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「それにしても…随分と長い旅だったな。二ヶ月も戻らんとは」
「申し訳ございません。最近はどの地域も魔族の襲撃が多く、立ち寄った国から出国するのもままならぬ状態でしたので」
「そうか。最近の魔族の動きは…」
ヴィクターとキースが世間話をしていると、二階からエリカの世話係をしているメイドが、慌てた様子でヴィクター達の元へと駆け寄った。
「旦那様!お嬢様が!」
「っ!?どうした?エリカに何かあったのか!?まさかまた家出を!?」
「っ!?エリカお嬢様が家出!?」
驚き焦るヴィクターとキースにメイドは頭を下げたまま首を振る。
「いえ…お嬢様は…お部屋に居られます。ですが…泣きながら帰って来られました。…それからもずっと部屋に閉じこもられ…中から鍵も」
「エリカが?わかった。私が行こう。キース。お前は直ぐに休みなさい。エリカへの挨拶は明日にしておくれ」
「か、かしこまりました。旦那様」
キースに声を掛けると、ヴィクターは鍵を持って二階にあるエリカの部屋へと向かった。
残されたメイドはキースの存在に気づきながらも、悲しげな表情を浮かべている。
「キース。戻って来たのね。おかえりなさい」
「あぁ、ただいま。そんなことより、エリカお嬢様はどうされたんだ?お嬢様が家出なんて…俺の留守中、お嬢様に一体何が…」
「………そうね。きっとキースの耳にもそのうち入るでしょうし……説明するわ」
「頼む」
メイドがこの二ヶ月のエリカの様子をキースに説明している頃、ヴィクターは愛娘の部屋の前へと来ていた。
コンコン
「エリカ。私だ。ここを開けなさい」
コンコン
「エリカ?いるんだろう?エリカ」
何度も扉をノックし、繰り返し中のエリカへと呼び続けるヴィクター。
だが鍵が開く気配はなく、中からの返答もない。
「入るぞ、エリカ」
仕方なく、ヴィクターは鍵を使って外からエリカの部屋の扉を開ける。
そして中の様子に驚いた。
部屋の中は一切の明かりがついておらず、カーテンも閉められ真っ暗。
暗闇に目が慣れてきた頃、ヴィクターの目には崩れるように床に座り、ベッドへ頭を伏せているエリカの姿が映る。
エリカも扉からの明かりに気づき、ゆっくりと体を起こした。
「…………お父…様?」
「エリカ。どうしたのだ?明かりもつけず、カーテンも開けずに」
ヴィクターは中に入るとカーテンを全開にしてエリカへと向き直る。
そして外の明かりに照らされたエリカの顔を見て驚愕した。
どれだけ泣いたのだろうか…エリカの美しい瞳は真っ赤に腫れ上がっている。
ヴィクターはエリカの元へと駆けつけると、エリカ同様床に座り込みエリカの両肩を掴んだ。
「エリカ!どうしたのだ!?」
「…お父様…っ、お父様ぁ!!」
エリカはヴィクターに抱きつくと、父を呼びながら泣き叫んだ。
ヴィクターもまたエリカを強く抱きしめ返す。
「エリカ!一体どうしたんだ!?何があった!?」
「お父様っ!ふっ、ひっく、お父様ぁ!わたくしっ!わたくしはもう!王妃にはなれないと!姫様が!」
「姫様が!?」
その言葉で、何故娘がここまで泣き崩れているのか瞬時に理解したヴィクター。
女王は先程の決定を既に姫である成海に話し、またそれをエリカも聞いてしまったのだと。
「陛下は姫様を絆様の王妃にすると!わたくしの事は第二妃にするとおっしゃられたと!そう姫様が申されました!」
「姫様が…お前にそのような事を…」
「わたくしが王妃になるはずでしたのに!どうして後から来た姫様が王妃になるのですか!どうしてあの方なのですか!?どうしてわたくしが絆様の王妃になれないのですか!?こんなに絆様をお慕いしているのに!」
「…エリカ」
自分の思いを父親にぶつけるエリカの言葉に、ヴィクターもまた顔を歪ませる。
最初はあれだけ絆を拒んでいたエリカが、今では心から絆を慕っている事を…エリカの恋心を父親であるヴィクターも知っていたからだ。
「わたくしが王妃になれば!お父様だって宰相になれたのに!相応しい地位につけたのに!ごめんなさい!お父様!ごめんなさい!」
「っ!?お前…そんなことまで…私の事まで気にしていたのか?」
エリカが自分の事まで考えていてくれた事に、ヴィクターの胸は酷く締め付けられる。
どうしてこうなった?
自分の望みも、娘の望みも…あと少しで叶うはずだったのに。
それはもう…何一つとして叶わない。
成海という姫が現れたせいで。
「姫様は王妃になれるのに!わたくしの気持ちを知っていたのに!それなのに!『王妃になるのは嫌だ』『姫なんて嫌だ』と簡単におっしゃられました!姫様はわたくしの欲しいものを全部手に入れたのに!」
「姫様は……そのような事まで…お前に言ったのか。なんと酷な事を…」
エリカの話を聞き、ヴィクターの中には成海に対する激しい憎悪が湧き上がる。
それはエリカも同じ…いや、それ以上だった。
そしてエリカは…成海への憎悪を吐き出すように叫ぶ。
「姫様なんていらないっ!あんな人!いなくなってしまえばいいのに!」
「っ!!」
エリカの心からの叫びを聞き、ヴィクターはハッとしたように息を呑む。
その時、ヴィクターの頭の中では女王の言葉、絆や成海の現状、先程謁見の間で聞いた話題がことごとく蘇った。
そしてヴィクターは思いついた。
自分と娘の願いが叶う…最善の方法を。
「………そうだ。お前の言う通りだ、エリカ。何故私は気づかなかったのだろう。姫様がいなくなれば良いのだ」
「…お父様?」
ヴィクターはそっとエリカの身体を離すと、優しく娘の頭を撫でてやる。
そして娘を安心させるように、優しい声で呟いた。
「姫様は二人目。この世界には無用の存在。ならば…いなくなっても誰も困らん。むしろ…いなくなってもらわねば困るのだ」
「お父様?…一体何をおっしゃっているの?」
父親は優しい微笑みを自分に向けているのに、その微笑みが何処か恐ろしくエリカは不安を覚える。
それでもヴィクターは微笑みを崩すことなく、言葉を続けた。
「エリカ。可愛い我が娘よ。安心しなさい。お前は王妃になれる。この父が…お前を絆様の王妃にしてやろう。必ず」
「でも…王妃には姫様が」
「そうだ。今のままでは姫様が王妃となるだろう。だがその姫様がいなくなれば、王妃の座はお前のもの。全てお父様に任せなさい」
それはまるで悪魔の囁き。
父親は姫である成海を排除しようとしている。
それに気づけぬほどエリカも馬鹿ではない。
それでも…エリカの心にも父親と同じく、姫である成海を排除したい気持ちが確かにあった。
成海が現れてから、彼女とは友として過ごしてきたエリカ。
慣れない世界で必死に勉強し、魔法にも励む成海に敬意も持っていた。
だが、そんなものは先程の成海との会話で、全て消え去った。
エリカが今望むのは…絆の正妻という王妃の座。
自分に優しく微笑む父親が今、どれたけ非常で身勝手な企みをしているのかはエリカもわかっている。
わかっていながら…エリカもそれを受け入れる決断をした。
「…はい。全て…お父様にお任せします」
「そうだ。それでいい。この父に任せなさい。大丈夫だ。姫様さえいなくなれば…全てが上手くいく」
自分の提案を受け入れた娘に、ヴィクターは満足気に笑みを深くした。
二人のこの決断は後に、絆と成海の未来を別ち、この世界にとって悪しき歴史を生み出す第一歩となる。




