十七、楓
長老の刑戮は、居並ぶ宿老や物頭、 shadow そして頭領の真ん前で行われるはずであった。高津様は豊光に最期の儀式――切腹を許されたのだ。館の縁側に佇みながら、私はそのような結末へと辿り着いていた。数多の番卒に随伴され、豊光が奥の居館へと引きずられていくのが見えた。あそこで最後の宣告が下されるのだ。そして、私はその様をこの眼でしかと見届けねばならなかった。
「大殿のおられる本館へ向かう。そこを通しなさい」
私は己の寝所を見張っていた番卒に向けて、毅然と言い放った。奴は私の姿を一瞥するや、大慌てでその身体を強張らせた。
「お嬢様、不作法にございます!」
奴はそう拒もうとしたが、私はその脇を強引に潜り抜け、確固たる歩みで大股に居館へと向かった。見張りは如何にして私を阻むべきか分からず、 shadow ただ私の後ろをせわしなくうごめいていた。
「お嬢様、大殿の指図にございますぞ! 決して部屋から出してはならぬと!」
奴は私の周囲をただぐるぐると回り続け、襟首をひっ掴んで力任せに連れ戻す度胸すら持ち合わせてはおらなんだ。この屋敷の中で、せめて誰か一人くらいは不躾に手を伸ばさぬ者がいてくれたのは、幸いなことね。
天空は重々しく曇り渡っていた。丸一晩中、激しい雨が大地を叩きつけていたのだ。ゆえに、大気のただ中には未だ雷雨の生々しい匂いが漂っていたが、居館の周囲に近づくにつれ、それは何か重苦しい、澱んだ饐えた悪臭と混ざり合っていった。
居館へと路地を急ぐ道すがら、私は数多の下女や下男どもの姿を目にした。おそらく皆、これから始まる刑戮の行方を探ろうとしていたのだろう。奴らは新たな噂話を今か今かと待ち侘びていた。されど、とうに古びた邪推ですら、大層な熱量を以て端々まで貪り合っている奴らの有様を見つめていると、私は激しい不快感に胸の奥を掻き乱された。
下賤な者どもの視線、声を潜めた囁き――そのようなものに、いちいち心を痛める必要などないはずだった。されど、それは確実に私の矜持を傷つけていた。
「お嬢様のせいで、長老様が刑戮に処されるのだぞ」
「あやつのせいで、乳母が首を括ったのだ」
如何なる愚かな邪推も、すでに屋敷の内に根付いた不吉な妄言の山へと、さらに深く新たな杭を打ち込んでいくようだった。
冷ややかな視線を浴びながら歩む道すがら、私は「風が吹けども、山は動じず」と何度も己に言い聞かせ、動揺を圧し殺しようと足掻いた。されど、辛うじて鼻を高く突き出すことしかできず、武家の娘として背筋を真っ直ぐに伸ばすことすら叶わなかった。
居館の格子戸の下には、小さな領地しか持たぬ末端の小身の宿老どもが群れを成していた。されど、豊光の姿が現れた刹那、奴らは一斉に道を開いた。ある者はあやつの前で深く頭を垂れ、慇懃に敬意を尽くしてさえいたのだ。その有様に、私の脳裏の血はわっと激しく沸騰した。敬意、だと? あやつが仕出かした大罪を知りながら、何たる不届きな真似を。間違いなく、豊光の掲げたあのいくさの政を、裏で支持する輩がこれほど数多潜んでいたのだ。
そして最後尾から、信頼の厚き侍たちを随伴させ、父上が歩みを進めてこられた。その腰には、いくさ人の作法に倣い、二振りの刀が厳かに据えられていた。
「大殿!」
私は父上に向けて声を張り上げ、従順なる娘を装うようにすぐさま視線を床へと落とした。高津様は足を止め、見張りの番卒を一瞥して小さく顎を引いた。それを見た奴は、大慌てで私の脇へと退がっていった。
「お前がここにいる道理はない」
高津様は冷酷な眼差しで私を上座から見分した。
「己の寝所へ戻れ」
「大殿、どうか……あやつの最期の儀式への立ち合いをお許しくだされ」
その私の必死の請願に対し、返ってきたのはただ重々しい、疲れ果てた溜息だけであった。父上は少しの間だけ深く思案を巡らせていた。
本来、おなごがこのような凄惨な刑戮の場に連なることなど、武家の掟においては断じて許されぬ不作法であった。されど、私はどうしても諦めることができず、言葉を絞り出したのだ。
「これは一族の厳かな政の場であって、家族の物見遊山ではないわ」
あの方は再び、私の願いを容赦なく撥ね退けた。最初から、それ以外の結末など期待してはいなかったけれど。
「おなごが男の領分へと立ち入るべきではない。……番卒、この娘を母の待つ庭園へと連れ戻せ」
見張りの兵は深く一礼すると、再び私に向かって手元を差し出し、小道を戻るよう促した。
父上はそのまま、裁定を下すべく評定の間へと歩み去っていった。諸大名どもは、恥じ入るように慌てて視線を逸らしながら平伏していたが、誰一人として一言半句も言葉を発する者はなかった。奴らは、影でしか他人を批判できぬ分からず屋なのだから。
「お嬢様……」
「分かっているわよ」
私は小袖の裾をたくし上げると、苛立ちを隠せぬまま足早に庭園へと歩みを進めた。番卒の奴は、まるで忠実な野良犬さながらに、私の後ろを片時も離れずに追ってくる。追いたいだけ、いくらでも追ってくるが良いわ。
母上は、湾曲した梅の枝が落とす仄暗い陰影の下、一脚の石の腰掛けに佇んでおられた。そのあまりにも泰然とした、世の雑音から切り離されたかのような平穏な佇まいは、今の私の胸の奥に、言い知れぬ困惑を抱かせるに十分だった。
格子戸から這入る日の光の筋が、母上の御手の上を緩やかに滑っていく。その両手は、膝の上で厳かに、美しく重ね合わされていた。
あの方の深い思案や、あるいは静かな眠りを妨げることなど、本来なら断じて御免被るべき不作法であったろう。それは分かっていた。
されど、足はただ本能のままに、私をあの方の元へと動かしていた。私は不器用に行き先を失ってその場に立ちすくみ、足元の床に敷き詰められた川原石の有様こそが、この広大な庭園の中で最も興味深いものであるかのように、ただじっと見つめ続けた。然り、苔むした、ざらついたその石ころの連なり。今の私にとっては、それ以上に心を繋ぎ止められる景色など、どこにも残されてはいなかったのだから。
「お座りなさい」
母上は目を開けぬまま、僅かに身をのけて私のための場所を空けられた。私は不満げな面体を隠そうともせずその脇へどっかりと腰を下ろすと、片手で頬杖をついた。
「どうして、それほど平然としていられるのですか」
口から出た己の声の響きが、酷く棘を含んでいるようで忌々しかった。
「一族は内側からばらばらに引き裂かれ、敦子は身罷ったというのに……それなのに、母上はこんな……」
私は低く喉を鳴らし、遮るように梅の枝を指し示した。
母上が静かに目を開け、その瞳を真っ直ぐに見据えた刹那、私はあの方の目元が酷く赤く腫れ上がっていることに気づいた。私は石の腰掛けを両手できつく握り締め、深く溜息をもらした。苦渋の深淵に身を焦がしているのは、断じて私一人ではなかったのだ。
「……申し訳ありません」
「良いのです」
母上は小さく鼻をすすり、私の御手をそっと包み込んで僅かに力を込められた。私はその温かさに、どうしてよいか分からず身動ぎを止めた。
「もうすぐ、豊光が刑戮に処されます」
私は自らの脳裏を過る思念を、ただ黙々と口に出し始めた。されど、万事を曝け出す気など毛頭なかった。いくつかの事柄は、口にすることはおろか、胸の奥で思案することすら恥辱に等しいものであったから。
「……あやつのことを、如何に思われますか」
「何も」
母上はただ、力なく両肩を揺らした。
「そしてお前も、ただそうしているのが佳い」
「何も、思案するなと?」
「然り」
母上は溜息をもらすと、私の両手をみずからの手のひらで包み込まれた。
「お前がこれから、己にとって最も重々しい然るべき処分を下されたとしても……何も思うてはならぬ。毎日、今日も、明日も、そして何年が過ぎ去ろうともな。それこそが、お前に課された本分よ」
「如何なる意味ですか」
その不穏な訓戒に胸の奥が昏く沈み、私は両手を引き抜いて膝の上へと退けた。
「言葉の通りです」
母上は私の手を再び強くひったくり、今度は頑なに振り払うことを許さなんだ。首筋をひやりとさせる悪寒が駆け抜ける。あの方の佇まいからは、先ほどの平穏な気配など綺麗さっぱり消え失せていた。その瞳は驚愕に大きく見開かれ、私はその鏡のような瞳のただ中に、小さく怯えきった己の姿を見た。此度ばかりは、母上の抱擁など断じて御免被りたかった。あの方の存在が、今の私にはただ恐ろしくてならなかった。
「母上、私は行かねばなりません」
強引にその束縛を振り払った刹那、私は足元の川原石に足をもつれさせ、小道の上へと無様に転倒した。膝の皮膚が引き裂かれて焼けるように痛み、小袖の布地が泥にまみれて黒く汚れていく。されど、脳裏にはあの方の言葉だけが、まるで呪いのごとく不気味に響き渡っていた。――何も思うてはならぬ。それこそが、お前に課された本分よ。
「気をつけなさい、楓」
母上の氷のように冷たい御手が、私の肘の奥へと滑り込んできた。喉の奥がキュッと締め付けられる。私は弾かれたように跳ね起きると、足をもつれさせながら、その場から夢中で駆け出した。
居館の脇を、茶室の門前を、そしてあの忌々しいケドロの木陰を、ただひたすらに駆け抜ける。背後からは、見張りの番卒が声を張り上げて追ってくる雑音が聞こえていたが、もはやその言葉を正しく聞き取る余裕などなかった。私はただ前へと突き進み、やがて、あの八幡宮の社の真ん前へと、床の上に崩れ落ちるようにして両膝を突いた。
「一体、何が起きているというの……」
私は声を潜めて自らに問いかけた。呼吸は途切れ途切れに乱れ、巨木の陰に落とされた仄暗い陰影の中では、口から吐き出す息が微かに白く揺らめいていた。指先をゆっくりと胸元へとあてると、心臓が爆ぜんばかりに激しく乱打しているのが生々しく伝わってきた。
八幡宮の社は、あの夜と同じように、どこまでも重苦しく静まり返っていた。ここには小鳥たちのさえずりもなく、日の光すらも、重なり合う分厚い木々の梢に遮られて地へと届くことはなかった。
「お嬢様……」
具足をまとった若い番卒が、手にした獲物をそっと下ろしながら、恐る恐る私へと歩み寄ってきた。またしても、お嬢様、お嬢様、お嬢様だ。その響きを耳にするのが、今の私には如何ともしがたいほどに忌々しかった。
「お体の具合が佳くないのですか。医師を呼びましょうか」
私の堪忍袋の緒は、とうに切れかかっていた。奴を烈火のごとく叱り飛ばしてやりたい衝動に駆られたが、喉の奥から漏れたのは、ただか細い「否」の一言だけだった。
怒鳴り散らしたところで、何一つ正せるはずもない。もしここで抗えば、事態をさらに悪くするだけなのだから。
この檻から逃れることなど叶わない。そして、もう逃げようとも思わなかった。
見張りの兵が焦燥の面体を浮かべて傍らに立ち尽くす中、私は意を決して己の寝所へと引き返すことにした。奴は再び、忠実な野良犬さながらに私の後ろをぴたりと追ってきた。
庭園へと戻り着いたその刹那、居並ぶ諸大名どもが、すでに評定の間から引見を終えて三々五々に散っていく姿が目に飛び込んできた。館の奥からは、数人の下男どもが一躯の物言わぬ骸を、手荒に外へと運び出しているところだった。刑戮は完遂されたのだ。されど、その有様を目にしても、私の胸の奥にはいささかの悦びも、安堵の光も広がりはしなんだ。それどころか、果てなき暗雲がさらに深くのしかかってくるようだった。
脳裏のただ中に、幼き頃の記憶の残像が次々と浮かんでは消えた。豊光が私の手元を取り、厳かに習字の作法を教え込んでくれたこと。私には武家の娘としての従順さが欠けていると、いつも優しく諭してくれたこと。髪上げの儀の折、裳着の紐を丁寧に結び、慈悲深い笑みをその顔に浮かべてくれたこと。……そしてあの夜の社、あやつの皺枯れた両手が、私の太ももと首筋をきつく締め上げてきた、あの悍ましい感触。
私は両肩を激しく震わせ、狂ったようにその雑念を振り払おうと足掻きながら、逃げるように部屋の奥深くへと幽閉された。
されど、今度は敦子の姿が目の前に立ち現れた。私がまだほんの子供だった頃、カタバミの葉を噛み砕いて顔をしかめる私を見て、あやつが鈴の音のように声を上げて笑っていたこと。正しい薬草の道理を教え、手際よく傷口に包帯を巻き付けてくれたこと。……そして、あの激しい雨の響き、小道に無残に散らばった枯れ草の山、あの老いたケドロの巨木。
夜の帳が降りる頃、父上が私の寝所へと頭を覗かせた。その面体は、死人のように青白かった。間違いなく、今日という日はあの方にとっても手酷い難局だったのだろう。刑戮の差配、そして宿老たちとの果てなき詮議。
私は敷布団の上から弾かれたように跳ね起き、散らばった衣服や書の道具を大慌てで拾い集め始めた。一室の調度を整える猶予すら与えられず、高津様は自らひっくり返っていた文机を元の場所へと据え直し、畳の上へとどっかりと腰を下ろした。
「楓」
あの方は手元を顎で指し示し、私に座るよう厳かに促した。部屋の片付けを途中で放り出さねばならなかった。此度の日中の不作法な振る舞いや、一室を混沌に陥れた我がままについて、烈火のごとく叱り飛ばされるものとばかり思っていた。廊下を見張っていた番卒の奴が、私の繰り出した一挙手一投足について、逐一あの方に注進に及んでいたはずだから。
されど、高津様は一室の惨状など目にも留めず、私の激しい戦慄に心を動かされる様子も微塵もなかった。
「大殿……」
私はあの方から然るべき間合いを保ち、畳の上へと静かに膝を突いた。
「明ける週の極まりまでに、お前を他家へと嫁がせることに決した」
「……左様でございますか」
それは、これまでに幾度となく胸の奥で思案し、覚悟していた結末であった。されど、いざその宣告を真っ向から突きつけられた瞬間、喉の奥は完全に干からび、私の手のひらには、如何ともしがたい冷たい汗がびっしりと浮き出ていた。
「それまでの間、お前をこの館に幽閉とする」
私は遥か前から、他家へと嫁ぐ日のことを深く思案してきた。自らの心を無理にでも納得させようと足掻き、あるいは……この宿命から逃れる術はないものかと、淡い希望を抱いていたのだろうか。然り、胸の奥の最も暗い深淵では、そう願い続けていた。真に、浅はかで愚かな願いにすぎなかったけれど。
されど、今はどうだ。私はこの数日もの間、ただの紙の箱さながらの狭い一室に幽閉され、これから明ける週の極まりまでの二週間、そしてその後は……生涯にわたり、別の檻へと幽閉され続けるのだ。




