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ラウロの声によって我に返ったニコラが走り出そうとしたが、ヴェインが叫び始めた。
「行かせない、行かせないぞ、ニコラ! 初物ではなくても、誰とも番になっていないのなら、お前はまだ価値があるはず――!」
再びニコラを捕まえようと手を伸ばしたヴェインだが、その手は青い光に弾かれた。ニコラを守るように薄い膜が張っているようで、それはまるで結界にも思えた。
「今ならまだ間に合う! 行きましょう、ニコラ!」
ローブのフードが取れ、ニコラの腕を引くラウロの首筋に刻まれている『狼と剣』の紋章を見て、じわりと涙が浮かんだ。
レイヴンたちと合流したあの日、二人は契約を解除できなかったのだ。どうしてもまだ繋がっていたいとニコラが申し出て、それをラウロが受け入れた。先ほどヴェインを弾いた光はニコラの下腹部に浮かんでいる守護印によるものだと分かったのは、お腹の奥がじんわりと温かくなったからだ。
「殿下! 先ほどの光で警備たちが戻ってきています!」
「時間がない! ニコラ、契約解除の呪文を!」
目的の船は港の側を通過しようとしている。こちらの企みに気づいて戻ってきたリンメロ王国の騎士たちをレイヴンが倒す中、ラウロに手を引かれながら走るニコラは奴隷契約を解除する呪文を口にしようとした。
「ほ、星の導きに、より――」
星の導きにより結ばれし契約、今ここに解き放つ。
たったこれだけの言葉が言えなくて、ニコラの瞳からはボロボロと涙がこぼれ落ちる。当初の作戦通り船上からロープが放たれ、あとはそれに捕まれば、この大陸から逃げられるのだ。でも、ニコラは迷ってしまった。
「――しっかりしろ、ニコラ! 新しい人生を見つけて歩むと決めたんだろう! 新たな土地で幸せになる権利があなたにはある……! だからどうか……っ、俺のことは忘れて、生きてください!」
迷いが生じているニコラの背中を押そうとラウロが声を荒げる。ニコラは「後ろはもう振り向かない」と決めたのに、頭に思い浮かぶのはこれまでのラウロとの日々。初めて誰かを好きだと感じ、この胸に抱く気持ちを愛だと知った。
そんなラウロとの別れを、自分の人生の一部にはしたくないという思いのほうが、勝ってしまったのだ。
「い、言えない……行けない……! ラウロのことを愛してるのに、そのことを忘れてなんて、生きていけない!」
早くロープを掴んで!
殿下、どうなさいますか!
というレイヴンたちの声が聞こえる中、見つめ合うニコラとラウロはまるで二人だけが世界から切り取られてしまったかと思えた。
涙を流しながら、紋章の浮かぶ手首を押さえているニコラをラウロはじっと見つめる。そしてゆっくりと片手を上げスッと横に動かすと、ニコラたちを追っていた騎士たちの動きが静止していた。
「レイヴン、急いで全員捕えよ! 船はそのまま出航してくれ!」
ラウロの魔法により、一時的に動きが制限された者たちをレイヴンたちが慌てて拘束する。ニコラを乗せるために港の近くにいた船には出航命令を出し、ニコラは船に乗ることはなく陸に残ることを決意した。
リンメロ王国の騎士やウルガル帝国の獣人、そしてニコラの兄・ヴェインも拘束された。一部始終を見ていた街の住人たちには忘却魔法をかけ、捕虜を連れてニコラたちはアトラ王国をそそくさと後にした。
「今後は、魔力検知をされたと考えて動くほうがいいだろうな。街の住人には忘却魔法をかけたが、王宮の者たちは無理だ。アトラの国王がウルガルと繋がっているのなら、見つかるのも時間の問題だな」
アトラ王国を出てすぐに廃村を見つけたので、そこを拠点とした。捕虜たちには魔法をかけて眠らせ、これから新たな作戦を考えることとなった。
「これから、どこを目指すかという話になるが――」
そう言いながらラウロがニコラを見つめる。二人の目的はアトラ王国の港からニコラを逃し、そのあとはラウロが一人でウルガル帝国へ向かうはずだった。
ニコラが留まったことでラウロの計画は崩れることになり、自分の衝動的な行動のせいだと肩を落としたが、ラウロがそっとニコラの肩を抱いた。
「……自分だけではなくて色んな人の自由のために、ウルガルの皇帝を倒したい。この大陸に、また穏やかな時間が戻ってきてほしい」
ニコラが呟くと、ふっと小さな笑い声が聞こえた。顔を上げると、愛おしそうにニコラを見つめるラウロと目が合う。彼はふんわり微笑みながら「俺も同じ気持ちです」と頷いた。
「俺たちの目的は最初から一つ。ウルガルの皇帝を倒す――そして、ミンフティを再建する。これが今の俺の願いだ」
ラウロの言葉にレイヴンをはじめとするミンフティの騎士たちは涙ぐみ「どこまでも殿下についていきます……!」と、再度ラウロに忠誠を誓った。




