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12.



 そろそろとケネスは目を開いた。

 最初に目に入ってきたのは、柔らかそうな草の絨毯だった。視線を巡らすと、手入れのいい靴と制服のズボンが目に入る。


「――っ!」


 そのまま、視線をあげる。

 彼らは、巨大な光の玉に挟まれていた。

 そして、それらから守るかのように、レン・ハスターが立ちはだかっていた。


 剣を持たない方の腕をまっすぐにつきだし、眉を寄せる。こめかみには、小さく汗の玉が浮かんでいた。


 視界は良好だ。とくに何かあるようには見えないが、おそらく彼らは、先ほどレンが操ってみせた光のベールに包まれているのだろう。

 まるで、明かりのついた部屋へと入り込もうとする羽虫のように、光の玉たちが、すぐ近くで強制的に向きを変えられていた。


「立てるか」


 低い声で聞かれ、ケネスはうなずいた。そして、恐怖にがくがくと震えるばかりの両足を叱咤し、立ち上がる。


 巨大な光の玉の片方が大きく光った。もう片方が、細かく明滅する。もう一度、先の光の玉が光る。その近くに、小さな光の玉がすっと寄った。くるくると不規則な軌道を描くさまは、何かを語りかけているように見える。


「――なにを――」


 しているんだろう。

 いつしか、彼らに向かってくる光の玉はなくなっていた。ぎゅっとケネスは拳を握る。そろそろと辺りを見回す。レンは相変わらず、巨大な光の玉に視線を固定したままだった。


 やがて、片方の巨大な光の玉が大きく下がる。好機と見たのだろうか。レンはほんの少し目を細めた。そして、低くケネスを呼ぶ。


「走る」


 目で示した先には、巨大な光の玉がいる。先ほど、レンが大穴をあけたらしい空間だ。


 まずはここを出て、態勢を立て直すのだ、と。その言葉に、ケネスは一も二もなくうなずいた。


 汗ばむ手のひらを服で拭う。ついでに足を軽くなぞった。

 ふるえが止まったわけではない。けれど、定かならぬほどのひどさではない。

 これは武者震いなのだ、と。そう自らに言い聞かせながら、いつでも行けると返した。


 しばし待つ。レンの足が草を踏む音、ほんの少し切っ先がさがる剣。すべてが鮮やかすぎるほどに、知覚される。やがて。


「行くぞ!」


 声と同時に、地面を蹴る。レンの目線が向いていたのは、巨大な光の玉の左下。おそらく、レンは例の光のベールのようなものを強くしている。


 光の玉がいくら巨大とはいえ、直径が数十メートルあるわけじゃない。

 泉の左岸をまわり、そこを抜けるだけだ。演習で軍属候補が全力疾走させられている距離よりは、ずっと短い。


 それに気づいたのは、緊張感による知覚の広がりのおかげだった。


 光の玉まであと二歩といったところで、ケネスはバランスを崩した。走り抜けるのとは別の方向に気をとられたがためだった。


「――!」


 すぐに気づいたレンが声なき声をあげる。

 行く手を光の玉がふさぐ。


 判断は一瞬だった。ケネスは地面を蹴る方向を変え、石柱へと向かう。


 崩れ落ちた石柱だったころには、確実になかったはずだ。風雨にさらされた滑らかさををはっきりとおぼえている。


 だが今。


 新品のすべらかさをお持つそのおもてには、何かが浮かび上がっていた。


「――かく……ええと……」


 舌打ちし、ケネスはてのひらを石柱表面にたたきつける。浮き出しているのは文字だ。惜しむらくは、その文字列が完全なものではないということだった。


 母国語であれば、多少の掠れや消えがあろうとも、内容や重要な場所は推測がつくものだ。しかし、辞書を頼りに文献をひもとくことができる程度の言語で、それを期待するのは難しい。


 これは、ここを抜けるための鍵ではないだろうか。ぼんやりとした予感が、息苦しいほどの期待へと変化していく。だが。


「ぐっ……!」


 内蔵がせりあがってくるような不気味な感触があった。遠くにレンの声が聞こえる。


 ケネスは漂ってきた光の玉におそわれ――いや、包まれていた。

 レンの光のベールと同様、視界が遮られることはない。むしろ、中にいるほうが暗くなったくらいだ。おそらくこれが、現在あるべき本来の視界の明るさなのだろう。


「ケネス!」


 もう一度、呼ばれた。瞬間、目もくらむような光を感じる。

 レンが背後に来ていた。


「大丈夫か、どこかおかしなところは!」


 口調には焦りがにじんでいる。

 ああそうか、あの光の玉を追い払ったのか。あれだけ巨大なものを。

 そこまで考えたところで、ケネスは目の前の文字が濃くなっていることに気づく。


「走れるか? もう一度……いや……」


 レンがなにやら口中でつぶやいた。

 ケネスが転びかけたおかげで、再度態勢を整えるために距離をとるのが非常に難しくなっているということだろう。

 彼は目を細めた。彼の周りの光――作り出した防護壁がひときわ強くなった。らしい。


「もう一度、石柱にエーテルを流しこんでくれ」


 問いには答えず、ケネスは背後のレンに向かってそう言った。彼の目の前には、八割程度浮かび上がっている文字がある。

 こんな時になにを、と。そう言いたげに、彼のまとう光のベールが揺れる。


「第三庭園門にも手がかりのフレーズがあるんだろう? これかもしれない」

「もう一度あれを受けられるかどうか」


 さすがにそんな余裕はない、と。難色を示すレンに対し、ケネスは文字列から目を離さぬまま、静かに言葉を重ねる。


「さっきの出られるようにした穴、どうなってる?」

「っ……!」

「早く!」

「くそっ!」


 レンは振り返った。剣を片手に持ったまま、ケネスの背を抱くようにして石柱に両のてのひらを押しつける。じわじわと、彼のてのひらを中心に文字がはっきりとしはじめる。まるで、すかし紙を水に漬けたみたいだった。


 とはいえ、長く続けられるものではない。現在、彼らは正体不明の光の玉にかこまれているのだ。


 いつのまにか、大きな光の玉二つが寄り添うように彼らを囲んでいる。


 すぐにレンは体勢を変化させた。そして、背後の存在を覆い隠せとばかりに、剣を構える。


 自らを守る障壁がなくなったことに頓着することなく、ケネスは必死で読みづらい文字に集中していた。

 集中するには非常に分の悪い場所だ。辞書があれば。この言葉に詳しい教授に添削を頼めれば。やくたいもない思考を追い払いながら、子供が絵本を読むように、一文字一文字文字でたどり、時には声に出す。


 まるで、異界ここにくる前の小屋に戻ったかのように、じっとりと彼の額に汗の粒が浮かび上がっていた。


 さして長い物語ではなかった。虫食いの古文書の内容を妄想するみたいに、そこかしこが抜けた状態で内容にあたりをつける。あきらかに、最初と最後が抜けている。とはいえ、つけた内容もさして複雑なものではない。


 急に背後における光の明滅が大きくなった気がした。集中がとぎれたからか、それとも。


 ケネスは振り返った。レンが光を弱めつつある片方の光の玉に、つっこんでいくところだった。もう片方が、強く光を発し、揺れている。


 勝機を見たか、レンの口元に笑みが刻まれている。だが。


 よたよたと逃げようとしていた風にも見える光の玉が、大きく引く。そして、強く光を発し、真正面からレンにぶつかった。


 読み解いた物語の通りであれば、時間がない。


 レンは、光の玉の中にいて、おそらくは防護壁(ベール)を強くしているのだろう。もしかすると、内部から攻撃するつもりで、わざと迎えいれたのかもしれない。


 ケネスは大きく息を吸った。そして。


「抵抗するな、レン・ハスター!」


 受け入れろ、と。世界の諸々に祈りをささげながら、ケネスはそう叫ぶ。異界において、自分たちは強靭な存在だ。レンのその言葉が気休めではないこと。何より、自らの推測が正しいこと。

 供物もなしに祈るには、いささか図々しいほどの贅沢でかつ切実な祈りであった。


 一拍の間をおいて、澄んだ音が響いた。レンが持つ剣が砕けた音であった。



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