第544話 魔力0の大賢者、騒動を収めきれない
「馬鹿な――影竜までもが倒されるなんて……!」
バジルの肩がワナワナと震えていた。
切り札のはずだった影竜が消えたことで、完全に平常心を失っている。視線は宙を彷徨い、足元すらおぼつかない。
――だからだろう。
すぐ後ろまで近づいている“それ”に、全く気づいていなかった。
――ガブッ。
「ぎ、ギャァアアアァアアァッ!!」
乾いた音と共に、バジルの絶叫が響く。
バジルの背後に迫った大きなクマのぬいぐるみが彼の頭に噛みついていた。綿が詰まっているとは思えないほどの咬合力で、ギリギリと締め上げている。
その上には、満面の笑みを浮かべた少女。
Sクラスのベアだ。
「マゼル~。こいつ誰~? 悪い子~? クマちゃんに食べさせていい?」
ぬいぐるみの耳を掴みながら、楽しそうに首を傾げる。
「ベア。もう噛みついてるだろう」
ラクナが呆れたように肩をすくめる。
確かに、バジルの出血はさっきより悪化してる気がする。
「私はマゼルに聞いたの!」
ベアは頬を膨らませ、じっと僕を見る。
「えっと……悪い子なのは確かだけど」
一瞬、視線を逸らす。
「食べるのはおすすめしないかなぁ……」
「うん! そうだよね!」
ぱっと表情が明るくなる。
「お腹壊しそうだし! クマちゃん、ペッしなさい」
言われた通り、クマが首を左右に振る。
べちゃり、と音を立ててバジルが地面に吐き出された。
数回転がり――そのまま動かなくなる。
どうやら完全に気絶したみたいだね。
「悪い子やっつけたよ~マゼル~! 褒めて褒めて~!」
ベアがぴょんぴょん跳ねながら迫ってくる。
「えっと、うん。凄いよベア」
「言葉だけじゃ嫌~!」
ぐいっと顔を寄せてくる。
「私とクマちゃん、ちゃんと撫でて~!」
差し出される二つの頭。
……とりあえず、クマのぬいぐるみを撫でる。
ふわふわしている。普通に触り心地がいい。
すると――
ベアもにこにこと笑いながら、自分の頭をぐいっと差し出してきた。
えっと、これは一緒に撫でる流れ?
少し躊躇っていると――
ぞわり、と背筋に寒気。
「ベア。一体何をしているのかしら?」
静かな声。
ベアが振り向いた瞬間、彼女の体がふわりと持ち上がる。
イスナだ。
その横には、じっとこちらを見つめるクイスの姿もある。
「イスナ~! 下ろしてよ~! まだマゼルに撫でてもらってないのに~!」
「マゼル様の独占は禁止ですよ」
イスナがにこやかに、しかし有無を言わせぬ口調で告げる。
「え~! いやだ~!」
じたばたと暴れるベア。
……うん、元気だね。
そんなやり取りを見ていると――
「マゼル~~~!!」
上空から元気な声。
見上げる。
ビロスが手を振りながら飛んできていた。
……いや、待って。
その背中――羽、出てる。
まずい。
「……今、何か聞こえなかったか?」
「空の方から……?」
アズールとガロンが空を見上げようとする。
――まずいまずいまずい。
「い、いやそれより――あっち見て!」
咄嗟に指差す。
「向こうの空! 箒に乗った魔女が飛んでる!」
「マジか!?」
「どこどこ~!?」
一斉に視線が逸れる。
――よし、成功。
ホッとしたその瞬間。
「マゼル~♪」
「わっ!?」
衝撃。
ビロスがそのまま僕の胸に飛び込んできた。
……近い。近い近い。
「ビロス、その羽! 羽をしまって!」
「あ、そっか!」
ぱたん、と羽が消える。
よかった……。
一応、ビロスは“人として”学園に通ってるからね。
「マゼル~。悪い奴らはやっつけた?」
「あ、うん。多分もう大丈夫だと思うけど……」
「本当?」
顔をぱっと輝かせる。
「それならマゼル! ビロスと子作りしよ♪」
「えぇッ!?」
「んなッ!?」
「な、なななななななッ!?」
僕の声と、ラーサとイスナの悲鳴が重なる。
いや、何でそうなるの!?
「マゼル――お前……」
ラクナが微妙な顔でこちらを見る。
「ちょ、ちょっとまだそういうのは早いんじゃないかなぁ……!」
「流石大賢者ね」
「いや違う! そういう意味じゃ――!」
ドクトルが頬を染めていてメドーサは目を細めていた。絶対誤解してるよね!
「全く、相変わらず騒がしいな貴様らは」
重く低い声が割って入る。
ウィンガル先生だ。
腕を組み、鋭い目でこちらを見下ろしている。
「男女は陰陽の理と同じである。まぐわること自体は自然の摂理であろう」
横からシェリー先生がさらりと言う。
いや誤解を助長しないで!
「マゼル!」
ビシッ、と指が突きつけられる。
「学園内での不純異性交遊は禁止されている!」
一歩、踏み込まれる。
圧がすごい。
「校則第三条第七項――“生徒間の過度な親密接触の禁止”を忘れたとは言わせんぞ!」
「い、いや! それはもう! ちゃんと理解してます!」
慌てて背筋を伸ばす。
「ほ、ほらビロス! 冗談はそこまでにして、ね?」
「ブゥ~。ビロスは冗談じゃない。本気だもん」
頬を膨らませる。
そんな本気って! いや、きっとビロスは意味を理解してないんだ。うん、きっとそうだよね。
「ビロス。少し向こうでお話致しましょうか」
イスナがにっこり笑う。
でも目が笑ってない。
「気が合いますね。私もお兄様について色々とお話したいと思っていたんです」
ラーサも微笑む。
でも圧がすごい。
「いや、まだマゼルの返事――!」
「いいから来なさい」
「詳しく、ね」
「わああああああ!?」
両側から腕を掴まれ、そのまま引きずられていくビロス。
「全く――」
ウィンガル先生が大きくため息をついた。
そして、ゆっくりと周囲を見渡す。
倒れているバジル、破壊されたリング、そして僕たち。
「さて」
低く、厳格な声。
「どうやら――事情を詳細に聞く必要がありそうだな」
その目は、完全に“教師”ではなく“魔導師団の人間”のものだった。
……これは、ちゃんと説明しないといけないね。




