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記憶怪獣

 会社の屋上でお弁当を広げる。

 自転車を始めてから、売ってる弁当や外食では、足りなくなってきた。

 自転車は私自身がガソリンだと、最近気がついた。

 カタンと音がして、鉄の扉が開いた。

「祐子? 早かったね」

 私は後ろに向かって、振向かずに言った。

「快人です」

 その声に振向いた。

 快人さん?!

「どうしたんですか?」

 私は立ち上がった。

「最近食堂に居ないから、どこにいるのかなーと思って」

 え、私がどこにいるか、気になったの?

「あ、あの! 私最近自転車始めて」

「知ってるよ」

 快人さんが優しく微笑む。

 その笑顔に心臓が跳ねる。

「それで、お金もないし、食堂のご飯じゃ足りなくて……」

 言いながらなんとなく情けなくなる。

「あはは、自転車、お腹すくよね」

 笑ってくれたことに、安堵した。

「快人さんも自転車乗るんですか?」

「俺じつは、アレックス・モールトン持ってるんだ」

「え、すごく高いやつですよね?」

 私は鞄から自転車雑誌を出した。

 ついに最近定期購読を始めた。

 自転車の世界、奥深い。

「本まで買ってるの?」

「はい」

 私はその本で赤くなった顔を隠した。

 その時、バンと大きな音が響いて、鉄の扉が開いた。

 そこには祐子が立っていた。

「立ち去れ、ゲス男」

 快人さんは、私に小さく手をふって、出て行った。

 私は口元の微笑で返す。

 祐子がつかつかと歩いてくる。

「……何なの、大丈夫なの?!」

 私は答えた。

「大丈夫。もう、大丈夫なんだよ」

 なにが【もう】なのか分からないけど、私はそう答えた。

「……綾音が言うなら良いけどさあ……」

 祐子は買ってきたコンビニ袋を、ドスンと机に置いた。

 もう、私は大丈夫だ。


 次の日の朝も、自転車で会社に着いた。

 自転車を地下に置いていると、後ろから声がした。

「……キツイ、想像より、キツイ」

 振向くと快人さんが自転車に乗っていた。

 小さいフレーム……これって。

「アレックス・モールトンじゃないですか!」

「家にずっと飾ってあったけど、初めて乗ったよ」

「こんなの地下に置いて大丈夫なんですか?」

「買ったんだから、乗らないとね」

「えーー、部長に言って受付奥とかに置いてもらいましょうよ」

「そんなこと、出来るの?」

「知らないんですか? 部長も最近自転車で来てるんですよ」

「マジで?!」

 私たちは自転車を押しながら、ロビーから入った。

「……おはよう」

 美崎さんが立っていた。

「おはようございます」

 私は言った。

「美崎、ごめん電話しなくて」

「大丈夫、起きられたから」

 そう言って、私の目の前に掌を広げた。

 その指に、大きなダイヤの指輪が見える。

「……分かりますよね」

「高そうですね」

 私は分かっていたが、意地悪で返した。

 頭の奥がちりちりと痛むが、気にしない。


 屋上で向かう非常階段。

 上っていく途中に快人さんが居た。

「こんにちわ」

 挨拶すると、快人さんが私の腕を掴んだ。

 体がカッと熱くなる。

「……今日、自転車で一緒に帰ろう」

「え、でも美崎さんに悪いし……」

 快人さんは、私を抱き寄せてキスをした。


 その六時間後、会社の最寄り駅の壁際で、快人さんに抱きしめられた。

 状況が理解できなくて、手を繋いだまま一緒に電車に乗った。

 自転車で帰ろうと言って居たのに、飲んでしまい、電車で帰ることになった。

 意味が分からないけれど、手にかく汗とバクバクと音を立てる心臓だけが現実だと知らせる。

 私はずっと考えていた。快人さんに気に入られるようなことを何かしただろうか。

 自転車? 自転車に乗り始めたのが良かったの?

 もう何がなんだか、分からない。

 それに美崎さんの指には、婚約指輪があった。

 大丈夫なの……?

 思考が滑ってるのは分かっていたが止められなかった。

 だってもうすぐ私の下りる駅だ。

 快人さんが一緒に下りてきたら、どうすれば良いのだろう。

 シャランと高い音がして、下を見ると小学生くらいの女の子が居た。

「鍵、落としましたよ」

 女の子の掌には、私の家の鍵があった。

 伊豆で作った金塊が入っているキーホルダー。

「やだ、ごめんなさい、ありがとう」

 受け取ろうすると電車が揺れた。

 私の腰を快人さんが支えた。

「あのすいません、ありがとうございます」

 私が鍵を受け取ろうと手を伸ばすと、女の子は掌を閉じた。

 小学生にしては長い指をゆっくりと。

「大丈夫?」

 女の子が何を言ってるのか本意は分からなかったが、とりあえず答えた。

「大丈夫。ありがとう」

「それでいいの?」

 女の子は掌を広げない。

「何が?」

 鍵を人質に取られて苛立った。

「鍵を返して」

 女の子は掌を広げたので、鍵を取った。

 鞄に入れると、鍵はあった。

「あれ…?」

 鞄の中に鍵が二つになった。

 同じキーホルダーが付いている。なんだろうこれは。

「まだ使ってくれてたの?」

 答えるより理解するより早く、快人さんが私にキスをした。電車の中で。もう体中から力が抜けて、全てをゆだねた。

 下に女の子立っていて、私を睨んで見ている。

 そして口を開いた。



「キィィィィ…………!!!!!」



 今まで聞いたことがないような悲鳴。

 いや、怪獣の、叫び声?

 一気に電車内の電気が落ちて、真っ暗になった。

 非常灯も付かない。

 完全な真っ暗だ。

「え? 何これ?」

 私の横で快人さんが叫んでいる。

 私の手を誰かが引っ張る。

 小さな手。


 その瞬間、全ての記憶がよみがえった。

 快人さんと付き合っていたこと。

 捨てられた事。

 深雪という記憶怪獣に出会ったこと。

 そして私は深雪に頼んでいた。

「もし私が、また快人さんを好きになるようなことがあったら、その場で記憶を消して」

 私は深雪の手を握って言った。

 深雪は首をふった。

「できない。まだ完全に定着してない記憶を食べると、どうなるか知ってるの?」

「知ってる。だから、お願い」

 私は深雪にお願いした。


 その約束の時だ。


 私の頭が割れて、その中身を深雪が食べている。

 暖かいお湯の中で漂っている。

 そしてそれは終わった。


 電車の電気がついた。

「大丈夫?!」

 快人さんが立っている。

 私は微笑んだ。

「……って、……君、誰だっけ……」

 快人さんが私の顔を覗き込む。


「はじめまして、快人さん。記憶怪獣です」


 私は記憶怪獣になった。

 もう二度と快人さんを好きにならないために。


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