志道が孕む障壁の兆し-2
俺は家に着くなり、すぐに今日の戦利品を鞄から出した。
まずは、矢神のアルバム。
黄色い袋からケースを取り出し、机の上にそっと置く。次に、パソコンを起動してディスクを取り込み、ウォークマンに転送する。これは、新しくCDを買った時に必ずやる儀式だ。急ぐ気持ちを抑えながら、しっかり手順に従って進める。
そして、数分後。
《機器への転送が終わりました》の文字が画面に浮かび上がり、俺はウォークマンを外した。
——いよいよだ。
黒宴のギタリストとしての矢神じゃない、“矢神一人”の音。
俺はイヤホンを付け、ウォークマンの再生ボタンをカチリと押した。
次の瞬間。耳元から張り裂けるようなギターの音が流れ出した。
——何だ、コレは。
思わず肩が跳ねた。
それは、獣が威嚇をしているかのような低音だった。重たい音色が、腹の奥に直接叩き込まれる。弦が弾かれる度に、俺の内臓が強く掴まれ、揺さぶられるかのような感覚に陥る。
遠くでサイレンのようなシンセが鳴っていて、危険な匂いがする。メタルなだけあって、ピッキングも激しくて速い。まるで、夜の高速を爆走するバイクのエンジン音のように一直線だ。
そこに、それに矢神のデスボイスが重なった。
《Fuck your pride. Fuck your lies.
Rotten memory screaming in me, I don’t need your mercy.》
歌詞カードで見ればただの”文字”だ。なのに、矢神が吐き出すと、その言葉が鋭い牙を持つ。
でも、それだけじゃなかった。
ただ、“荒れてる”だけじゃない。荒れてるのに、どこか気品がある。
荒々しく刻まれたリフと、サイレンのような打ち込み音の隙間から、粒の細かいストリングスがぐっと広がった。
《I swore I’d never be like you.
But I see your shadow breaking through.》
メロディも、歌詞も、激しさを保ったまま徐々に研ぎ澄まされていく。荒いのに、崩れていない。“威嚇”の中に冷たい月光のような“美しさ”が見え隠れする。
——こんな曲、初めてだ。
矢神はバンド内で一番荒っぽいメンバーだ。黒宴自体もかなり重たく刺々しいメタルバンドだが、暗い教会のような空気を纏った、シンフォニックなメタルだ。
このソロ曲は、矢神の荒さを軸に置きつつも、黒宴の残り香をきちんと匂わせている。
荒さと耽美が喧嘩していない。ちゃんと“掛け算”になっている。……常人には到底真似出来ない業だ。
——これが、矢神の世界観。
唯一無二の世界観だ。
*
最後のサビが終わり、イヤホンの中に静寂が戻った。さっきまで暴れていた重低音の余韻が、まだ耳の奥で鳴っている気がして、すぐには動けなかった。
やがて、ゆっくりとウォークマンを机に置き、パソコンに視線を向けた。
フォルダの中には、俺が作った未完成のメタルが幾つも並んでいる。昨日までは、そのファイルの並びを見るだけで少し誇らしかった。
俺はそのうちの一つを再生した。
「……」
イントロのギターは悪くない。コード進行も、フレーズも、全部自分なりに必死で考えた。打ち込みのベースもドラムも、それなりに形にはなっている。
だが——さっきの音を聴いた直後だと、何かが決定的に足りない。
感情も、勢いもある。でも、それだけだ。
ギターと、打ち込みの楽器に、無難なシンセ。
曲としては成り立ってるが、誰でも書けるような曲だ。矢神のような唯一無二さは、全く無い。
——俺じゃなくても良い。
その事実がぐさりと刺さった。
昨日まで楽しんで作っていた曲なのに、今日聴いたら“子供の落描き”のように感じてしまう。キャンバスに線は引けている。けれど、その線は無造作で“意味”を持っていない。
「……クソ」
俺は椅子から立ち上がり、もう一つの戦利品——さっき買った分厚い教本を手に取った。
ページを開くと、転調、構成、コード進行……専門的な用語がたくさん並んでいる。
もちろん、俺がまだ知らないこともたくさん載っている。
でも、この“物足りなさ”は——この本に載っているような理屈だけで解決する気がしなかった。
矢神の音には、音の中に“矢神本人”が居た。荒れ方も、世界観も、全部があの人だけのモノだった。
でも、俺の音には、俺が居ない。
——てか、”俺らしさ”って何だよ。
「……じゃあどうすりゃあ良いんだ」
俺は再びパソコンのキーボードに手を伸ばすと、無意識のうちに叩いていた。
《メタル オリジナル 作曲 コツ》
検索バーに入力し、エンターキーを押すと幾つものブログが並んだ。だが、どれも教本に載っている基本的な理論ばかりだ。
——違う。そうじゃない。
俺が欲しいモノは、そういう“正解”や“最適解”じゃない。
暫く画面をスクロールしていると、見慣れたオレンジ色のロゴが目に入った。
mixiだ。
俺はいつものようにログイン画面を開いた。特に目的があった訳ではない。ただ、地元のバンドの動きをここで追うのが癖になっているだけだ。
福岡バンドコミュニティを開き、新着トピックを流し見する。
正直、半分は惰性だ。どうせまた、コピーバンドのライブか、身内ノリイベントの告知ばかりだろう。
そう思っていたその時、マウスを動かす手がふと止まった。
《8/2 若手オリジナル限定対バンLIVE 出演者募集》
——若手。オリジナル限定。
誰かの音をなぞるような、コピーバンドでも、サポートでもない。アマチュアでも、自分の音で勝負できる場所。
ここに行けば、他の奴らの曲も聴ける。俺と同じバンドマンの卵が、どうやって、どんな音を鳴らしているのかが分かる。
しかも、俺の曲を色んな人に聴いて貰える。俺の曲が、どれだけ通用するのか、どれだけ物足りないのか、ハッキリする。
もしかしたら——俺が探している“俺の音”のヒントが、ここにあるのかも知れない。
俺はカレンダーを確認した。
今は6月。急いで準備すれば、当日には何とか間に合う。しかも、8月は夏休みだ。
——出よう。
そう決めた瞬間、胸の奥が急に熱を帯びた。8月なんてまだ先なのに、もうステージに立ったような高揚感を覚えた。
俺はパソコンの画面をそのままにして、バタバタと部屋を出て階段を駆け下りた。
*
「なあ、8月2日、ライブ出たいんだけど」
台所で夕飯の支度をしている母に、俺は言った。
「8月2日?」
母は包丁を動かす手を止め、こちらを見る。
「若手だけの対バンでさ。……俺が作った曲を弾けるんだ」
なるべく平静を装って言ったつもりだが、僅かに声が震えた。
母は「へえ」と呟き、コンロの火を弱めた。
「別に出るのは良いけどさ……あんた、補習は大丈夫なの?」
「……は?」
一瞬、何を言われたか分からなかった。
「8月の頭に補習あるんでしょ?あんた、最近日本史の点数低いけど、期末で赤点取ったら補習なんでしょ?」
「……あ」
俺は急いでリビングのサーフボードから年間行事予定のプリントを引っ張り出した。
そして、8月のスケジュールを目で追った。
《8/1~8/3:補習(9:00~12:00)》
次に俺は、ポケットからガラケーを取り出し、さっきの対バンの詳細を開いた。
そこには、しっかりとこう書かれていた。
《当日昼リハ必須。11時集合。》
補習は9時から12時。
……もし補習になれば、昼リハには間に合わない。
いや、補習に呼ばれなきゃ良い。ただそれだけの話だ。
でも日本史は……ここ最近の小テストの点数が、嫌でも浮かんだ。事実、中間試験は日本史だけが学年ビリに近かった。
「本当に大丈夫なの?今のままだと、多分呼ばれるよ」
「……」
俺はケータイを握りしめたまま、暫く動けなかった。
——対バンに出たい。でも、補習に呼ばれたら終わりだ。
まだ、応募はしていない。けれど、一度出たいと思ったからには、簡単に諦めがつく気がしなかった。
「……やべえ」
額の血の気が、一気に引いていくのを感じた。
俺は初めて、本気で追い詰められていることを自覚した。
■矢神
【年齢】夢を売る仕事のため非公表
【誕生日】2/8
【肩書】黒宴-kokuen-ギタリスト
【好き】めんべい
【嫌い】クッキー、ビスケット




