ざっている……ような気がした。
俺は響に視線を向けると、響は弾きながら客席を見ていた。最前列だけではなく、少し横へ視線を飛ばし、後ろの方にも軽く顔を向けている。それと同時に徐々にテンポが速くなり、ほんの少し、コードを歪ませた。
……俺なら、そこはもっと音を詰めんな。
——そう思った途端に、響はほんの一瞬——手を止めた。
その僅かな“隙間”に、客の手拍子が入る。
——パン、パン、パン……。
最前列だけではない。少し遅れて、その後ろの客も手を叩き始める。気が付けば手拍子の音が、ドラムの音と重なっていた。
「は……?」
……そこ、空けて良いのかよ。
俺は思わず眉を寄せた。
俺なら、折角スピードが付いたところで音を埋める。音を抜いた瞬間、失速して薄くなるのが怖くて、ギターで隙間を埋めたくなる。けれど響は、その“空白”をあえて客に渡していた。けれど、それでちゃんと“形”を保ったまま、“曲”になっている。
サビ前、響が客席に向かって、手招きするような仕草をした。
すると、前方の客が迷い無く声を上げた。
「——××!」
俺には、そのコールの言葉までは聞き取れなかったし、このタイミングでコールがあるとは思わなかった。けれど、コールをした奴らは知っていたらしい。
まるで、響の合図に引っ張られるように声を出し、それに釣られて周りの客も真似していく。
響はそれを聞いて、満足そうにニコリと笑った。
そしてすぐにサビに入り、華やかで高音を突くようなフレーズが聞こえた。それと同時に、照明が最大まで明るくなった。
……何だ、コレ。
まるでサビに入るまでの一連の流れが“仕組まれていた”ように感じた。
響の曲は——曲“だけ”なら、王道のちょっと華やかなPOP-ロック。けれど、曲の中に最初から客の入る場所が用意されている。……そこがミソだった。
客の手拍子とコールが入った瞬間、その華やかさが一気に膨らむ。音が増えたのではなく、フロアそのものが曲の一部になったみたいだった。
さっきまで、ただ明るかった音が、客の音を吸って、目の前で大きく開いていく。
——ロックなのに、“花”みたいだと思った。
……そう思った自分に、少しムカついた。何でロックを聴いて、しかもよりによって響の曲なんかで、花なんか考えてんだよ、と。
けれど、そうとしか言いようが無かった。“響の音”が“蕾”なら、“客の音”が“水”で、“水”が注がれる度にどんどん膨らんでいく。そんな景色が、気持ち悪いぐらいに脳裏に浮かんで離れなかった。
*
最後のパートに入る頃には、フロアの空気はもう完全に“響のモン”になっていた。
ラストも相変わらず分かりやすい8ビートのまま、軽やかなドラムがタンタンと刻まれていく。重たいはずのベースも、小刻みにジャカジャカと鳴っていて重苦しくない。そして、浅い歪みのギターが弾けるように、その上を踊っていく。
最後のサビで、響はお立ち台に足を立てて身を乗り出した。
——そして、ここぞと言わんばかりに、さっきまでまるでなかった無かったギターソロをぶち込んできた。
「——!?」
ちょっと歪みを掛けつつも、鮮やかな音色のまま指を一気に滑らせる。右手も左手も素早く、絶え間なく動いていて、手の形が読み取れない。
いわゆる“速弾き”なのに、音が汚くない。華やかさを保ったまま、変幻自在に鳴らしている。音の粒が細かくて繊細なのに、時にはちょっとした緩急を大胆に付ける遊び心まであるギターソロであった。
……このタイミングで、そんなんぶっこんでくんのかよ。
俺は呆気に囚われ、ぽかんと口が空いていた。
暫くすると響は上体を起こし、大袈裟に腕を払ってギターソロを弾き切った。
それと同時に、先程と同じように奴の名前が客席から飛んでくる。すると響は“キマッた”と言わんばかりに、歯を見せて笑った。
——その瞬間、俺の中で、大きな花がパッと開いた。
俺がどれだけ音を詰めてもつかめなかったフロアの空気を、響は笑いながら、当然のようにモノにしている。まるで、この景色を見て初めて、“完成形”と言っているかのようだった。
「……これが、“響の音”……」
気付けばつい、そう呟いていた。
歓声が巻き起こる中、拍手も奴の名前を呼ぶことも出来ずに、ただ呆然と立ち尽くしていた。
ちょっと前に活動報告も更新したので、お時間があればそちらもよろしくお願いします!




