十五、楓
折檻、尋問、そして真相の究明。私は幼き頃から、長老や侍どもよりいくさの作法について幾度も耳にしてきた。然り、幼少より多くを学び修めてきたはずだった。されど、いざその生々しい光景と真っ向から対峙するとなれば……私の両足は完全に力を失い、父上が清正と二人きりで談判を交わそうと決した折には、その場に崩れ落ちんばかりに身体がぐらぐらと揺れていた。
軍幕の中には、いまや汗と鮮血の悪臭が立ち込めていた。またしても、血だ。此度ばかりは、激しい吐き気に襲われて胸の奥がひどく悶えた。ゆえに、私はただ申し訳なさそうに頭を垂れ、ようやくあの不浄の幕内から這い出せることに、心の底から安堵していた。
一歩一歩、新鮮な冷気を求めて出口へと足を引きずるうちに、私は爪先で満の踵を僅かに小突いてしまった。あやつの存在を、今の今まで完全に失念していたのだ。
鶴田の若君は苦痛に顔をしかめ、私の行く手からそっと足を退けた。
なんたる恥辱、なんたる申し訳なさかしら。あやつは私以上に傷つき、身動きも叶わぬ無力な身なのだ。
誰ぞ隠密を呼び、あやつに加勢をさせようなどとは、その時の私の頭には微塵も浮かばなんだ。首筋をひやりとさせる悪寒が走り、全身の毛が逆立つ。大殿たちを待たせるわけにはいかなかったし、ましてや満をこの場に一人きりで置き去りにすることなど、断じて御免被る。私は込み上げる吐き気をぐっと堪えてその場にしゃがみ込み、あやつに向かってそっと手を差し伸べた。
刹那、満は拒絶するように激しく身体をのけぞらせ、私の顔を真っ直ぐに見据えた。鶴田の男は敏感に察知していたのだ。私の胸の内にある憐れみを、そしてそれゆえに、武士の矜持を以て頑なに抗っているのだ。その頑迷さと誇りの高さ。されど此度ばかりは、私の胸に可笑しさなど微塵も湧き上がってはこなかった。
「……外で、待ちましょう」
不意に、私の口から声を潜めた囁きが滑り出た。満はなおも身体を強張らせていたが、静かに首を縦に振った。私はあやつから視線を逸らし、あやつは私にその体重を預けながら、床の上からゆっくりと立ち上がった。激しい痛みの波が襲ったのだろう、あやつの手のひらが私の身体をきつく締め上げたが、私はその不躾な痛みを少しも気に揉むことなく、そっとあやつの背中を支え続けた。冷え切った軍幕の暗がりのただ中で、あやつの衣服の布地だけが、妙に温かく感じられた。
後ろ髪を引かれるような心地で、私は背後から両家の頭領たちが私たちの有様をじっと見つめているのを感じていた。……あるいは、ただの気のせいかもしれぬ。あの方々には今、それどころではない、遥かに重々しい一族の難局がのしかかっているのだから。
一歩外へと躍り出た瞬間、私は眩しい太陽の光に一瞬だけ目を射抜かれた。されど、満をしっかりと支えたまま、私はその場に佇んだ。
「長老、お前の企てもこれで終わりよ」
胸の奥の激怒を堪えきれず、私はあやつに向けて声を絞り出した。されど、豊光の奴はただ嘲笑うようにこちらへ歩み寄ってきただけだった。周囲の隠密どもが僅かに身構える。豊光は私のすぐ傍らで足を止め、そのあまりの近さに私の内は激しく戦慄き、掴んでいた満の衣服の布地を、指先できつく巻き付けるように握り締めた。
「狼の児よ、お前も、そして一族の者どもも、本来ならこの俺に深く感謝の印を捧げるべきなのだぞ」
あやつの声音は、相変わらず掠れていて、されど、まるでいくさに勝利したかのような傲慢なる響きに満ち満ちていた。
「サムライにとって、死というものは決して終わりではないのだからな」
「浅はかだな。死を語るなら、まず己の仕出かした不始末の重さを知るが良い」
満の一言が、私を深い困惑から引き戻した。あやつは私に寄りかかりながらも、その佇まいはどこまでも堂々としており、気高かった。
「……お前は必ず、ここで刑戮に処されるわ」
私の放った言葉は、先ほどよりも遥かにか細く、まるで自分自身さえその結метの結末を信じ切れていないかのように大気に消えた。
「おそらくはな。されど、滅びの深淵へと没するのは、断じて俺一人ではないぞ」
その一言に息が詰まり、胃の腑が雑にねじ切られるような衝撃が走った。当然、あやつの手の者どもも然るべき処罰を受けるのだろうが、豊光の言わんとする破滅の道が、断じて配下の雑兵どものことなどではないことくらいは、私にもはっきりと分かった。
今すぐ言葉を叩き返してやりたかったが、喉の奥に塊が閖え返り、思案は霧散していく。然り、豊光の陰謀は暴かれた。されど、胸の奥にはいささかの安堵も広がってはこなかった。
大殿たち。
あの方々は、あの軍幕の奥で一体何をこれほど長く論じ合っているというの。
焦燥のあまり、大気すらも澱んでいくように感じられた。
「……かたじけない」
不意に満の口から零れ落ちた言葉に、私は驚愕に眉を跳ね上げ、顔を上げた。されど、鶴田の若君は私に視線を向けることもなく、その眼光はただ真っ直ぐに、我が父上の軍勢の方へと注がれていた。私はあやつの視線を追った。
疾風は此度ばかりは馬の背に横たえられることもなく、鞍の上に座らされていた。少年の若君はなおも死に物狂いで暴れていたが、乗馬から飛び降りることも、何一つ手立てを繰り出すことも叶わなんだ。あやつは未だ、太い縄で固く縛り上げられたままだったからだ。
それにしても、感謝、だと? 私にそれを受ける資格などあるのだろうか。否、断じてない。
最初に軍幕から姿を現したのは清正であり、次いで我が父上が外へと下り立った。居並ぶいくさ人どもが悉く首領の裁定を待つ中、ついにその命が下された。
「その小僧をここへ連れてまいれ。そして、長老・豊光を搦め捕れ」
隠密どもが一斉に躍り出、瞬く間に長老の両腕を背後へとねじ上げた。豊光は辛うじて頭領の前での不作法な悪態こそ堪えたものの、その眼光には、正気を失った狂気の色がありありと浮かんでいた。あやつにとって、両腕を縛り上げられるという不名誉は、己の矜持が断じて許さぬ恥辱であったのだろう。
満の身体から、すっと凄まじい緊迫が抜けていくのを私は肌で感じた。疾風は家に帰れるのだ。
されど、父上は豊光に刑戮を申し渡さぬおつもりなのか。否、これほどの大罪、死罪は免れぬはずだ。ならば、二人の大殿は幕内で一体いかなる談判を交わしたというのか。
険しく眉をひそめているうちに、周囲の武士どもが一斉に乗馬へと跳ね上がり、鶴田の軍勢の側からも数騎の隠密がこちらへと近づいてきた。
どうやらいくさは回避され、頭領たちはそれぞれの陣を引き払う決意をしたようだった。驚いたことに、清正の横顔は不気味なほどに泰然としており、対する我が父上は、ただ頑なに首領としての冷酷な面体を保ち続けていた。
満は私の身体からそっと手を放すと、誰の目にも留まらぬよう、私の肩を二、三度優しく叩いた。私は何も言わず、あやつはただ深く、長い溜息をもらした。
「すべては、然るべき場所に収まるさ」
あやつは地を這うような声で静かに告げると、迎えにきた己の家の隠密どもにその身を委ねた。そう信じたかった、真にそう願いたかった。されど、私の胸の奥の不穏なざわめきは、どうしても消え去ってはくれなかった。
二人の鶴田の侍が、手際よくその若き主君を馬の背へと押し上げた。満は激痛に喉を鳴らし、指先が白くなるほどに手綱をきつく握り締めた。
父上の兵が疾風を連れ戻し、乗馬からその身体を引きずり下ろした。少年は縄が切り裂かれるのすら待ちきれぬ様子で、一目散に兄の元へと駆け出した。
「満兄様! 生きていたんだね!」
疾風は小袖の袖で鼻水を拭いながら、馬の足元で激しく跳ね回った。されど、満を強く抱きしめることすら叶わなんだ。清正がすぐさま、数多の番卒を随伴させて息子たちを屋敷へと連れ戻すよう命じたからだ。二人の若君の身にこれ以上の脅威が及ばぬよう、その防備はさらに網の目のように固められるに違いない。
「楓、屋敷へ戻るぞ」
父上が私の背中を無造作に押し、そう告げた。あの方が私に対して深い失望を抱いていることは、火を見るより明らかだった。その理由など、今更言葉を費やすまでもなかった。
私は馬の背へと這い上がった。父上の信頼する隠密どもに囲まれての道行は、果てしなく長く感じられた。ようやく山の屋敷の門が視界に飛び込んできた時、大地にはすでに漆黒の夜の帳が降りていた。されど、屋敷のうちは誰一人として眠りに就いてはいなかった。下女どもは水桶を手にせわしなく走り回り、頭領の帰還の支度に追われ、番卒たちはこれからのいくさの行方について声を潜めて論じ合っていた。
私が大門を潜り、苔むした小道へと一歩足を踏み入れた、その刹那――館の奥から、母上が狂ったように走り出てきた。手にした小さな行灯がその御手から虚しく零れ落ちる。陶器の器は無残に砕け散り、仄暗い灯火は一瞬にして掻き消された。
「楓……?」
優しく、耳に馴染んだ母上の震える声音を耳にした瞬間、私は声を上げて咽び泣き、己の身に起きたすべての顛末を打ち明けたい衝動に駆られた。されど、それは叶わなんだ。母上の両手は、見覚えのない私の衣服の布地をなぞるように滑り、私の肩を確かめ、顎をそっと掴んで狂ったように私の顔を見改めた。暗がりのただ中、月の光に照らされた母上の瞳が激しく潤み、その身体が小刻みに震えているのが手に取るように分かった。
「一体、何があったというの……」
「何でもありません……」
私は嗄れた声で短く答え、母上は私の姿を頭から足元まで隈なく見分した。
「大殿より、一歩たりとも館の外へ出してはならぬと厳命されております」
番卒の冷酷な一言が、私たちの再会の余韻を容赦なく切り裂いた。
今度は私の目頭が熱くなり、涙のひと雫が溢れ出そうになった。されど、自分がなぜ泣きそうになっているのか、その理由すら分からなかった。ようやく我が家へ帰り着けた安堵のせいなのか、あるいは再び部屋の奥深くへと幽閉される口惜しさのせいなのか。己を虜囚や罪人のように称する気はなかったし、武家の娘として、そのような不甲斐ない泣き言を口にする資格など元よりありはしなかったけれど。
母上は何事かを他人に盗み聞きされるのを恐れたのか、それ以上は何一つ問いかけることもなく、ただ静かに私の寝所へと付き添ってくれた。熊沢の家においては、己に関体のない事柄に無闇に好奇の目を向ける不作法は、誰一人として好まなんだから。
「すぐに水を運ばせ、身体を拭わせましょう……これではまるで、宿無しの浮浪人のようよ……」
私は母上の両手をきつく掴み、静かに首を横に振って、そっとその身体へと歩み寄った。ただ、あの方に強く抱きしめてほしかったのだ。されど、それを言葉にするのは、あまりにも恥ずかしくてならなかった。
「分かった、分かったから……」
母上は私の頭を己の胸元へと引き寄せ、優しく髪の結び目を撫で回してくれた。あの方からは、微かに甘い香が漂い、その身体は酷く柔らかく、温かかった。胸の奥が締め付けられるようにキリキリと痛み、両肩が激しく戦慄き始める。これ以上の不覚は断じて御免被る。私は狂ったように咽び泣きたい衝動をぐっと堪え、強く唇を噛み締めた。
「高津様が如何なる裁定を下されたか、私が探りを入れてまいります。お前はここで、ただ休んでおいで」
ようやく心が安らぎかけたその刹那、庭の向こうから、引き裂かれたようなおなごの悲鳴と咽び泣きが響き渡った。私と母上は、一瞬にして身体を強張らせた。
「ここに残っておいで」
母上はそう言い残すと、鶯張りの床板を激しく鳴らしながら、足早に庭へと走り去っていった。壁の向こう、私の寝所からそう遠くない廊下のあたりで、数多の足音がせわしなくうごめく雑音が聞こえていた。まもなく、何かが擦れる不気味な音と、床の上に重い何かがどさりと倒れ伏す鈍い響きが届く。まるで、巨大な荷物でも引きずり回しているかのようだった。男たちの荒い息遣いと、声を潜めた不満げな囁きが耳を突く。
一体、外で何が起きているというの。暗がりのせいで何も見えず、奴らの言葉を正しく聞き取ることも叶わなかった。
ふすまが静かに滑り開き、母上が部屋へと戻ってきた。あの方は私に向けて手をひらひらと振り、敷布団の上へと入るよう促した。されど、あの方の佇まいはどこか奇妙に歪んでいた。その瞳は驚愕に大きく見開かれ、唇に浮かべた笑みは、その目元には微塵も届いてはいなかった。
「楓、さっさと横になりなさいな。下女が、ただの野良猫の姿に驚いて腰を抜かしただけよ」
あまりに見え透いた大嘘であったが、私は大人しく敷布団の上へと身体を横たえ、夜着を深く引き寄せた。されど、心臓はまるで檻の中の小鳥さながらに激しく乱打を続け、胸の奥の不穏なざわめきは、どうしても消え去ってはくれなんだ。
如何に目を閉じようとも、眠りの深淵が訪れることはなかった。早朝、いつもなら私の髪を梳きにやってくる敦子の姿はなく、他の下女どもも一人として部屋に這入ってはこなかった。おそらく、父上が私の一室への出入りを厳しく禁じられたのだろう。私は自ら身なりを整えると、恐る恐る廊下へと頭を覗かせた。遥か遠くの方で、下女どもが声を潜めて熱心に噂話を囁き合っているのが微かに聞こえる。
私は意を決して廊下へと一歩足を踏み出したが、その刹那、足元から鋭い軋み声が上がった。然り、この「鴬張り」の床板の上では、誰の目をも欺いて気配を消すことなど到底できはしないのだ。私は細心の注意を払い、最も害のなさそうな道理を選んで、音を立てぬよう慎重に爪先をかけた。されど、焦れば焦るほどに床板は不躾な鳴き声を上げ、事態は悪くなる一方であった。
「ええ……」
客人の間に集まり、若い下女たちが声を潜めて語らっていた。あやつらは時折、そこへ忍び込んでは、大して重要でもない噂話に興じる悪癖があった。
「……わざと虚言を吐いたのですって」
「なぜ、そのような大嘘を?」
もう一人が問いかける。やはり、またくだらぬ世間話に心を奪われているのだろう。誰が何のために虚言を吐いたのか、その全貌は判然としなかった。されど、白状すれば、その噂話の行方に私は激しく好奇心を揺さぶられていた。
不意に少女らの囁き声がぴたりと止み、凄まじい勢いでふすまが引き開けられた。あやつらは小さな悲鳴を上げて、申し訳なさそうに深く頭を垂れた。私はその不意の到来に身を強張らせたが、すぐに険しく眉をひそめて睨み据えた。
「……何の話をしていたの」
「何の話、ですか?」
二人は互いに真っ直ぐに視線を交わすと、引きつった笑みを浮かべてぞんざいに手を振った。
「何でもございません……」
「……奥様より、お嬢様には決して口にしてはならぬと、厳しく仰せつかっております」
一人がついに堪りかねたように、手にした雑巾を指先でせわしなく弄びながら白状した。もう一人は低く溜息をもらし、ただ畳の目をじっと見つめていた。私は胸の前で厳かに腕を組んだ。
「隠し立てをせず、申せ。何を口にしてはならぬというの」
私は片眉を跳ね上げ、あやつらの部屋へと一歩踏み入れた。そこには、微かに茶の葉と、敷き詰められた藁の香りが漂っていた。
「……お嬢様の身の回りのお世話をしておられた敦子様が、昨夜……首を括って身罷られました……」
敦子が? 私にありとあらゆる作法を教え込んでくれた、あの優しきおなごが、首を括った、だと? いや、そのような不届きな大嘘、断じて信じられるはずがない。あやつは思慮深く、誰よりも聡明な、誇り高き大人の女なのだから。
「たわけた戯言を!」
私は声を荒らげ、激昂して手を振った。
「あやつが、なぜそのような無惨な真似をせねばならぬの!」
「ですが……今や屋敷の誰もが、その有様を知っております……」
「これ以上、言葉を濁すな!」
湧き上がる激怒をとうにしきれなくなり、私はあやつらの手から雑巾をひったくるように奪い取ると、それを己の肩の上へと乱暴に投げ捨てた。下女どもはびくりと身体を震わせ、顔色を死人のように白く染めて、さらに深く頭を垂れた。部屋の中の空気がにわかに冷え込み、指先が凍りつくかのように冷たくなっていく。
「……敦子様があなたを庇うために、鶴田の家に濡れ衣を着せ、大殿の前で堂々と虚言を吐いたことは、すでに周知の事実にございます」
その一言に、私の瞳は驚愕に大きく見開かれ、足は本能のままに一歩後退った。――そうか、敦子は。あやつは決して私を裏切ってなどおらず、如何なる時も、この私を心から愛してくれていたのだ。あれほど実直で、変わらぬ忠義を尽くしてくれたおなごが、自らの意志で命を絶つなど……。
私は己の髪をむんずと掴み、行く道など構う余裕もないまま、ただ敦子のことだけを深く思案しながら歩みを進めた。あやつは確かに、あの夜の社のただ中で、私の姿を目にしていたに違いない。
両腕はまるで感覚を失ったかのように鉛のように重くなり、足取りは如何ともしがたいほどに重苦しかった。この悍ましい悪夢はとうに過ぎ去ったのだと信じたかった。されど、それは決して終わりを告げぬ果てなき深淵のようだった。あの社の夜、豊光の言う通りに大人しくあやつの指図に従ってさえいれば、このような不始末は起きなかったのだろうか。敦子が、この私を白く塗り潰すために、大殿の前で命懸けの大嘘を吐く必要もなかったのではないか。
私は小袖の袖で、溢れ出る涙を何度も拭い去ろうとした。されど、視界は涙のせいで濁り、激しく霞むばかりだった。そのまま表の通りへと踏み出しようとしたその刹那、私は何者かの重々しい、胸を圧迫するような殺気を感じて足を止めた。
「楓、己の寝所へ戻れ」
高津様の声音を耳にした瞬間、私の身体は凍りついたように動かなくなった。あの方が激怒しているのか、あるいは呆れ果てているのか、その腹の底を読み解くことは叶わなかった。あの方は如何なる時も、変わらぬ冷酷な厳格さを崩さぬお方だから。されど、今の私には、親指ひとつ動かしてその場を立ち去る力すら残されてはいなかった。
「……豊光様を、いかに断罪されるおつもりですか」
私は一体、あの方からどのような答えを求めていたのだろう。あやつが刑戮に処されたという一言か。あるいは、手酷い折檻を受けているという事実か。
「楓、寝所へ戻れ」
高津様は私に一瞥をくれると、そのまま無造作に私の脇を潜り抜けて外へと歩みを進めた。されど、すれ違いざまに、その鋭い眼光を僅かに私の肩越しへと巡らせた。
「お前との談判は、後で行う」
またしても、私には何一つ真実が知らされぬまま、まるで私の存在そのものが一族の重荷であるかのように、ぞんざいに扱われて立ち去っていく。真に、その通りなのだろう。
「……私を、裁かれるのですか」
私は強く唇を噛み締め、乱れた髪の陰にその顔を完全に覆い隠しながら、低く鼻をすすった。
「今、宿老たちと集い、お前の運命について深く詮議を重ねているところよ。……豊光は、その不忠に見合うだけの然るべき最期を迎えることになる」
「私は……如何なる刑戮をも受ける覚悟にございます……」
私は如何なる運命をも受け入れる覚悟であった。胸の奥に巣食う罪悪感は、狂わんばかりの激怒と共に、私の理性の最も暗い深淵へと染み渡っていた。ゆえに、己の寝所へと戻るや否や、私は声を限りに叫び散らしながら、部屋の中のありとあらゆるものを容赦なくひっくり返した。されど、その地を震わせるような叫びも、ただ私の脳裏の錯覚にすぎなかったのかもしれぬ。
両手は本能のままに押入れへと伸びた。ふすまが一度で滑り開かなんだことに苛立ち、私は枠へと足を突っ張って、凄まじい音を立てて戸をへし折った。引き剥がした後にようやく、自分がふすまを全く逆の方向へと引いていたことに気づした。そのまま押入れのなかを乱暴に掻き出し、夜着や敷布団、小袖の数々を畳の上へとぶちまける。次いで、書を認めるための筆や数多の巻物が床へと転がり、墨の入った小壺が哀れな音を立てて落ちた。黒い墨汁が床一面へと広がり、まるで底なしの、夜の帳のような昏い陰影を描き出していく。
一室は、完全に混沌の極みと化していた。
ありとあらゆる不作法を仕出かしたのち、私は胡坐をかいて床の上へとどっかりと腰を下ろした。その呼吸は、まるで山の森を死に物狂いで駆け抜けてきたかのように激しく乱れていた。
格子戸の隙間から這い入る日の光の筋が、埃を乗せて緩やかに壁の上を滑っていく。太陽は、地平の彼方へと沈もうとしていた。
二、三度、母上が心配そうに部屋を覗きにこられたが、あの方は何も語らず、すぐに静かに立ち立ち去っていった。私もまた、何一つ問いかけることはしなかった。いつものことだ。あの方は如何なる時も、余計な一言を漏らして首領の逆鱗に触れることを恐れておられたのだから。まもなく一人の下女が飯を運んできたが、胃の腑が受け付けるはずもなかった。温かかった飯は瞬く間に冷え切り、添えられた茸の吸物も、夜の手前にはすっかり干からびていた。
私は己の乱れ髪をむんずと掴んで掻きむしり、低く獣のように唸り声を上げて跳ね起きた。もう、この敷布団の上にただじっと座して時を費やすことなど、私の神経が断じて許さなんだ。敦子を黄泉の国から呼び戻すことも、すでに狂ってしまったこの事態を覆すことも叶わぬ。されど、私はどうしても知りたかった。豊光が一体いかなる真意を以て、これほどの大事を仕出かしたのかを。あやつは真に刑戮に処されるのか、そしてこの私には、如何なる折檻が待ち受けているのか。己の辿るべき最期なら遅かれ早かれ知ることになるだろう。されど、あの嘘つきの腹の内など、誰も私に注進しにくるはずがなかった。
ふすまを強引に引き開け、私は苛立ちのあまり指の骨をポキポキと鳴らした。高津様は廊下に一人の番卒を配しておられた。おそらく、この私が一箇所に大人しく留まっていられぬ狂犬であることを、あの父上は見抜いておられたのだろう。
窓へと向かって視線を転じた瞬間、私の胸の奥の激怒はいっそう激しく燃え上がった。こうなれば、一族の目を欺き、密偵のごとくここから這い出るまでだ。
障子を滑らせると、大気の中からかすかに雨の匂いが漂ってきた。夜の天空は不穏な黒雲に覆い尽くされ、遥か密林の彼方で、ギラリと禍々しい稲妻が閃いた。頭を外へと覗かせた刹那、新鮮な冷気が私の白粉の頬をそっと撫でる。
やはり、ここにも番卒が佇んでいた。奴は私の左手側、目と鼻の先の至近に突っ立っている。奴が大きくあくびを噛み殺す締まりのない音が耳に届いた瞬間、私は大慌てで部屋の暗がりへとその身を引き戻した。幸いなことに、近づいてくる足音はなく、私は胸の奥から安堵の息を漏らした。
深く思案を巡らせながら、一室の有様を隈なく見回す。されど、番卒の目を逸らすための小道具など、どこにも見当たらなんだ。筆か? 敷布団か? いや、そのようなものは何の道理も成さぬ。
豊光の奴は未だ、あの詮議の場で徹底的な白状を迫られているのだろうか。それとも、すでにその首を撥ねられたのだろうか。否、まだ生かされているはずだ。
もう、躊躇う猶予などなかった。私は床の上の冷え切った飯の塊と、干からびた茸を手のひらでむんずと掴み取ると、再び窓の側へと這い寄った。そして、その塊を暗がりへと力任せに放り投げた。飯の塊は、そう遠くない場所に聳え立つ一本の巨木――老いたケドロの幹へと、べっとりと鈍い音を立ててぶち当たった。番卒は何事かをぶつぶつと毒づきながら、その不審な音の正体を探るべく、足早に闇の中へと歩みを進めていった。
今こそ、この檻から逃れる唯一の好機。私は素早く窓から這い出ると、障子を僅かに隙間を残したまま静かに閉め、庭の木々の陰へとその身を潜めた。
「薄汚い野良鼠めが!」
番卒は私の窓のすぐ下を、さも大層な佇まいで歩き回りながら悪態をついていた。これでは遠くへ逃れることなど到底叶わぬ。私はこの男の目を再び欺く手立てはないかと、激しい焦燥に身を焦がした。山吹の繁みの陰に身を縮め、手元を探ると、湿った土の上に固く、ざらついた「何か」が触れた。その刹那、再び稲妻が天地を白く引き裂き、周囲の全貌を一瞬だけ鮮烈に照らし出した。私の目に飛び込んできたのは、無残に散らばった枯れ草の山だった。
私の脳裏に、再び凄まじい狂乱の熱気が吹き荒れた。散らばっていたのは、乾き切った艾の茎。それはあのケドロの根元に向かって、点々と道標さながらに連なっていた。我が一族の館において、このような薬草を好んで毟る者など、ほんの数人しかおらぬ。
あのケドロの枝に、敦子が吊るされていたのだと……その悍ましい全貌を悟った瞬間、私は己の腕へと激しく牙を突き立てた。肉を引き裂くような激痛など、胸の奥の苦渋に比べれば些細な問題にすぎなんだ。口の中に生鉄のような苦い味が広がっていくのを噛み締めながら、私は空いた御手で一塊の河原石を拾い上げ、あの忌々しいケドロの幹へと向かって力任せに投げつけた。
「ええい、一体何が起きているのだ!」
武士は激昂して声を荒らげ、荒々しい足取りで再びケドロの元へと向かっていった。奴は木の周囲を隈なく見分し、己の顎をガリガリと擦りながら、深く思案に暮れ始めた。
その隙に、私はその場を鮮やかに気配を消して駆け抜けた。
仄暗い灯火が、宿老たちや頭領が集う評定の間の障子に揺らめいていた。一族の最も重要な談判が行われる、あの大広間だ。されど、その内の有様を盗み聞きするのは至難の業であった。隣の次の間には、如何なる不測の事態にも対処できるよう、常に数多の隠密どもが網の目のように控えているからだ。
「……某は、豊光を刑戮に処す必要はないと断言いたします」
私が壁の隙間にそっと耳を押し当てたその刹那、一人の宿老の地を走るような声音が響いた。
「あやつは大殿の威信を著しく汚したのだぞ」
もう一人が反論の声を上げる。
「我らを皆、揃って大馬鹿者に仕立て上げたのだ。その一事だけでも、首を撥ねる大罪として十分すぎる道理よ」
「承服しかねるな……」
深く、重々しい溜息が響き、最初の宿老がさらに不躾に、粗野な言葉を捲し立てた。
「我らを揃って大馬鹿者に仕立て上げたのは、断じて豊光ではない。高津殿、他ならぬ貴殿のあの娘でございますぞ」
私は息をひそめた。
「如何なる意味だ」
衣擦れの音が響いた。おそらくその宿老は、父上の眼光に射抜かれて僅かに身を縮めたのだろう。されど、確信は持てなかった。
「某が申しているのは、豊光の仕出かした不始末は、熊沢の一族の内うちだけで留めておくべきであったということでございます。あの娘が敵の真ん前で、一族の高貴な重臣を嘘つき呼ばわりしたなど……。鶴田の奴らにしてみれば、貴殿のこれまでの不当な振る舞いを糾弾する格好の好機……そして、大殿が往年の威信を失いつつあると侮る隙を与えるだけにございます」
険しく眉をひそめ、あやつの言葉を頭の中で反芻するうちに、私は不覚にもその道理に同意してしまっていた。されど、あの無実の男が処刑されんとしていたその刹那……私はそのようなことまで思案を巡らせてはいなかった。我が一族が、鶴田の眼に如何に無様に映るかなど。
「俺がすべてを意のままに御せなんだがゆえに、頭領としての責務を怠っていると、そう申したいのか」
宿老どもは一瞬にして口を噤んだ。
「滅相もございません、高津殿。某が申し上げたいのは、豊光が如何なる思案を抱いていたにせよ、あやつは常に一族と主君への変わらぬ忠義を以て知られていた、という一事にございます」
「主君を差し置いて、裏で勝手に立ち回る下男など、不届きな悪党にすぎん」
すべての始まりから事の全貌を脳裏に過らせるうちに、私は自らの仕出かした行動のせいで、熊沢の一族が内側から脆く崩れ、分裂し始めていることを悟った。あの方々はもう、一つの正しい道理へと辿り着くことができなくなっているのだ。
「されど……」
最初の宿老がなおも言葉を捲し立てようとしたが、もう一人がそれを遮るように冷酷に言い放った。
「某に指図を下す権限などございませぬが、これほどの不忠を働いた豊光には、極限まで重々しい折檻が下されるべきにございます。そして、その処罰をあまねく天下に知らしめるのです。熊沢のすべての宿老どもに、高津殿の権力は微塵も揺るがぬ不磨の大典であり、その意志に背く不届き者は、誰であれ容赦なく刑戮に処されるという道理を、骨の髄まで叩き込むのです」
二人の宿老は、明らかに互いを激しく牽制し合っていた。言われた方の男が、悔しさに奥歯をガリガリと噛み締め、袴の布地を千切れんばかりに強く握り締めている有様が、私には手に取るように分かった。
「ならば、一族の利については如何に。我らの大義は、鶴田を悉く踏みにじり、あの肥沃な平野を我が物とすることにあったはずだ」
「言葉を慎まれるが良い、長老。もしや貴殿は、遥か前から豊光の陰謀を知りながら、裏で手を結んでいたのではあるまいな」
「若造が、政の道理も弁えぬ身でありながら、よくもまあそこまで不遜な口を利いてくれたものだ」
「そこまでにせよ」
床を激しく叩く鈍い音が響き渡り、二人の宿老は一瞬にして口を噤んだ。
「俺は裁定を下した。長老・豊光は、関わったすべての裏切り者どもと共に、如何なる身分であろうとも、明朝、刑戮に処す」
「御意のままに、大殿」
二人の男は、声を揃えて、されど如何ともしがたい不満を滲ませながら承服した。次いで、和紙の擦れる音と、腰を上げる衣擦れが聞こえてきた。
「処刑は明朝行う。その後、楓の処分について深く詮議を重ねる」
あの方々が席を立ち、退室していく気配がした。廊下を渡る足音がだんだんと近づいてくる。私は必死に首を振り、退路を捜し求めながら、来た時と同じように漆黒の闇の中へと全力で駆け出した。
我が家でありながら、なぜ私はこのように山吹の繁みを死に物狂いで逃げ回らねばならぬの。
寝所の前に佇んでいた番卒は、壁に背を預けたまま、頭を深く垂れてだらしなく居眠りを貪っていた。このように立ったまま眠りこけるなど、真に呆れ果てた有様だった。
幸いなことに、私は格子戸を僅かに開け放したままにしておいたため、誰の目にも留まらず、音を立てずに部屋の暗がりへと滑り込むことができた。そこは、私自身が仕出かした、完全なる混沌と、無残なる破滅の残骸が散らばる一室だった。




