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業を鳴らす  作者: 希乃咲 空
1章―2008年〜―
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志道が孕む障壁の兆し-2

 俺は家に着くなり、すぐに今日の戦利品を鞄から出した。


 まずは、矢神のアルバム。

 黄色い袋からケースを取り出し、机の上にそっと置く。次に、パソコンを起動してディスクを取り込み、ウォークマンに転送する。これは、新しくCDを買った時に必ずやる儀式だ。急ぐ気持ちを抑えながら、しっかり手順に従って進める。



 そして、数分後。

 《機器への転送が終わりました》の文字が画面に浮かび上がり、俺はウォークマンを外した。


 ——いよいよだ。


 黒宴のギタリストとしての矢神じゃない、“矢神一人”の音。


 俺はイヤホンを付け、ウォークマンの再生ボタンをカチリと押した。


 次の瞬間。耳元から張り裂けるようなギターの音が流れ出した。


 ——何だ、コレは。


 思わず肩が跳ねた。


 それは、獣が威嚇をしているかのような低音だった。重たい音色が、腹の奥に直接叩き込まれる。弦が弾かれる度に、俺の内臓が強く掴まれ、揺さぶられるかのような感覚に陥る。


 遠くでサイレンのようなシンセが鳴っていて、危険な匂いがする。メタルなだけあって、ピッキングも激しくて速い。まるで、夜の高速を爆走するバイクのエンジン音のように一直線だ。


 そこに、それに矢神のデスボイスが重なった。


《Fuck your pride. Fuck your lies.

 Rotten memory screaming in me, I don’t need your mercy.》


 歌詞カードで見ればただの”文字”だ。なのに、矢神が吐き出すと、その言葉が鋭い牙を持つ。


 でも、それだけじゃなかった。

 ただ、“荒れてる”だけじゃない。荒れてるのに、どこか気品がある。


 荒々しく刻まれたリフと、サイレンのような打ち込み音の隙間から、粒の細かいストリングスがぐっと広がった。


《I swore I’d never be like you.

 But I see your shadow breaking through.》


 メロディも、歌詞も、激しさを保ったまま徐々に研ぎ澄まされていく。荒いのに、崩れていない。“威嚇”の中に冷たい月光のような“美しさ”が見え隠れする。


 ——こんな曲、初めてだ。


 矢神はバンド内で一番荒っぽいメンバーだ。黒宴自体もかなり重たく刺々しいメタルバンドだが、暗い教会のような空気を纏った、シンフォニックなメタルだ。


 このソロ曲は、矢神の荒さを軸に置きつつも、黒宴の残り香をきちんと匂わせている。

 荒さと耽美が喧嘩していない。ちゃんと“掛け算”になっている。……常人には到底真似出来ない業だ。


 ——これが、矢神の世界観。


 唯一無二の世界観だ。


 *


 最後のサビが終わり、イヤホンの中に静寂が戻った。さっきまで暴れていた重低音の余韻が、まだ耳の奥で鳴っている気がして、すぐには動けなかった。


 やがて、ゆっくりとウォークマンを机に置き、パソコンに視線を向けた。


 フォルダの中には、俺が作った未完成のメタルが幾つも並んでいる。昨日までは、そのファイルの並びを見るだけで少し誇らしかった。


 俺はそのうちの一つを再生した。


「……」


 イントロのギターは悪くない。コード進行も、フレーズも、全部自分なりに必死で考えた。打ち込みのベースもドラムも、それなりに形にはなっている。


 だが——さっきの音を聴いた直後だと、何かが決定的に足りない。


 感情も、勢いもある。でも、それだけだ。

 ギターと、打ち込みの楽器に、無難なシンセ。

 曲としては成り立ってるが、誰でも書けるような曲だ。矢神のような唯一無二さは、全く無い。


 ——俺じゃなくても良い。

 その事実がぐさりと刺さった。


 昨日まで楽しんで作っていた曲なのに、今日聴いたら“子供の落描き”のように感じてしまう。キャンバスに線は引けている。けれど、その線は無造作で“意味”を持っていない。


「……クソ」


 俺は椅子から立ち上がり、もう一つの戦利品——さっき買った分厚い教本を手に取った。

 ページを開くと、転調、構成、コード進行……専門的な用語がたくさん並んでいる。


 もちろん、俺がまだ知らないこともたくさん載っている。

 でも、この“物足りなさ”は——この本に載っているような理屈だけで解決する気がしなかった。


 矢神の音には、音の中に“矢神本人”が居た。荒れ方も、世界観も、全部があの人だけのモノだった。

 でも、俺の音には、俺が居ない。


 ——てか、”俺らしさ”って何だよ。


「……じゃあどうすりゃあ良いんだ」


 俺は再びパソコンのキーボードに手を伸ばすと、無意識のうちに叩いていた。


《メタル オリジナル 作曲 コツ》


 検索バーに入力し、エンターキーを押すと幾つものブログが並んだ。だが、どれも教本に載っている基本的な理論ばかりだ。


 ——違う。そうじゃない。

 俺が欲しいモノは、そういう“正解”や“最適解”じゃない。



 暫く画面をスクロールしていると、見慣れたオレンジ色のロゴが目に入った。

 mixiだ。


 俺はいつものようにログイン画面を開いた。特に目的があった訳ではない。ただ、地元のバンドの動きをここで追うのが癖になっているだけだ。


 福岡バンドコミュニティを開き、新着トピックを流し見する。



 正直、半分は惰性だ。どうせまた、コピーバンドのライブか、身内ノリイベントの告知ばかりだろう。



 そう思っていたその時、マウスを動かす手がふと止まった。


《8/2 若手オリジナル限定対バンLIVE 出演者募集》


 ——若手。オリジナル限定。


 誰かの音をなぞるような、コピーバンドでも、サポートでもない。アマチュアでも、自分の音で勝負できる場所。


 ここに行けば、他の奴らの曲も聴ける。俺と同じバンドマンの卵が、どうやって、どんな音を鳴らしているのかが分かる。

 しかも、俺の曲を色んな人に聴いて貰える。俺の曲が、どれだけ通用するのか、どれだけ物足りないのか、ハッキリする。


 もしかしたら——俺が探している“俺の音”のヒントが、ここにあるのかも知れない。


 俺はカレンダーを確認した。

 今は6月。急いで準備すれば、当日には何とか間に合う。しかも、8月は夏休みだ。


 ——出よう。


 そう決めた瞬間、胸の奥が急に熱を帯びた。8月なんてまだ先なのに、もうステージに立ったような高揚感を覚えた。


 俺はパソコンの画面をそのままにして、バタバタと部屋を出て階段を駆け下りた。


 *


「なあ、8月2日、ライブ出たいんだけど」

台所で夕飯の支度をしている母に、俺は言った。

「8月2日?」

母は包丁を動かす手を止め、こちらを見る。

「若手だけの対バンでさ。……俺が作った曲を弾けるんだ」

なるべく平静を装って言ったつもりだが、僅かに声が震えた。

 母は「へえ」と呟き、コンロの火を弱めた。


「別に出るのは良いけどさ……あんた、補習は大丈夫なの?」


「……は?」


 一瞬、何を言われたか分からなかった。


「8月の頭に補習あるんでしょ?あんた、最近日本史の点数低いけど、期末で赤点取ったら補習なんでしょ?」

「……あ」


 俺は急いでリビングのサーフボードから年間行事予定のプリントを引っ張り出した。

 そして、8月のスケジュールを目で追った。


《8/1~8/3:補習(9:00~12:00)》


 次に俺は、ポケットからガラケーを取り出し、さっきの対バンの詳細を開いた。

 そこには、しっかりとこう書かれていた。


《当日昼リハ必須。11時集合。》


 補習は9時から12時。

 ……もし補習になれば、昼リハには間に合わない。


 いや、補習に呼ばれなきゃ良い。ただそれだけの話だ。

 でも日本史は……ここ最近の小テストの点数が、嫌でも浮かんだ。事実、中間試験は日本史だけが学年ビリに近かった。


「本当に大丈夫なの?今のままだと、多分呼ばれるよ」

「……」


 俺はケータイを握りしめたまま、暫く動けなかった。


 ——対バンに出たい。でも、補習に呼ばれたら終わりだ。


 まだ、応募はしていない。けれど、一度出たいと思ったからには、簡単に諦めがつく気がしなかった。


「……やべえ」


 額の血の気が、一気に引いていくのを感じた。

 俺は初めて、本気で追い詰められていることを自覚した。

■矢神

【年齢】夢を売る仕事のため非公表

【誕生日】2/8

【肩書】黒宴-kokuen-ギタリスト

【好き】めんべい

【嫌い】クッキー、ビスケット

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