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十二、満

軍幕の壁には、燃え盛る油を満たした銅製の器が禍々しい陰影を投げかけていた。中央には、鶴田の平野である信濃の地図が広げられた、低い漆塗りの文机が据えられている。その少し奥には、熊沢高津のための床椅子が佇んでいた。

幕内には灯油と杉、そしておそらくは壁を成す木綿の布地の匂いが立ち込めていた。されどそれ以上に、大気のただ中には、まるで松脂のように重く、濃密な、避けては通れぬ破滅の気配が漂っている。

二人の忍びが、俺を高津の椅子の真ん前へと強引に引きずってきた。奴はすでに、すべてを意のままに動かす裁定者さながらの威風堂々たる佇まいで、そこに腰掛けていた。事実、奴の手元にはすべての勝札が握られているのだ。この将棋の盤上においては、如何に俺が父上を敬うていようとも、高津が圧倒的な優位に立っていることは疑いようもなかった。

「顔色が佳くないようだが?」

高津は手にした巻物で己の膝をトントンと叩きながら、お仕着せの問いを投げかけてきた。そのような愚かで、俺を愚弄するかのような問いなど、今の俺にはどうでもよいことだった。されど、その巻物に据えられた鶴田一族の封印が、嫌でも俺の目を引いた。間違いなく、侵略者どもからの脅迫状に対する父上の返書(返書)に違いなかった。

「我が身の気遣いをいただき、かたじけなうございます」

俺は作り笑いを浮かべて男を睨み据え、床の上から立ち上がろうとした。敵の前で跪いたままでいるなど、武士の矜持が許さぬ。されど、俺の足はそれを拒んだ。山の野蛮人どもの手荒いもてなしのせいで、傷口の激痛は百倍にも跳ね上がっていたのだ。

高津は笑い返すこともなく、ただ片眉を僅かに跳ね上げると、巻物を広げながら本題に入った。

「俺はな、何よりも真実を重んじる。俺にとって、偽りというものは死よりも遥かに忌むべきものだ。嘘を吐くのは、臆病者のすることよ」

奴はそう言って巻物を脇へと退けると、軽く手を振った。忍びの一人、あの人をいたぶることで悦びを得るような不届き者が、深く頭を垂れて軍幕の中へと入ってきた。

「長老の豊光様と、下女の敦子をここへ呼べ」

豊光の名を耳にした瞬間、俺の脳裏で血がわっと沸騰するのを感じた。今起きているすべての全貌に、俺自身の不始末があることは百も承知だ。されど、あの長老の罪もまた、万死に値する。もし楓の言葉を信じるならば――そしてあやつの父親の道理に倣うなら、あやつは決して嘘を吐くような臆病者ではない――豊光こそが、最も卑劣で、汚らわしい不届き者なのだ。

高津は、そんな俺の有様を油断なく観察していた。奴の眼差しから感じられたのは、苛立ちでも見下すような侮蔑でもなく、何か別の異質なものだった。あの視線は、父上が評定の間で宿老たちを値踏みしていた時のものと、酷く似通っていた。俺が失態を仕仕出かすのを待っているのか? それとも、偽りを暴き立てようと罠を仕掛けているのか? おそらくは、そのどちらもだろう。

五分と経たぬうちに、豊光が軍幕の奥へと足を踏み入れた。長老は酷く病み衰え、見る影もなく打ちひしがれているように見えた。あの哀れな野蛮人の小袖にあれほど大量の鮮血を染み込ませておきながら、療養の褥ではなく、この戦の本陣(軍幕)に這い出てきたこと自体が、妙なこともあるものだと思わざるを得なかった。

「大殿……」

豊光は己の脇腹を片手で痛々しげに押さえながら、深く頭を垂れた。その背後に続いて、悲しげな顔色を浮かべ、背の曲がった一人の老いた女が入ってきた。

「鶴田満よ、あの夜のことを話すが良い」

高津は上座から俺を見下ろし、そう命じた。俺は、嘘を吐くことなく、されど楓の恐ろしい秘密を決して明かさぬような言葉を返せるのではないかと考えていた。しかし、いざ真に向き合ってみると、己の内が空っぽになっていくのを感じた。如何なる弁明を重ねようとも、最初に熊沢の境境を侵したのは、この俺なのだ。その後に起きたことなど、もはやどうでもよいことだった。

すべての здра思案が一瞬にして俺の頭から吹き飛び、俺の口からはただ一言だけが漏れた。

「俺の手は、長老・豊光様の血で汚れてなどはおらん」

それは言い訳にもならなんだし、ましてや、すでに定められた一族の運命を覆せるはずもなかった。

豊光は身じろぎひとつせず、俺の言葉に少しも驚いた様子はなかった。高津もまた同じだった。奴は微動だにせず、泰然と構えている。

「ほう。ならば、何者かに濡れ衣を着せられたとでも言うつもりか?」

一族の首領は瞬き一つせず、俺の額からは冷たい汗のひと雫が伝い落ちた。これがまた熱病のぶり返したせいなのか、あるいはこの大殿の放つ威圧感のせいなのか、俺には判然としなかった。

「違う」

「敦子、申せ」

下女はさらに深く頭を垂れた。

「あの夜、お前は何を目にした」

高津は豊光には問いを投げかけなんだ。言うまでもなく、長老の言葉にはいささかの疑う余地もないのだ。俺や、この老いた下女の言葉とは違ってな。

軍幕の中の空気が、にわかに冷え切っていく。敦子は俺に向けて視線を走らせ、言葉を濁していたが、豊光がそれを急き立てるように口を開いた。

「敦子、案ずるな。ありのままを、包み隠さず話すが良い」

「ははっ、豊光様」

女は首領の前へと跪いた。

「楓様が髪上げの儀(裳着)を終えられ、八幡様の社へと足を向けられた夜のことにございます……」

その言葉を耳にした瞬間、俺は息をひそめ、胸の奥で激しく燃え盛る焦燥を隠しながら聞き入った。

「某も、その後を追うて参りました。そこへ、豊光様もお姿を現されたのです」

敦子は一瞬だけ長老を盗み見、豊光は静かに頷いてみせた。

「まもなく、お嬢様は己の寝所へと戻られました。某がそのお供をいたし、その後、再び外へと出ました折……社の中から、一人の若者が狂ったように飛び出してくるのを目にいたしました。その男の瞳は、暗がりのただ中で妖しく青く輝いておったのです!」

高津も豊光も、この見え透いた大嘘をさももっともらしく聞き入っていた。されど、今の俺に弁明できることといえば、その鬼神のごとき目を持つ若者の正体くらいなものだった。この不届き極まりない茶番劇には、正直すっかり嫌気がさしていた。

「そして私が社の中へと這い入りました時、そこには血を流して倒れ伏した豊光様と、その傍らに、あの若者の刀が残されていたのです!」

敦子は躊躇う色もなく、その指先で真っ直ぐに俺を指し示した。恥じる色もない、如何ともしがたい言いがかりではないか。なぜこれほどの大嘘が許されるというのだ。

「これでもまだ、事の次第は違うと言い張るか?」

「然り」

「一族の長老たる豊光と、下女の敦子が、この俺の目の前で堂々と虚言を吐いていると、そう申すか」

豊光は、自らの嘘がまるで一族の面目を汚す大罪であるかのように、不敵に鼻で笑ってみせた。俺は拳をきつく握り締め、高津の目を真っ直ぐに見据えた。

「その通りだ」

「ほう?」

男が椅子から立ち上がった瞬間、軍幕の中の空気が一変し、居並ぶ者たちが一斉に身体を強張らせた。俺とて例外ではなかった。奴の巨大な体躯が灯籠の明かりを遮り、重苦しい影が俺の上へと覆いかぶさる。

「お前は、父親にそっくりだな。居並ぶ証人の言葉もあり、お前の刀という動かぬ証拠もある。それなのに、俺の前で跪きながら、なおも己の無実を喚き立てるか」

高津は、獲物を追い詰める飢えた獣さながらに、緩やかな足取りで俺の周囲を回り、手にした清正の巻物を俺の前へと差し出した。

『鶴田の一族が長老・豊光様の命を狙うなど、言語道断の妄言であり、我が家への著しい侮辱である。

もしその言葉に偽りなきなれば、さらに確かなる証拠を示されるが良い。我が息子は今の傷病の身では、人をあやめるために部屋から出る一歩すらままならぬ身なのだから。

署名――鶴田清正』

父上の返書を読み終えても、その内容に驚きはなかった。当然だ。清正という男は誇り高く、俺を処刑せよとうごめく家臣たちを抑え込もうと必死なのだ。されど同時に、熊沢からのこれほどの侮辱と無礼を、ただ黙って見過ごせるはずもない。もし俺の首を差し出すにしても、それは幾度もの談判を経た後のことに違いない。

「『部屋から出る一歩すらままならぬ』身でありながら、よくも我が本陣(軍幕)まで辿り着いたものだな。ならば、あの夜に同じことができなかったと言い切れる道理がどこにある? もしかすると、その足の傷は後から負ったものではないのか?」

高津が上座から冷酷に問いかけてきた。

「見当違いにございます」

俺はただ真っ直ぐに言い返した。奴らを説得することなど、とうの昔に不可能だと悟っていたからだ。

「これ以上の確証がどこにいる! お前の父親は、大言壮語を並べ立てて身内の不手際(ほころび)を覆い隠そうとしているだけの傲慢な男よ。俺を襲った犯人の姿は、この眼で確かに見た。お前自身、それが誰であるか知っているはずだ!」

長老の豊光が、ついに堪りかねたように口を開いた。あやつの物言いはあまりにも堂々としており、その顔を見つめていると、真に俺がのろのろと八幡様の社へ這い進み、不届きにも押し入ったのではないかと、自分自身さえ錯覚しそうになるほどだった。

「知っている。だからこそ、お前が虚言を吐いているのだ!」

俺は必死に抑えていた激怒を、とうとう堪えきれずにぶちまけた。豊光は一瞬にして顔を真っ赤に染め、激しく憤慨してみせた。

「ならば申せ。あの夜、真に何があったというのだ?」

高津は手近な灯籠の火を一つ消し、次いで二つ目の灯りの前へと静かに歩み寄った。

「何があったかは知らん。されど、俺も、我が一族の他の者も、断じてそのような大罪は仕仕出かしておらん」

「同じ世迷い言を何度も繰り返すな、小僧が。鶴田の奴らは、誰も彼も己の仕出かした不始末に責任を執る矜持すら持ち合わせておらぬと見えるな」

長老は忌々しげに俺をあしらうと、再び己の傷口(脇腹)を痛々しげに押さえた。

「それは違うぞ、長老」

高津が不敵に笑みを浮かべた。

「あやつの弟(疾風)の矜持は、そこらの大人よりも遥かに勝っているわ」

その笑みと、疾風の名を耳にした瞬間、俺の内なる狂乱が完全に沸騰した。奴らは今、あの幼き弟を、まるで山林の野良猪のごとく泥まみれの檻の中に閉じ込めているのだ。あの売名(金の手配)に狂った忍びどもがあやつを嘲笑い、俺はここで、この山の野蛮人どもの足元に跪かされている。

「境目へと出陣する。刻限は一刻を争う。清正が如何なる決断を下したか、その眼で確かめてやろうではないか」

俺は再び両腕をごつい手でひっ掴まれ、荷車の方へと強引に引きずられていった。どこへ連れて行かれようと構うものか。俺はただ、疾風の姿を捜そうと必死に周囲へと視線を走らせた。

軍幕の外は、まさに混沌の極みだった。兵どもが四方八方へと駆け抜け、地を震わせるような怒号が響き渡っている。大気の中には、胸を圧迫するような、息詰まるいくさの気配が立ち込めていた。我らが三河と信濃の国境へと辿り着いたその刹那、あの三日の猶予は完全に尽きるのだ。

「放せ! 人殺しどもめ! お前たちが俺の兄貴を殺したんだ!」

声を枯らし、狂ったように叫んでいたのは、太い縄で両手を固く縛り上げられた疾風だった。高津の配下の一人が、その小さな身体を己の肩の上へと無造作に担ぎ上げている。目を凝らして見れば、あやつの両手は擦りむけ、手のひらは泥と鮮血にまみれて傷だらけだった。逃亡を試みて手荒に扱われたのか、それとも奴らに折檻されたのか。

「疾風!」

俺は軍勢の騒がしい怒号を突き破るように、弟の名を叫んだ。少年の瞳が一瞬にして激しく泳ぎ、まるで俺の声を探るように耳を澄ますのが分かった。

「疾風! 案ずるな、すべては上手くいく!」

「二人を別の馬に乗せよ。長男は俺の側に控えさせろ」

高津はそう命じるや否や、鼻息を荒く荒く鳴らし、漆黒の鬣を風に煽らせている馬の背へと身軽に飛び乗った。俺は険しく眉をひそめ、再び疾風の姿を視線で追った。あやつは連中の乗馬に負けぬほど激しく身体をよじり、大声を上げて暴れていた。俺はあやつを宥めようと必死だった。これ以上奴らを刺激して、殴られでもしたら、最悪の場合は命を奪われかねない。

「この、糞ガキが!」

あやつを担いでいた男が激昂して怒鳴り声を上げた。疾風が、その小さな乳歯で男の耳の付け根をがぶりと噛みちぎらんばかりに噛み付いたのだ。忍びどもが数人がかりで疾風を力任せに引き離そうとするのを見て、俺は思わずその元へと躍り出ようとした。されど、俺の目の前で、あやつの口には杉の木切れと布でできた無惨な猿ぐつわが噛まされ、言葉を完全に封じられた。あやつは、そのような不名誉なる恥辱(折檻)を受けてなお、頑なに身体をよじって抗い続けていた。されど、今の俺には、何一つ成す術がなかった。

「放せ! あやつはお前たちの奴隷(奴隷)などではない!」

俺は必死に地を這い、前へ進もうとしたが、その刹那、脳天に凄まじい衝撃が走り、目の前が真っ暗になった。意識が急速に遠のいていく。疾風の叫び声がぴたりと止み、忍びの腕の中でその身体が力なく折れ曲がるのが見えた。殺されたのか、それとも気絶させられただけなのか。それを確かめる術は、今の俺にはなかった。

馬のいななき、熊沢の隠密や武士どもの不気味な地鳴りのような怒号が、だんだんと俺の薄れゆく意識の中に侵入してきた。己の無力さを噛み締め、糸の切れた人形のように転がされている己の有様が、ひどく反吐が出るほどに忌々しかった。今となっては、潔く切腹して果てるのと、このように無様な虜囚として生き恥を晒すのと、一体どちらがマシなのか、それすら分からなくなっていた。

肩口からはだけた長い髪が、馬の足元に触れては泥にまみれていく。俺はただ、一本の絹の糸さながらに馬の背へと無造作に吊り下げられていた。両手両足は太い縄で固く縛り上げられ、たとえ今この場で逃亡を企てたところで、何一つ成し遂げられぬことは火を見るより明らかだった。

高津の乗る気性の荒い馬の傍らには、長老・豊光の乗る漆黒の駿馬が並んで歩みを進めていた。主のあの無残に引き裂かれた肉体の有様とは違い、その馬は至極頑健で、血気盛んであり、その瞳はどこか狡猾な光を宿しているように見えた。

俺は何とか首をねじり、後方を振り返った。後ろに控えるあの薄汚い忍びの馬の背には、疾風が物言わぬ骸のように横たえられていた。あやつの小さな身体があまりにも無防備で、哀れに思えてならず、胸の奥から泥のような苦渋が一気にせり上がってきた。

「あやつは生きているのか!」

俺は周囲の喧騒を突き破るように、あらん限りの声を張り上げて高津に問い詰めた。背後の忍びが下卑た笑い声を漏らし、あやつの折れ曲がった華奢な背中を手のひらでぽんぽんと軽く叩いた。

「当然、息はありますとも!」

「おのれ!」

俺が狂犬のごとく牙を剥くと、その忍びはぴたりと口を噤んだ。俺の凄まじい面体に気圧され、引き下がったのだろう。――そう高を括っていたが、その刹那、視界の開けた平野が目の前に広がった。三河と信濃の境目。両家が正面衝突を果たすべき、あの因縁の国境であった。

軍勢が足を止め、馬どもも一斉に動きを止めた。見上げれば、天空は燃え盛るような、禍々しいまでの茜色の朝焼けに染まっている。不吉な予兆。三日の刻限は、ついに完全に尽きたのだ。

熊沢の軍勢のはるか前方、対峙するようにして、すでに鶴田一族の圧倒的な大軍が陣を敷いていた。身分の高き宿老や物頭たちは悉く葦毛の馬に跨がり、そしてその中央、我が父上は一頭の純白の駿馬の上に、威風堂々たる佇まいで跨がっていた。父上が俺たちの不在に、あるいはこの無様な有様に気づいているのかは分からぬ。されど、その鋭い眼光には、如何なる敵をも生かしてはおかぬ苛烈な決意が満ち満ちていた。

軍勢が完全に動きを止める中、俺を乗せた馬だけが、なおも歩みを止めなんだ。父上・清正の元へと、真っ直ぐに向かって進んでいく。我らは両軍のただ中、境目の中心にて真っ向から対峙した。

「さて、清正」

高津が重々しく口を開いた。

「鶴田の家は、我が条件を飲むつもりはないと見えるな」

「我らは、他人の仕出かした不始末のツケを払う気など毛頭ない」

これぞ我が父上の声音であった。馬どもが再び不穏に歩みを進め、互いの周囲をなぞるようにして、まるで死の舞踏を演じるかのように円を描き始める。今や父上の姿をはっきりとその眼に捉えることができたが、胸を圧迫する恥辱と罪悪感のせいで、真っ直ぐに見据えることすら叶わなかった。

「満か?」

父上は俺に向けて鋭い視線を送り、多弁を弄することなく片眉を跳ね上げた。

「熊沢の奴ら、我が一族の跡取りを文字通り掠め取ったというわけか」

東の地平から昇りゆく太陽の光が、にわかに冷え切っていくように感じられた。その父上の言葉(言いがかり)を、高津はさも滑稽であるかのように受け止め、鼻から低く溜息を漏らした。

「清正よ、お前の息子どもは、自らの足で我が懐へと転がり込んできたのだぞ」

父上の白馬の動きがぴたりと止まった。流石の頭領も、この予想だにせぬ一言には完全に虚を突かれたようだった。

「何だと……」

あの父上が、返す言葉を失うなど、生まれてこの方一度も目にしたことがなかった。二人の息子が、揃って自ら敵の牙城へと這い入ったのだ。それは武士の掟において、一族への明白なる「裏切り(不忠)」に等しい行為であった。父上がこれを如何に断罪するか、俺にはその恐ろしい結末が手に取るように分かった。

「認めざるを得んな、お前は息子たちを大層立派に育て上げたわ」

高津はただ一人、父上の白馬の周囲を嘲笑うように回り続けた。鶴田の軍勢の間に、張り詰めた凄まじい重圧がのしかかっていく。

「見事なまでの身代わりよ。家族を救わんとするその執念。我らがこのような頭領の身でなくば、互いに佳き友になれたやもしれぬな」

「ならば、我らは我らではなかったということだ、高津よ」

父上はすぐさま正気を取り戻し、馬の背に無様に吊り下げられている俺の姿を冷酷に見据えながら言い放った。

「鶴が山の森に棲めぬように、熊が平野を支配することなど断じて叶わぬ。……して、お前の望みは何だ。如何なる条件を突きつける気だ」

「我が家の要求は、最初から何一つ変わらぬ。――お前の跡取りの首を、ここで撥ねる」

その宣告に、俺の身体は恐怖のあまり激しく強張った。蜘蛛の糸が絡みつくような、冷たい戦慄が全身の皮膚を這い回る。父上は、すぐには答えを返さなんだ。

「……ならば、次男の疾風は引き渡してもらおう」

「断る」

熊沢の頭領は冷徹に言い放った。

「戦など、どちらの家にとっても無用な流血にすぎん」

「分かっている。されど、時に他に道なきこともある。次男を引き渡す代わりに、お前の領地の資源を要求する。お前の立場を鑑みれば、これが正当な取引であることは分かっているはずだ」

父上は奥歯を噛み締め、俺に鋭い視線を送りながら低く溜息をもらした。その決断が、如何に重く苦しいものであるかは明白だった。家臣や宿老どもは、父上が何を語ろうとも決して納得はせぬだろう。いずれにせよ、一族の内に激しい不満の嵐が巻き起こることは避けられなかった。鶴田一族にとっては、熊沢の条件を飲むことも、いくさの火蓋を切ることも、等しく莫大な破滅を意味していたのだから。

「承知した」

その父上の決断を耳にした瞬間、俺は一瞬だけ静かに目を閉じた。疾風が家に帰れるのだという安堵が、胸の奥を静かに満たしていく。無意識のうちに口元が緩み、葵が狂ったように疾風の元へと駆け寄る姿が脳裏に浮かんだ。あやつなら、弟の帰還を耳にすれば、髪型を整えることすら忘れて、髪を振り乱して飛び出してくるに違いない。そして疾風はあやつをきつく抱きしめ、懐の松の実をその小さな手のひらに握らせてやるのだろう。

そのような淡い抱擁の夢に耽っている間に、長老の豊光と数人の忍びが、こちらに向かって一歩ずつ近づいてきていることに俺は気づかなかった。疾風は未だに奴らの手の中にあったが、その身体が僅かに身じろぎし、意識を取り戻しつつあるのが分かった。

奴らが近づいてくるにつれ、俺の胸の奥の焦燥は一段と激しく燃え上がっていった。奇妙な話だが、俺にとって死を迎えるのはこれが初めてのことにすぎない。されど、俺が恐れているのは、己の死そのものではなかった。ただ、疾風の目の前でその首を撥ねられることだけは、断じて避けたかった。もしあやつがその様を目にすれば、生涯にわたり己を裏切り者と責め、その罪悪感の深淵に身を焦がすことになるのは火を見るより明らかだった。

俺は強引に馬の背から引きずり下ろされ、冷たい地面の上へと跪かされた。父上はただ沈黙を守り続けていたが、その佇まいには、如何ともしがたい凄まじい重圧と、深い悔恨の色が露わになっていた。背後からは、再び疾風が手足をバタつかせて暴れ始める音が響き、あやつを力任せに押さえる忍びどもの不満げな怒号が聞こえていた。

「……最期の儀式を、お許しくだされ」

俺は顔を上げ、一族の頭領たちに向けて声を絞り出した。不届きな罪人として無残に処刑されることほど、武士として耐え難い恥辱はなかった。然り、これは紛れもない刑戮の場だ。されど俺は、心の底から神仏に祈っていた。武士としての名誉ある最期を、気高き死を。

両家の頭領が、互いに真っ直ぐに視線を交わした。豊光は驚愕に小さく口を開けたが、すぐに言葉を失って口を噤んだ。高津は少しの間だけ深く思案を巡らせると、静かに首を縦に振った。

「大殿、このような不届き者に、それほどの格式高き名誉を与える必要がありましょうや!」

豊光は険しく眉をひそめて手綱を鋭く引き、高津の白馬の傍らへと一歩近寄って不満の声を上げた。

「お前は、この俺の裁定に異議を唱える気か」

「大殿はあまりに寛大にすぎます。鶴田の奴らは我らを足蹴にし、我が一族の者を襲ったのですよ」

長老は手負いの脇腹を手のひらでなぞり、すべての始まりとなったあの傷を周囲に誇示してみせた。高津の頬の肉がピクリと跳ねる。敵の軍勢の真ん前でこのような不忠を働くなど、断じて許される所業ではない。

「脇差を持て」

高津は長老の言葉を悉く黙殺し、ただ冷徹に命じた。無視された豊光はますます怒りを募らせ、奥歯を噛み締めながら馬の背を鋭く叩いて立ち去ろうとした。

「高津よ、お前は弱さを晒しているのだ」

最後にそう言い残し、周囲の武士どもにさらなる冷たい沈黙を強いると、あやつは自らの軍勢の方へと引き下がっていった。

このような不穏な諍いの後では、真に最期の儀式が許されるのか確信は持てなんだが、俺の脳裏には、すでに無意識のうちに辞世の句が形を成し始めていた。今の俺にできることは、ただ己の内の想いとすべての思念を紙の上へと書き付けることだけだった。

「墨と筆、紙、そして脇差を持て」

高津はそう命じるや否や、馬の背から身軽に飛び降り、それに続いて父上・清正もまた静かに下り立った。二人は互いに言葉を交わすこともなく、俺に対しても一言半句たりとも語りかけなんだ。俺とて、もはや語るべき言葉など何一つ持ち合わせてはいない。すべては最初から定められていたのだ。あの夜、俺が境目を越えたその日から。あの森のただ中で、熊と交えしその刹那から。あの熊は、今日という日が訪れる遥か前から、すでに俺の宿命を決していたのだ。

まもなく両手の縄が切り裂かれ、俺の前に墨と筆が差し出された。筆の木の軸の端を指先で掴んだその瞬間、あの森での立場が鮮烈に蘇る。この木の軸で、あの野蛮な小娘の頭を軽く小突いたこと。あやつが俺を阿呆と呼び、俺が森の中で我がままを言うたびにせせら笑っていたこと。己の内に湧き上がる可笑しさに微かに笑みを浮かべながら、俺は静かに筆を走らせ始めた。足の焼けるような激痛も、いくさの脅威も、その一瞬だけは綺麗さっぱり消え失せていた。そこにあるのは、ただ禍々しいまでの茜色の朝焼けと、草木の馨しい香り、そして墨の匂いだけだった。

手の震えは、奇妙なほどにぴたりと止まっていた。黒い墨で一文字一文字を厳かに、ただ二行の羅列を紙の上へと残した。

『八幡の白き鳩らは、熊と鶴、何れの家をも等しく見守らん。

茜色の空の下、誰もが等しくあるなれど、皆が天へと舞い上がれるわけにあらず、ただ草原に足跡を残すのみ。』

辞世の句を認め終えると、俺は生唾を呑み込み、再び顔を上げた。この場には、俺の身体が断末魔の苦悶に襲われた折にその首を撥ねてくれる、我が身の介錯人となってくれるような友も、志を同じくする者も、ましてや俺と同等の身分を持つ武士など一人もおらなかった。本来、襲撃の大罪を背負わされた身では、そのような名誉ある介錯など許されるはずもない。されど、それで構わなんだ。

俺はもう一枚の紙を手に取り、血で手元が滑らぬよう、きつく刃の根本へと巻き付けた。それは俺がまだ幼き頃、父上から直々に教わった武士の作法であった。

最期の深い息を吸い込み、俺は脇差の切っ先を真っ直ぐに己の腹へと向けた。教わった通りの作法だ。真横に一文字に引き裂き、もし残された力があるならば、刃を上へと跳ね上げる。

されど、俺がその儀式を完遂するより早く、俺の肩の上に高津の剛毅な手のひらが、ずっしりとした重みと共に無言で振り下ろされた。奴はその大きな手で俺の肩をきつく締め上げ、黙って待てと、そう命じていた。

雑踏を突き破り、十六歳ほどの一人の少年が死に物狂いで駆けてきた。何度も足をもつれさせ、泥まみれになって地に転がりながらも、熊沢の隠密どもの包囲を潜り抜けようと必死に足掻いている。身にまとった羽織は無残に引き裂かれ、その顔は煤と泥で真っ黒に汚れていた。

「大殿!」

少年は、襟首を掴んで遮ろうとする男たちの手を必死に振り払いながら、狂ったように叫び声を上げた。その声音が耳に届いた瞬間、俺の全身の毛が逆立った。――いや、まさか。気のせいだ。

その小僧は一人の男の腹を力任せに殴りつけると、なおも前へと突き進もうとした。背後から羽織をひっ掴まれたが、奴はそれを強引に脱ぎ捨ててさらに速度を上げた。

高津は険しく眉をひそめ、この予期せぬ不測の事態に、手にした長刀の柄へとそっと手をかけた。奴は我が父上を未だに信じ切ってはいない。これも何らかの罠か、あるいは目を逸らすための陽動の計ではないかと睨んでいるのだろう。

「なんたる不作法な騒ぎだ!」

豊光が馬を進めてその少年の元へと詰め寄り、目元にだらしなくかかる乱れた髪を強引にひっ掴んだ。その刹那、長老は若い密告者の顔を真っ直ぐに見据え、彫像のようにぴたりと動きを止めた。

「大殿、どうぞ最期の儀式を続けられよ! この場は某が検分いたします!」

高津が小さく頷いた。それを見た俺は、再び脇差の刃を己の腹へと向けた。


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