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5.


 彼らが出現した場所は、森の中だった。



 人跡未踏の原野というわけではなく、それなりにはっきりとした道が、深い緑の間を縫って続いている。

 幾重にも重なった木々が、太陽の光を遮り、心地よい空間を作りだしていた。

 たとえるならば、国立公園内にある遊歩道といったところだろうか?

 異界でさえなければ、いくらでも散策を楽しむことができそうな美しい場所であった。


 広がった感覚をもとに、レンはあたりの様子を探った。

 敵対しそうな大型の生き物はいない。小動物めいた意志の気配が、いくらかあたりを漂っているのみであった。


 ならばとうなずき、彼は道に沿って歩き出すことを提案する。

 反対方向、もしくは道ではない場所は選ばない理由はあるのか。歩きながらの会話は危険ではないのか。そう尋ねるケネスに対し、手がかりがないから仕方がない、と。特に考える様子もなく、彼はそう口にした。


 異界において、人が死ぬことはない。レンによって告げられた単純な事実に、ケネスの肩から力が抜ける。だがすぐに、いくらかの市井に流布する噂話も含めたことがらを思い出したのだろう。詐欺師でも目の前にしているかのように、眉を寄せる。


「そして、どの程度というと個体差はあるが、大まかに言って死に至るような状態となった場合、その当人は現界へと戻ることになる」

「――最悪の場合、首でもつればいいってことか?」

「痛みや苦しみは感じる。そして、そこまでの経験をしてしまった場合、現界に戻った後、幻影痛に苦しめられる可能性が高い」


 失った手足の痛みを感じるという幻影痛。異界での大けがや何かは、現界での実際の肉体の損傷にはつながらない。

 失うはずのない手足。失った手足の痛み。矛盾するそれに対し、ケネスは首を傾げる。


「正確には、異界幻影痛――一般的な幻影痛とは逆の症状だ。損傷などしていない部位が、異界で受けた傷の通りの痛みに襲われる。深刻な症状になってくると、なくなったはずの手足が、なぜあるのかわからなくなり、自らその状態を再現しようとする」


 淡々と語られる事実に、ケネスの顔色がだんだんと悪くなっていく。


「つまり、あれか。異界からは必ず五体満足で帰れる。でも、五体満足ではない記憶を持っているがために――記憶と現実の状態をそろえようとして、結果的に死に至ることがある」

「その通りだ」


 いわゆる軍属の適正とは、つまりそれなのだ、と。

 異界の住人たちを相手取るための運動能力や頭の良さは必要だ。異界のエーテルを自在に動かす〈力〉も、重要な能力である。

 ただ、それら以上に重要視されるのが、異界での記憶が現界に影響することはないと、はっきり実感することのできる強さだ。

 そう語るレンの言葉に、ケネスは緊張の面もちで頷く。


「ある意味、私たち現界の人間というのは、異界において異物であるが故に強い。この世界は異界だ。持ち帰ることができるものは、知識くらいしかない。だから、この世界が自らを致命的に侵すことはないのだと、そのことだけはしっかりと自覚してほしい」


 そう言って、ほんの少しレンは口元をゆるめた。

 顔立ちが整っていることもあり、近寄りがたいほど厳しい表情であったのが、その変化だけで驚くほど穏やかになる。


「とはいえ、そう簡単にいくのならば、軍属制度などあるはずもない。――君は私が守る。だから、必要以上におびえる必要はない」


 峻厳な山脈の谷間に咲く花のように穏やかな笑みは、彼が発したどの言葉よりも、大丈夫なのだと雄弁に語りかけるかのようだ。


「……すごい殺し文句」


 思わず足を止め、ケネスはまじまじとレンの顔を見た。あえかな笑みはあっという間に姿を消し、いつもの厳しい無表情が彼の面を覆う。その様に口元を歪め、ケネスは自らの頬を軽くてのひらであおいだ。


「プロポーズみたい」

「それだけ言えるのならば、大丈夫そうだな。ただ、気は抜きすぎるな」


 妙な笑い声をあげて茶化すケネスに対し、レンは表情を変化させることなく言った。そして、彼につられ止めていた足を、再度すすめはじめる。


 しばらくの間、砂利を踏む音と、姿見えぬ鳥らしき声だけがあった。


「――いや、マジな話さ。いきなり出てきて、尻を狙う不届きものっていうのが僕だよね」

「自覚はあったのか」


 律儀に返してくる様に、いやまあとケネスはぱさついた髪をかきまわす。


「そりゃあね。僕の専攻どころか、学年すら下手すれば知らないでしょ」

「学年は制服を見ればわかる」


 それもそうかと頷いた後、ケネスは自らの服を見下ろした。白い半袖シャツに、限りなく黒に近い紺色のズボン。タイはなく、開襟だ。袖に小さく紋章があり、それを彩るラインの色と本数が学年を示すという、非常にわかりにくいデザインだ。

 もっとも、ケネスがレンにつきまといはじめたのは、冬服の頃――入学してすぐの頃からだ。そちらであれば、もっとわかりやすい。


「実は僕も同じよ。軍属候補なのは、帯剣してるのを見ればわかる。まあ、その後調べたからね。本年度入学の軍属候補の中でも期待の星、レン・ハスター。ちなみに、曾祖父(ひいおじい)さまは、王立軍があった時代に将軍職にありました、と。これくらいは知ってるけど」


 歩きながら、ちらりとレンはケネスを見る。その視線の移動に敏感に気づき、ケネスは楽しそうな笑いを浮かべ、小さく手をふってみせた。


「知らないときは何も知らないにも関わらず、知ってからはそんな相手にも関わらず。ままならないねぇ、世の中は。っと、僕のことはどうでもよくて」


 ほんの少し、レンが目を細めたように見えるのは、だったらやめておけばいいのではないかという言葉をのみこんだのか。


「そういう、なんかわけわかんない奴が、入るのに資格がいる場所に入り込んで、それで結果的に利敵行為で迷惑被って」

「彼らが敵だとは思っていない。今回のことについては、問いつめるべきだとは思っているが」

「……もしかして、聖人?」


 呆れを含み、半ば揶揄するかのような言葉に、レンはほんの少し眉を寄せる。


「ほめているのか?」

「全然」

「面白い笑い声だな」


 精一杯の、言おうとして言った嫌みなのだろう。その言葉に、ケネスは本当に楽しそうな笑い声をあげる。

 そして、いやあ短い時間なのに、ものすごく色々知った気がする、と。そういって、嬉しそうにレンを見る。

 歩き出してから、彼はあたりの様子を見ながら足を進めている。だから、わざと目をそらしているわけではない。はずだ。


「命に別状がなければいいってもんじゃないよね。トレーニングメニューこなした後、強制的にもう一回ってだけでも無理筋でしょ、普通。なのにさぁ」


 ケネスは、再度足を止めた。そして、じっとレンの顔を見つめる。

 数歩進んだところで、レンもまた足を止める。しばしの沈黙の後、どうしたと口にする。


「何でそんなに優しいわけ?」


 目を細め、尋ねるケネスの表情は、明らかに疑いとでもいった感情が彩っていた。


「それとも、そういう意味で僕は期待してもいいのかな」


 喜びや期待と言った明るい感情は一切見られなかった。

 レンはただじっとケネスを見つめている。


 続く沈黙に根負けしたかのように、ケネスは肩をすくめた。そしてごめんねと口にし、歩き出す。


「まあ、どっちにしろ僕はこの右も左もわからない場所で、頼れるのはアンタだけってわけで。気にしても仕方ないっていうか、その自分を陥れようとしてる相手を敵じゃないと言い切る聖人ぷりに期待するしかないんだよなーと、ああ気づいちゃったよ。――うん。変なこと言った。ごめん」


 しかし、景色変わんないねー、と。ごく当たり前のように続け、あたりを見回す。


「優しい、のかどうかはわからん」


 レンがそう口にしたのは、かなりに時間が経った後だった。

 うん? と、ケネスは片方の眉をあげ、次の言葉を待つ。


「ただ、市井の人間を守るのは軍の役割の一つだ」

「――いや、まだ候補だよね? それに」

「おつかいに出した子供が誘拐されたとして、親が目を離さなかったならそんなことは起こらなかったと、捜査をしないということはないだろう」

「まあ、それはそうだけど」


「それに、原因を作って、そこにすべての責任を負わせたからといって、現状が打破できるわけではない」

「怒ることで変化する現実ってのもあるんじゃない?」

「怒られたいのか?」


 表情は相変わらずだが、声色には戸惑いが滲んでいる。

 ケネスはええとと首を傾げた。そして、しばらくしてからたぶん違うと口にする。


「この場合は、疑ってごめん、でいいのかな」

「どういうことだ」

「プロポーズみたいな大盤振る舞いな言葉に、すねに傷もつ感じの僕は、むしろ不安をあおられてたなーってこと」

「市井の人間を守るのは、軍の役割の一つだ。若年軍属でも、候補であってもそれは変わらない」



 繰り返された言葉に、よろしくお願いしますとケネスは頭をさげた。



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