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竜の娘  作者: るり子
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花畑(中)

 腕が、熱い。刃物をまともに受けたのはいつぶりだっただろうか。


 思わず刃物だと言ってしまったが、それはまごうことなき爪であった。爪で傷つけられたなんて、幼稚園児じゃあるまいし。だが子どもがケンカして引っ掻いて怪我なんかした場合は先生は保護者に頭を下げて謝らなければならないのだから全くもって凶器だろう。


 しかしここまでいくと少女の爪はナイフよりも都合のいい刃物としか言いようがなかった。


 龍郎の右腕の袖を見事に引き裂き肉を抉った。血が徐々に滲んでいくのと同時に、熱で誤魔化していた痛みがジクジクと迫り来る。



「た、たつろう……どうして……?」


 少女は混乱して数歩後ずさった。踵に花が押し潰される。

 少女は目の前にいる邪魔者を攻撃した……筈なのに、傷ついたのは愛する者であった。龍郎はあの邪魔者を(かば)ったのだ。自らが傷つくことを知っていても。そして結果として少女が彼を傷つけた。



 前に殴られたとき、鱗で防御し拳を傷めさせたのとはわけが違う。敵意の無いものを、一方的に、傷つけた。


 あれ? じゃああの邪魔者を傷つけようとしたことも間違いだったんじゃないか?

 彼も自分に敵意が無かったんだから。そのうえ助けまで求めていたんじゃなかったのか?

 自分にとって都合のいい存在じゃないだけで傷つけようとしたのか?



 何が「乱暴なことはしたくない」だ。

 少女が。


 わたしが一番そうじゃないか!



 指先に血のぬめりと温かさを感じる。

 やってしまった。

 それが頭の中をぐちゃぐちゃに掻き回す。


 世界中の罪を全て浴びても、この一瞬を超えるものは無いだろう。これがたとえ、事故であっても。


 

 蘇るは過去の記憶。

 使命を忘れた竜の記憶。

 愛を裏切った女の記憶。



 また。また、罪を重ねた。


 龍郎の命に別状は無いだろう。



 ―――それでも、それでもわたしは()()愛するものを傷つけた! 無抵抗な者を傷つけた!


 結局いつまで経っても自己中心的なのだ! どこまでもどこまでも、永久に、永遠に、自分のことしか考えられない。相手の気持ちなど汲み取る気さえ無いのだ!



 なんて罪。

 一体どれほどの罰を受ければ許されるのだろうか。

 許される機会すらもまた泥に沈めてしまった!


 いまならば求められれば血の海すら飲み干してみせよう。

 千の針を自ら身体に突き刺してみせよう。

 

 わたしが、わたしが望んでやってみせるというのに、それすら叶わない!

 


 ああ!

 愛する決意など、わたしにははじめから存在しなかった!




「―――お嬢ちゃん!!」



 花弁が舞う。


 少女は、自分の両肩ががっちりと掴まれているのを感じた。袖が裂け、血が滴る……それでも男らしい腕。



「……たつろう……?」


 少女の全身は、固く黒い鱗に覆われつつあった。

 人型の竜。

 それ以上に相応しい言葉は無い。


 一体どれくらいの時が経ったのか少女には理解できなかった。百万年かも知れないし、瞬きする一瞬かも知れない。

 だが彼の腕の状態と風が吹く白い花畑があることに気付くと、それほどまで時間は経っていないようだった。


「お嬢ちゃん……俺は、俺は大丈夫だ。落ち着いてくれ」



 龍郎は内心かなり焦っていた。少女の身勝手な行動による怒り、それよりも遥かにこの少女の形をした化物がなす理解不能な行動をいかに押しとどめるかが重要だった。


 龍郎は中田を庇い腕を引き裂かれた。それは、少女の殺気が一人の人をたやすく殺しうる―――そこまでのレベルのものだったから。庇うことがなかったら恐らく中田の頸動脈はプツリ。やられていただろう。

 それに文句をつけようかと少女を見ると。


 いかにも絶望という表情で、顔が、身体が漆黒の鱗で次々覆われてゆく。額には自分をかつて縛り上げたあの忌まわしき赤の瞳―――


 まずい予感しかしなかった。


 

「大丈夫。大丈夫だから。……お嬢ちゃんは悪くない」

(そんなこと微塵も思ってないくせに)


「……ほんとに? ほんとうに、わたし、悪くない? たつろうを傷つけたんだよ?」

「ああ。全く怒ってもいないさ。だから……大丈夫だ」

(全く茶番だ)



「許して……くれるのね」

 

 安心したように、少女の額の赤い瞳が閉じる。黒い鱗も、もとの面積に落ち着きつつあった。


 龍郎もまた余計なトラブルが無かったことに胸を撫で下ろす。

 彼にとって少女はいつ爆発するかもわからないガラスの爆弾だった。

 


 少女は何も言わず、花畑の奥へ駆けてゆく。

 ただ小さく「ごめんなさい」。そう唇が動いたように見えた。


 後ろ姿は幼いはずなのに、人生の悲しみを背負った、朝日を煌めかす冷たい雫のような美しき婦人に見えた―――のは気のせいだろう。

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