12
一人呟く女王の脳裏には、ある男の姿が浮かぶ。
それは女王がかつて想造世界で…そしてこの世界で、共に過ごした男。
女王の長い生涯の中で、彼女が唯一愛し、この世界で共に生きようと誓った男。
そして自分を裏切り、自分の元を離れた男。
誰よりも愛した男は、誰よりも憎らしく……最後は自分が殺した……自分に殺させた…酷い男。
その男を……女王は一日だって忘れた事はない。
だからこそ女王は、貴族や臣下からの縁談を全て断り、退位の近い現在に至るまで独身を貫いてきた。
彼以上に愛せる男などいなかったから。
誰よりも憎い彼を、女王は誰よりも愛していたから。
「………陛下?」
いつまでも俯いたままで何も言葉を発しない女王に、絆は恐る恐る声をかける。
その声に応えるよう、やっと顔を上げて絆へと微笑む女王。
その微笑みは…見ている絆の方が不安になりそうなほど、何処か悲しげで…儚い表情だった。
「絆。お前は成海と幸せになれ。これは女王としての命令ではない。この世界に先に来た者としての……私個人としての願いだ」
女王の表情から、これは彼女の本心だと絆も悟る。
いつもヒステリックに叫ぶか、高圧的な態度ばかり見せていた女王の意外な一面。
もしかしたら…この儚い表情を浮かべている彼女こそ、本来の彼女なのかもしれない。
「お前は幸せになれ。私の分も…幸せになるんだ。誰よりも幸せになって…私以上の王となれ」
「…陛下……………はい」
絆には最早、女王に反抗する言葉など出て来ない。
ただ素直に女王の言葉を受け入れ、頷く絆。
そんな絆を女王は優しく見つめていた。
「それでいい。さぁ、お前も戻れ。先程も言ったが、明朝には魔族討伐に出てもらう。しっかり準備をし、明日の為に休め。王位継承者として全ての民に、そして成海に認められるよう、立派に務めを果たしてくるのだ」
「…っ、成海さんに…………はいっ!」
『成海に認められるように』と言われた時、絆の脳裏には自分を褒め称える成海の姿が浮かぶ。
女王の命令を遂行し、誰もが認める王位継承者となれば、成海との距離も縮まるかもしれない。
自分の勝手な想像で素直に喜ぶのは、絆がまだ若く精神的に幼い証拠だ。
だがこの素直さこそ絆の長所であり美点でもある。
「陛下!俺は!俺は立派に陛下の命令を果たします!立派な王になってみせます!」
「ふふ。その意気だ。お前には期待している。頼んだぞ、絆」
「はいっ!それじゃあ陛下!失礼します!」
絆は一度深く頭を下げると、少し頬を赤らめながら満面の笑みで女王へと手を振り、謁見の間を出て行った。
女王に対して無礼極まりない、礼儀など全くない絆の態度に、女王も苦笑してしまう。
「まったく…絆はいつまで経っても王位継承者としての礼儀が身につかないな。あれでは先が思いやられる」
「そうはおっしゃいますが……今の陛下は、とても晴れやかなお顔をしておられます」
ヴィクターの指摘に女王は自分の口元に手を当てる。
触れた自分の口角は確かに上がっており、笑顔を浮かべていたのだとわかった。
そんな自分の表情を知り、女王の笑みは更に深く、柔らかくなる。
「心配ではあるが…楽しみでもある。あの素直な子供が立派な王となる未来を。あの子の幸せな未来を…私は心から望む。絆には……私の分も幸せになってほしい」
「陛下…」
「私は幸せになれなかった。私も幸せに……なりたかった。…優貴と二人で」
そう呟いて目を伏せる女王に、ヴィクターもまた悲しげな表情を浮かべた。
しかし彼のこの表情は本心ではなく作ったもの。
女王に初めて一族の秘薬を渡し、彼女の抱える叶わなかった恋心を知ったその時から…ヴィクターは女王の唯一の理解者として接してきた。
女王に深く信頼される為に…己の欲望の為に。
「陛下。今夜もいつものお薬をお持ちします。陛下も既にお気づきでしょうが……あの薬は本来危険な物。しかし薬を飲めば…また夢で優貴様に会えるでしょう」
「………ヴィクター。…お前の薬が無ければ…私は二度と優貴に会えなかった。お前には感謝している」
「陛下の憂いを払う事…そして陛下のお望みを叶える事こそ、私の幸せにございます。陛下は小国の王弟である私を王都に呼び寄せ、宰相補佐という役目をお与え下さいました」
「お前の有能さは…王都でも噂だったからな。お前なら多忙な宰相を立派に支えてくれると思ったからだ」
「陛下には返せぬ恩ばかりです。その御恩に報いる為なら…陛下がお望みなら、いくらでも秘薬をお作り致しまょう」
女王に深く感謝している…という風を装い、ヴィクターは女王に深く頭を下げる。
事実、女王には感謝してもしきれない。
女王が自分を指名し王都に呼び寄せたからこそ、小国の王弟では叶わなかった事が、この王都では叶った。
王都で見聞を広める事も、世界の情勢や政治に深く関わる事も出来た。
だからこそ最初は…いつも気持ちを張り詰めている女王の為に、純粋にあの秘薬を渡した。
飲めば望んだ夢を見る事が出来る薬…飲んでいる間は心が安らぐ…あの薬を。
しかしあの薬には副作用があった。
飲めば確かに心安らぐ…幸せな気持ちになる薬。
だがその反面、平常時では気持ちの高ぶりは以前より強くなり、感情の起伏も激しくなる。
そして一度でも薬による幸福を知ってしまえば、薬を求め続けてしまう。
薬が無くては満足出来なくなる。
その上、薬の材料となるリスクの一族の血の力で、術者が服用者を操る事も出来た。
それは想造世界の麻薬にも似た薬。
女王もあの薬の危険さには気づいている。
それでも…たとえ夢でも幻でも…愛しい男との逢瀬が叶うのなら、彼女はその薬を求め続けた。
女王はニヤリと小馬鹿にしたような笑みを浮かべると、ヴィクターへと問い掛ける。
「お前の良からぬ企みの為に、か?」
そんな女王に対してヴィクターもまた困ったように微笑んだ。
「確かに…初めはエリカを…娘を王妃にしたい、という企みもありましたが……娘は私以上に有能であり聡明です。そして愚かな父とは違い、ただ純粋に自らの使命を受け入れ、生涯をかけそれを全うする。我が娘は必ずや、未来の王と王妃を支える……歴史に名を残す第二妃となるでしょう」
「そうだな。エリカならきっと…役目を果たす」
「エリカは絆様をお慕いしておりますが、姫様とも親しい間柄です。あの子なら大切に想うお二人を支えられる。立派な第二妃となり、陛下のお望み…そして私の望みも叶うことでしょう。何より……娘が幸せなら…私ももうそれ以上の事は望みません」
「そうか。…良い娘に恵まれたな、ヴィクター」
「まことに…そう思います」
あくまでも女王の決定に従う素振りをするヴィクター。
だがヴィクターは女王の決定に満足などしていなかった。
(陛下のおっしゃる通り……エリカは良い娘です。だからこそ…王妃となるのはエリカなのですよ。陛下が娘を王妃にしないと言うのなら…私が娘を王妃にするまでです)
「私は部屋に戻る。ヴィクター、必ずあの薬を持って来い」
「御意」
既に薬の事で心を占めている女王。
そんな女王には、ヴィクターの本当の企みに気づくことが出来なかった。
もしここで女王が気づいていたら…もっとヴィクターを警戒していたら…未来は変わっていたのかもしれない。




