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業を鳴らす  作者: 希乃咲 空
1章―2008年〜―
15/22

障壁が孕む連関の長い日-4

「ちょっと休憩しよ?」

年号を確認し続けていたら、黒田が突然言った。時計を見ると、17時を回っていた。

「……もうそんな時間か」

さっきまで数字を投げ合っていたせいか、頭の奥が少し熱い。おまけに肩も凝っていて、いつの間にか前のめりになっていたらしい。

 俺は一度伸びをして、軽く肩を回した。

「何か頼む?」

黒田はメニューを手に取った。

 ページを捲ると情け無い腹の音が鳴って、今更腹の減りに気づいた。

 ……そういえば、ここに来てから何も食ってなかったっけ。


「俺、ポテト食いたい」

サイドメニューのページを開くと、黒田は真っ先にフライドポテトの写真を指差した。

「ポテトか……じゃあ、それにすっか」

俺がそう言うと、黒田が呼び出しボタンを押した。


 少しして店員がやって来ると、黒田がポテトを注文した。

 店員が去って行くと、黒田はルーズリーフを片付けた。



 ポテトが来るまでの、短い休憩。

 俺は背もたれに身体を預けながら、薄くなったコーラを一口飲んだ。すっかり炭酸が抜け、ただの甘ったるい液体と化していた。


「そういえばさ」

突然、黒田が言う。

「立花君って日本史苦手って言ってるけど、日本史以外はどうなの?」

「別に、そこまで苦手じゃない」

俺は答えた。


 ……他の教科は、平均ぐらいだ。良くもないし、悪くもない。飛び抜けてもいないし、落ちこぼれてもいない。

 けれど、日本史だけは別だ。


「そうなんだ。……じゃあ、何で日本史だけ苦手なんだろう」

「やっぱ似た名前ばっかだからだろ」

俺は即答した。

「藤原とか源とか、いっぱいいすぎて訳分かんねえんだよ。みんな名前同じすぎだろ」

すると、黒田は更に質問して来た。

「じゃあ、世界史は?世界史もカールとかルイとか、同じ名前ばっかじゃん」


 ……世界史、か。


「……世界史の方はまだマシだな。こっちは、平均は取れてる」

「何で?」


 ——確かに、何でだろう。


 俺はグラスを手に取り、底に残ったコーラを眺める。氷が跡形も無く溶け切った砂糖水がゆっくりと回った。


世界史(あっち)は——数字で覚えられるからかもな」

俺はぽつりと零した。

「数字?」

「世界史は同じ名前がいっぱいいても、数字で区別できるだろ。1世とか2世とか、囚人番号みたいで楽じゃねえか」

「囚人番号って……」

黒田は呆れた様子で俺をじっと見つめた。


 けれど、すぐに口元を緩めてフフッと笑った。

「やっぱ立花君って、面白いね。そんな発想する人、初めて見たよ」

「……そうかよ」


「でも——」


「立花君って、数字に強いのかもね。さっきの年号も凄かったし」


 ——数字に強い?


 そんな事、考えた事が無かった。ただ、年号は名前よりマシなだけだと思っていた。

 けれど、さっきの感覚を思い出す。問いかけられた瞬間に、勝手に浮かび上がる数字。詰まらないし、途切れないあの感覚は、確かに気持ち良かった。


「……かもな」

俺はもう一口、コーラを飲んだ。薄い砂糖水が、喉をゆっくりと通っていく。

 俺はグラスを置きながら、ぽつりと言った。


「あと、和風なモノが駄目っつーのも、日本史が苦手な理由かもな」


 それを聞いた黒田は、ポカンとしながら瞬きをした。

「和風?」

「……ああ。何つーか……着物とか和室とか、あの古臭い感じがどうも苦手なんだよ。堅苦しくて、落ち着かねえ。……ま、和食は好きだけどよ」


 そう口に出した瞬間、ふと昔の記憶が蘇った。


 まだ俺が小学校に上がる前の頃——母の実家に訪れた俺は、祖父に連れられて三番叟(さんばそう)を見に行った。


 舞台の上でゆっくりと、ぎこちない動きを繰り返す演者達は白い面で顔が隠れていて、表情が読めなかった。

 演者は不気味な(ふし)をつけて何かを言っているが、何を言っているのかさっぱり分からなくて、怖かった。

 低い太鼓の音と、甲高く擦り切れるような笛の響き——鈴の音でさえ、何もかもがおどろおどろしかった。


 幼い俺は恐怖のあまり祖父に帰りたいと何度も訴えたが、祖父は「大丈夫だ」とだけ言って、帰らせてくれなかった。


 ——それ以来だ。俺が和風なモノが苦手になったのは。


 着物を見ると、目を逸らしたくなる。和室に入れられると、妙に落ち着かない。

 音楽が好きな俺でも、和楽器の音だけはどうしても聴くことが出来ない。……少しでも耳に入れば、背筋がゾクっとして耳を塞ぎたくなる。……想像もしたくない。


 だから、日本史の教科書を開くと、あの日の残響みたいなモノがどこかで鳴りそうで、つい閉じたくなってしまう。


 俺はその記憶を振り払うように、グラスを回した。


「……だから、古典もあんまり好きじゃなかったりする」


 俺がそう言うと、黒田は少し考えてから柔らかく言った。


「もしかしたら日本史は和風だからって毛嫌いしてるせいで、余計に苦手意識が強くなってるのかもね」

責める訳でも、笑う訳でもない口調。

「でもさ、立花君の場合は覚える事自体が苦手な訳じゃないと思うよ。さっきの年号、見てたら分かる」


「……」


 俺は何も言わなかった。

 ちょうどその時、厨房から油の匂いがほんのりと漂った。



「お待たせ致しました」

店員がテーブルに皿を置くと、湯気と一緒に油の匂いが一気に広がった。細長いポテトが山のように積まれ、表面には塩が細かく光っている。

「んー、美味(うま)い!」

黒田はさっそくポテトを頬張り、子供のように顔を綻ばせている。

 俺も一本摘まみ上げて口に入れると、ピリッと舌に熱が伝わった。咀嚼すると外側がカリッっと音を立てて割れた。中はホクホクと柔らかく、塩気が口いっぱいに広がった。


「勉強した後のポテトって最高だよね」

黒田の手は止まらず、次々とポテトを口に運んでいく。

「そうだな」

俺はもう一本ポテトを口に入れた。


 すると黒田はポテトを頬張りながら、さっきの話を思い出したように言った。

「まあでも、和風苦手ってのもある意味個性じゃない?」

「……そうか?」


 ……“苦手”が“個性”って何だよ。


 黒田はコーラをごくりと飲んでから続けた。

「何が好きで、何が駄目とか色々あるけど……それって“その人らしさ”の一部じゃん?」

「……まあな」

「俺は、個性ってどんなに些細な事でも、捉えようによっては何でもアリだと思うんだ。……悪く言えば、モノは言いようって事にもなるけど」

黒田はグラスをテーブルに置いた。

「個性って、そんな大袈裟なモノじゃないでしょ。数字に強くて、和風が苦手って“偏り”も、立花君らしさじゃない?」


 ——“偏り”。

 俺はその言葉を頭の中で転がした。


 “偏り”が“俺らしさ”……か。


「……お前さ、前から思ってたけど……たまにサラっとクサい事言うよな」

俺が言うと、黒田はポテトをまた一つ口に入れてから言った。

「それも“個性”ってことで」


「……相変わらずだな」

そう答えながら、俺もポテトを摘まんだ。


 気が付けば、皿のポテトはもうほとんど無くなっていた。


 *


 それから何日も経ち、日に日にテストが迫ってきた。


 教室の空気が、少しずつ変わっていく。

 いつもは騒がしい奴らも、休み時間になると教科書を開くようになった。背面黒板には、各教科のテスト範囲を示した紙が何枚も貼られるようになった。


 俺と黒田は相変わらず放課後にファミレスへ向かった。

 年号の確認、用語の整理——それを繰り返していくうちに、最初は解けなかった問題集も、次第に赤丸が増えていった。マーカーのインクが少し薄くなっているのを見て、思ったよりも使っていたことに気づく。



 そして、テスト前日の夜。

 机の上には、色んな色で埋まったノートが開いている。ページを捲ると、整然と並ぶ年号が目に入った。


 ……和の単語は、やっぱり好きにはなれない。けれど、何度も書き込んだこのノートだけは閉じたくなる気はしなかった。


 俺はシャーペンを置き、時計を見上げると、針は23時を指していた。もうすぐ日付が変わる。

 俺は筆箱とノートを鞄に入れ、電気を消した。


 ——いよいよ、明日。


 俺は柔らかい布団に身体を沈めると、頭の奥に数字が並んだ。


 701、708、710——。


 途切れずに浮かび続けるそれを数えているうちに、いつの間にか俺の意識は静かに沈んでいた。

来週から、週1回を目安に不定期更新とさせていただきます。

これまでより更新ペースは下がりますが、その分皆様にたくさん楽しんでいただけるお話をお届けできるよう、1話1話時間をかけて丁寧に綴っていきますので、今後とも何卒よろしくお願いいたします。

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