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「お父様ったら…最低だわ!何が王妃ですの!そんなの…ちっとも嬉しくありませんわ!」
エリカは邸を飛び出すと、城下町にある庶民街へと来ていた。
正確には、望まぬ結婚に向けての花嫁修業から逃げていた。
目的地などなく、エリカは街の通りをズンズンと進んでいく。
上等な身なりの美しい少女。
だが顔を真っ赤にして怒りの形相を浮かべ、ブツブツと文句を繰り返している不審な少女。
「結婚すること自体は構いません。王侯貴族の令嬢として、然るべき相手との婚姻は何より大切な役目ですもの。でも…相手が誰でも言い訳じゃありませんわ!」
街ゆく人は誰もが遠目でエリカを見つめるが、声をかける者は誰もいない。
そんなエリカはいきなり立ち止まると、その場で震えだし空に向かって叫んだ。
「あんな人の妻になったら苦労するだけですもの!あんな作法も知らない!教養もない!体を動かす事にしか興味の無い世間知らずの子供!そんな方の妻なんて真っ平ごめんこうむりますからねっ!」
ゼーハーと息を切らしながら、肩で息をするエリカ。
今の行動こそ令嬢らしからぬ姿だが、それこそエリカが怒り狂っている証拠だ。
「絶っっっ対に受けませんわよ!どんなに不敬であろうと、お父様に叱られようとも…嫌なものは嫌ですわ!」
歩き続けるエリカだが、怒りのあまり周りが見えていない。
街ゆく人々は遠目で見る以外にも、彼女に近づかないように道を開ける。
しかしある小路の奥から歩いてくる人物はエリカになど気づけるはずもない。
そのまま小路を出た人物は街道を歩くエリカにドンッ!とぶつかってしまう。
「うわっ!?」
「キャッ!?」
ぶつかった衝撃で、エリカはその場にしゃがみこんでしまう。
エリカとぶつかった方の人物はよろけただけだが、彼は自分のせいで少女が倒れたのを見て慌て出す。
「す、すみません!大丈夫ですか!?」
「は、はい。わたくしも気づかず失礼を…っ!?」
顔を上げたエリカは自分とぶつかった人物の顔を見て驚く。
その相手とは、エリカが今の今まで悪態をつき、『結婚したくない』と繰り返していた嫌いな相手。
王位継承者である絆だった。
絆の方も見覚えのある少女に目をぱちくりとさせた。
数日前…この黄緑色の髪を持つ少女とは会っている。
同じく黄緑色の髪をした、宰相補佐という偉い立場の男に紹介されて。
「あれ?あなた確か…ヴィクターさんの?…って、本当に大丈夫ですか?立てます?」
絆は倒れたままのエリカに手を差し伸べる。
エリカは内心、絆の手など取りたくもなかったが、王位継承者の手を振り払うことは許されない。
「…は、はい。失礼致します、絆様」
エリカは絆の手を取り立ち上がると、優雅にスカートの裾をつまみ、頭を下げる。
「ご無礼を致しました。お許しください、絆様」
「そんな…ぶつかったのは俺の方ですから!頭を上げて下さいよ!」
エリカも本心では嫌いな相手などに頭は下げたくないし、絆の言葉に『その通りだ』と心の中で呟く。
心とは裏腹に、口から出たのは令嬢らしい言葉。
「…絆様のお優しいお言葉…痛み入りますわ」
「あ、あはは。そう…ですか」
絆の方はエリカとどう接していいのか困っている。
いっそこのまま走り去りたいが、自分から去るのは失礼だと思い、エリカは絆がいなくなるのを待つ。
しかしいつまでたっても絆は立ち去ることをせず『うーん』と何かを考えていた。
「えーと…あはたは宰相補佐、ヴィクターさんの娘さん…ですよね?」
「おっしゃる通りでございますわ、絆様」
「名前は確か…エリ………エリザベスさん?」
「っ!?エリカですわ!わたくしの名はエリカ!!エリカ=メイ=リスクにございます!」
何故か本当の名前より長く間違えた絆に、エリカは怒りのまま怒鳴った。
そんなエリカにキョトンとした絆だが、直ぐに笑顔を浮かべた。
「あはっ!すみません。エリカさんでしたよね。今度は覚えましたよ。もう間違いませんから」
「そうして下さいませ!王位継承者は、人の名前も覚えられぬ愚か者だと思われますわよ!」
名前を間違われた事で怒りが爆発したエリカは、もはや王位継承者に対して失礼極まりない発言までする。
ハッ!と我に返り、慌てて頭を下げ謝罪しようとしたエリカだが、それを絆が止める。
「頭なんて下げないでくださいよ。さっきのがエリカさんの素なんですよね」
「も、申し訳ございません!お許しを!」
「許すも何も…エリカさんは何も間違ったこと言ってないですよ。悪くもない。先に名前を間違ったり、ぶつかったりして、悪いのは俺の方です。だから俺から謝らせて下さい。すみませんでした」
代わりに頭を下げる絆にエリカはどうしていいのか戸惑う。
男が…それも自分より上の立場の者が自分に頭を下げることなど、有り得ない。
今まで生きてきた16年間で、そんなことは一度もない。
こういう場合どうすればいいのか?
どうすれば無礼にならないのか?エリカは必死に考えた。
そんなエリカりよりも先に絆は動き、頭を少し上げてエリカを見る。
「あれ?やっぱり許せないですか?」
「っ!?そ、そのような!絆様!どうか頭をお上げ下さいませ!」
「あ、はい」
慌てるエリカに絆はあっさりと頭を上げる。
そしてお互い何も話さず、気まづい空気が流れた。
エリカは絆より先に声をかけるのは失礼だ、とただ黙り込む。
ポリポリと頭をかいたり、無駄に服の裾を直していた絆だが一度咳払いするとエリカへと話しかけた。
「エリカさんは…その……散歩ですか?」
「は、はい。作用にございます。絆様は?」
「あ、俺も散歩なんです」
「………お一人で、ですか?」
「一緒に来てくれた人はいましたけど…今ちょっと別れてて。あはは」
困ったように笑う絆にエリカはまた呆れた。
どうせ城下に出てはしゃいでいる間に、供の者とはぐれたのだろう、と。
やはりこんな男と結婚などしたくない。
エリカは決意を新たに、どんなに失礼だろうと、理由をつけて早々にこの場を去ろうと決めた。
その時、遠くから少年が『お兄ちゃーん!』と声を出し走ってくる。
その後ろには恐らく、彼の母親らしい人物もいた。
絆はその少年を知っているらしく、少年に手を振って返した。
少年は絆とエリカの前まで来ると笑顔を絆に向ける。
「お兄ちゃん!さっきはありがとう!」
「いいよ。お母さんに会えて良かったな」
「うん!」
少年の頭を撫でながら話す絆にエリカは首を傾げた。
不思議がるエリカが絆の連れだと思った母親は、エリカに向けて説明をする。
「うちの子、私とはぐれちゃって。探してたら、このお兄さんが連れてきてくれたんですよ」
「見つかって良かったです。もうお母さんの手を離しちゃダメだぞ」
「うん!ホントにありがとう!お兄ちゃん」
「これお礼です。リンゴのジャムとイチジクのジャム。私が作ったんですが、どうぞ受け取って下さいな」
母親から差し出された二つの瓶を見て、絆は両手と首を振る。
「そんな!お礼なんていいですよ!」
「いいえ。お兄さんのおかげで、この子とは無事にまた会えたんです。だから是非、受け取って下さいな!じゃないと私の気がすみません!」
「…えと…じゃあ、いただきます。ごちそうさまです」
絆は瓶を受け取ると、もう一度少年の頭を撫でる。
親子はそのまま手を振り去って行ったが、絆もまた手を振り返していた。




