迷える音色は闇夜の調べ-1
テストが終わってから、俺は毎日ギターを弾いていた。テスト期間中ほとんど触れていなかったせいで、最初は指が少しだけ重く感じた。けれど弦に触れているうちに、眠っていた感覚が少しずつ戻ってくるのが分かった。
既に作ってあった曲も、何度も作り直した。
一度完成させたつもりの曲をもう一度バラしてみる。リフを変え、構成を組み替える。イントロを削って、別のフレーズを差し込む。そうして作り直した曲を、翌朝もう一度聞き直す。
すると今度は、昨日気付かなかった粗がたくさん見えてくる。
そして結局、また直す。
そんな作業を、何度も繰り返した。
そうして出来上がった曲の中から、最終的に激しめの3曲を残した。
……正直、まだ完璧とは言えない。だが、今の俺が限界まで出せるモノは、この3曲に全部詰め込んだつもりだった。
——そして、8月2日。対バンの日がやってきた。
今日は、その3曲を披露する。どれも歌詞までは付けれず、インスト曲という形になった。だが、俺のギターを聴かせられれば——それでも構わない。
先日、山村に対バンに出る事をメールで話したら、「絶対見に行く」と返って来た。
……俺を目当てに来てくれる奴が一人でもいる。それだけで、少し誇らしい気持ちになった。
「……やってやるぜ」
俺はギターのボディを軽く撫でてから、そっとケースに仕舞った。
*
天神駅を降り、改札を抜けた。
夏休みの土曜日ということもあって、人通りはまあまあ多かった。買い物袋を提げた主婦に、笑いながら歩く若者達。
俺はそんな奴らとすれ違いながら駅構内のコンビニに入り、弁当を買って駅を出た。
駅の南側にある渡辺通りに出ると、見慣れた景色が広がった。
九州最大の繁華街なだけあって、ソラリアステージをはじめとする大型商業施設が並び、人の流れは途切れる事を知らない。
俺はポケットからケータイを取り出し、対バンの会場を確認した。
住所を見る限り、この渡辺通りを真っ直ぐ行って、途中で一本中に入った所にあるらしい。
俺は歩きながら周囲を見回した。
天神のライブハウスと言えば、駅北の親不孝通りの方に集まっているイメージがある。だからこんな場所にあると知って、最初は少しだけ疑っていた。
だが暫く歩いて細い路地に入ると、すぐにそれは見つかった。
古びた雑居ビルの前に、黒い立て看板が立っている。そこに今日のイベント名と、開場時間、開演時間が書かれていた。
——ここか。
俺は足を止めて、ビルをもう一度見上げた。こんな場所にライブハウスがあるなんて、今まで全く知らなかった。
入り口の奥には、地下へ続く細い階段が伸びている。
俺はギターケースを背負い直し、ゆっくりと階段を降りた。
*
ライブハウスに入ると、スタッフの女性が名簿を見ながら声を掛けてきた。
「出演者ですか?」
「はい」
名前を言うと、スタッフは名簿に丸を付けてから奥を指差した。
「立花 奏介さん、ですね。全員集まり次第ミーティングが始まるので、楽屋で待機しておいて下さい」
「分かりました」
俺は頭を下げて、奥の扉に向かった。
楽屋の中は想像していた通り、かなり狭かった。壁際に長机が並び、その上にはペットボトルや荷物が無造作に置かれている。ギターケースも幾つか立て掛けられていた。
既に何組かの出演者が集まっている。
高校生らしい連中が音を出さずにギターを触っているかと思えば、大学生らしい連中がくだらない話で盛り上がっている。ドラムスティックを回している社会人っぽい男もいた。更にその奥では、中学生くらいの女の子がベースを抱えたままケータイを弄っている。
……年齢も、多分ジャンルも、バラバラだ。
俺は思わず肩に力が入った。
すると、部屋の入口から威勢の良い声が聞こえた。
「お疲れ様です!」
振り向くと、ギターケースを背負った男が男性スタッフと話していた。
年は俺と同じぐらいだろうか。明るい茶髪を後ろでまとめていて、ニコニコと笑っている。
「おお、響君じゃないか。今日出るんだな」
「はい。よろしくお願いします」
「流石だね。今日も期待してるよ」
「ありがとうございます!」
……誰だ、アイツ。
随分スタッフと気安く話している。……顔見知りなのか?それとも、ここに何度も出ているのか。
少なくとも、初めてここに来た俺とは確実に空気が違った。
——同じ世代で、こんな奴がいるのか。
俺は呆然と立ち尽くしたまま、茶髪の男をじっと見つめていた。
——その時だった。
「全員揃ったので、ミーティング始めます!」
スタッフの声が響いた瞬間、楽屋の空気が一斉に動いた。
さっきまでだらけていた連中も、背筋を伸ばして立ち上がる。スティックを回していた男も、のしのしとスタッフの後ろに着いて行った。
俺もギターケースを肩から降ろし、静かに楽屋を後にした。
*
ミーティングは簡単なモノだった。出演者が順番に自己紹介をし、進行の説明を聞くだけだった。
それが終わると、いよいよリハーサルが始まった。スタッフによると、出演順に行っていくらしい。
俺は3番目なので、前の出演者のリハが終わるまで楽屋でセッティングシートを書き込むことにした。
先に呼ばれた出演者が、楽器やスティックを手に取り、ステージの方へ向かっていく。
暫くするとバスドラのドッドッという音が響いてきた。どうやらセッティングが終わり、サウンドチェックが始まったようだ。
俺はセッティングシートを書きながら、ぼんやりとその音を聴いていた。
サウンドチェックは、各パート毎に行う。PAの指示に従って、ドラム、ベース、ギター、ボーカルの順に音を出して調整していく。
ボーカルの声が順番に聴こえると、今度は曲の演奏が聴こえた。今度は、全体の音出しだ。俺は思わず手を止め、耳を澄ませた。
——どんな曲なんだろう。
だが——1分もすればすぐに音が止まり、思わず肩の力が抜けた。
……そうだ。
……リハーサルというのは、“曲の練習”をする時間ではない。飽くまでPAが音の調整をするための時間だ。慣れている奴らは、必要最低限の確認だけしてすぐに終わらせてしまうらしい。
「次、立花さんお願いします」
セッティングシートを書き終えると、スタッフに呼ばれた。
——いよいよか。
俺はケースから相棒を取り出すと、楽屋を出てステージへ向かった。
*
ステージに出ると、まず俺はセッティングシートを音響スタッフであるPAに提出した。
それからアンプの前に立ち、セッティングを始めた。
まず、ツマミがゼロの位置になっているかをしっかりと確認する。ギターと接続したら、俺はそっとツマミを掴んだ。
トレブル、ミドル、ベース……そしてゲイン。一つ一つ、家で決めてきた設定に近づけながら、少しずつ回していく。
家の小さなアンプと違い、ライブハウスのアンプは音の出方が全然違う。家のアンプに慣れているせいか、指先がほんの少し震えているのが分かった。
俺は一度ツマミから手を離し、ステージの奥に目を向けた。
ドラムセットに、ベースアンプに、床に置かれたモニタースピーカー。ステージはごちゃごちゃしているのに、今日だけはぽっかり何かが抜けたように、やけに広く感じた。
それもそのはず。今日は——“一人”だからだ。
他の出演者は、バンドで出ている奴も多い。だから、ギター一本でステージに立つ俺は、少し浮いている気がした。
……それに、いつもなら隣に山村が居る。山村のベースがあれば、俺はそれに合わせて音を作れば良い。練習でも、リハでも、本番でも、あの人が横で色々教えてくれた。
——でも、今日は違う。
そう思った瞬間、胃の端がチクリと痛んだ。
……ここに来るまではただ楽しみだったのに。今になって、“孤独”という事実がひしひしと迫ってきた。
「……」
俺はアンプに視線を戻し、ゴクリと唾を飲み込んでからツマミを回した。
「……よし」
全部のツマミを回し終えると、俺はギターを構えた。
すると即座に「ギターお願いします」という声が飛んできた。
「クリーンいきます」
そう言って、俺は歪みの無いクリーントーンでコードを鳴らした。
——ジャーン。
音が空のフロアに広がり、壁に反射して戻って来る。
……やべえ、ちょっと小さかったか。
「もう一回お願いします」
案の定PAにそう言われて、俺は同じコードをもう一度鳴らした。今度は少し強くピックを当ててみる。
「モニター大丈夫ですか?」
俺は足元のモニタースピーカーから返って来る音を注意深く聴いた。
「……すみません、もう少し下さい」
「はい、上げます」
——ジャーン。
音を鳴らすと、モニターから返って来る音が少し大きくなった。
俺は同じフレーズをもう一度鳴らしてみる。
……よし、聴こえる。
「ありがとうございます。次、クランチです」
そう言って、俺は足元のエフェクターを見下ろした。
今回の3曲は音色が多い。だから、リハでは全部の音色を確認しておかないと落ち着かない。
俺はスイッチを踏み、リフを刻む。すると、歪みの無いクリーンから、ほんの少しだけ歪みの効いたトーンに変わった。
低いリフを刻むと、ザッ、ザッという短い音がフロアに響いた。
これを、クランチからディストーションまで、何度も繰り返して確認していく。
「最後、リードです」
俺はそう言って、得意なギターソロのフレーズを弾いた。ここは弾いていて気持ち良いところ。
サステインが伸び、音がフロアの奥まで引っ張られる。
——はずだった。
……あ?
弾いた瞬間、違和感が走った。……高音が、少しだけ硬い。音の伸び方が、どこか引っ掛かる。
俺はすぐに弾く手を止めた。
「すみません、ちょっと待って下さい」
俺はアンプの前にしゃがみ込み、ミドルのツマミをほんの僅かに下げた。ついでにゲインも少しだけ上げた。
そして立ち上がり、もう一度同じフレーズを弾く。すると、さっきよりは滑らかに音が伸びた。
「はい、大丈夫です」
……多分、コレで良い。
だが内心はまだ落ち着かなかった。
「じゃあ曲、お願いします」
PAが言うと、いよいよ曲のリハーサルが始まった。俺は3曲のうち1曲のイントロから始めることにした。
曲が流れた瞬間、俺はギターのリフを走らせる。そこに打ち込みのドラムとベースと重なって、音が一気に厚くなった。
だが数小節進んだところで、いきなりPAの声が飛んだ。
「ギター少し大きいです!」
「……!?あ、すみません!」
俺は慌ててアンプの前に戻り、ボリュームを少し下げた。
「……クソ」
いつも山村と弾いてる時は、こんな事にはならない。
……どうしてだ。どうして、こんなに上手くいかない?
「……今度こそ」
俺はもう一度イントロから弾いた。
心なしか、弦の手触りが、さっきより太く感じた。
——ジャーン。
Bメロまで弾いたところで、PAが言った。
「はい、OKです!」
「ありがとうございました」
礼を言い、再びアンプの前に戻る。俺はポケットからメモ帳を取り出し、アンプの目盛りをメモした。
「……はあ」
思わず、溜息が出てしまった。……こんな所で溜息をつくのは、初めてかも知れない。
……ちょっと時間取らせたな。
俺はケーブルを外し、ギターを抱え直した。腹の底にまだ残っている妙な緊張を振り払うように肩を落とすと、足早にステージを降りて楽屋へ戻った。
作者は音楽知識ゼロなので、リハのシーンはリハの進め方をGoogle先生に聞いたり、ギタリストのYoutubeを見たりして何とか書きました。すんごい大変だった……。
もし有識者の方で“ここおかしいよ”と言うのがあったら、是非教えていただけると助かります。




