6. 取調室
「では、君は彼女の本性を本当に全く知らなかったということでいいかな?」
目の前にいるスーツを着た中年男性が尋ねた。頭髪は薄く、それが年老いた中年男性の威厳を引き立てている。ここは警察署の取調室。スーツを着た中年男性は警察官だった。
彼女と夜道を歩いたあの日。彼女の住むアパートの屋上へと続く梯子の上で、男は彼女に怒号を浴びせられていた。上にも下にも逃げられず、目の前に差し出された不穏な契約書へのサインを要求されていた。そして男が動揺してなにもできずにいると、地上から野太い声が飛んできた。その声の主こそが、この警察官の中年男性だった。
警察官は男の元まで駆け寄り、彼女を引き離した。その日は警察官の説得により、男は自宅に帰ることとなる。
あの日から数日後。男はあの日以来彼女とは一度も会っていなかったし、連絡も取れずにいた。さすがにそろそろ再会するべきだと思い立って彼女に連絡をしようとしたところ、それより先に彼女からではなく警察から電話がかかってきた。事件の事情聴取をしたいから警察署に出頭願いたいという旨の連絡。
任意出頭ではあったが、男は警察署に訪れた。事件とは、あの日の夜に彼女に梯子上で覆い被さられて怒鳴られ続けた件のことだと思っていた。しかし、そうではなかった。男は想像のしようもなかった事実を知ることになる。
――男が親しくしていた彼女は、刑務所を脱獄して逃亡中であった犯罪者だった。
彼女は重罪に値する詐欺行為を繰り返す犯罪者で、刑務所に服役していた。しかしある時に集団脱獄を果たし、彼女はこの街に潜伏していたという。警察官の中年男性も最初は彼女が逃亡中の囚人とは気づかなかったものの、明るいところで顔を見たら既視感を覚え、データベースで照合したら判明した。
この街は他の地域と同様に人口減少が著しく、空き家が多い。そういった空き家が犯罪者が潜伏する隠れ蓑となっていた。あの日に彼女に連れられて辿り着いたアパートも彼女が家賃を支払って住んでいた場所ではなく、不法滞在して住み着いている空き家に過ぎなかった。
逃亡中の犯罪者である彼女が男に接近した理由は財産目当て。財産贈与の契約書を差し出されたことからも間違いない。この国では刑務所に収容中の囚人でも大金を払えば釈放される制度がある。人口激減により労働力人口も減少し、本来なら刑務所に服役する囚人の手すら借りたいほどに困窮していた。彼女はいつまでも逃亡中の囚人でありたくなかったから、必要な大金を集めた後に再び刑務所に戻り、集めた大金を用いて釈放されるつもりだったと供述したという。
彼女はネット上で架空の排水修理業者のホームページを掲載しており、男は運悪くそこに連絡してしまった。彼女は業者に成りすまして男の家に潜入し、部屋を見て男をターゲットに選んだ。趣味の物が少ないことから物欲が乏しそうだが、家電はいいものを揃えている。収入はそれなりにあるが金のかかる趣味を持たない無欲のため、貯金は結構蓄えていると判断されたという。ちなみに彼女は排水修理の知識など皆無だが、ターゲットの住所と生活感さえ把握できれば修理などできなくてもよかった。
男の住所を押さえた彼女は男に接近を試みた。偶然を装って男の前に現れる。人懐っこくフレンドリーに話しかける。そして、男は数えきれないほどの愛情を注がれた。
「思い返してみろよ。彼女の君への親切は、全部恩着せがましい親切の押し付けだったんじゃないのか? 少なくとも君の話を聞いてると、俺にはそう思えるよ」
警察官は言う。
男は否定した。この期に及んで彼女の愛情をまだ信じていたかった。彼女の本性がどんな歪んだものであろうと、彼女から貰ったものだけは本物だと思いたかった。警察官はそれ以上追及することはなかったが、最後に「キツネに化かされたんだな」と小さく呟いた。
囚人の脱獄事件の参考人として呼ばれた男。彼女との面識や関係。いつから関わりがあるか。そして彼女の正体を知っていたか。根掘り葉掘り尋ねられ、男は洗いざらい話した。警察にとっては男が彼女と共謀しているという線も考えられたから、身の潔白を証明する必要があった。
すべてを話したのち、男は解放された。取調室を出て、手荷物のリュックサックを背負って警察署を後にする。自宅への帰路に就いた。
閑散とした住宅街を歩く足取りは重い。男はずっと考えていた。警察官には彼女の行動は親切の押し付けだと言われたが、
――僕は彼女からの愛情で満たされていた。
そう思っていた。しかし、自問自答を繰り返しているうちに、本当にそうだったのかと疑問が生じる。そして真実と向き合おうとする姿勢の中で、ひとつ気づいたことがあった。
今からでも裁判にて証人として彼女を擁護する立場を取ることもできる。制度上、彼女の銀行口座に自分の全財産を振り込めば彼女は金で正当な手続きを経て釈放されるかもしれない。しかし、男には今から彼女を擁護しようとする気は全くもって起きなかった。
男はリュックサックから折り畳んであったエアガンを取り出す。アサルトライフルのストックを広げて構える。今日も今日とて、男は独り、エアガンを片手に街を徘徊する。凍える寒さの季節では的になる生物は少ない。
もう何者も男の歩みを止めることはできない。如何なる状況においても自分は惑わされないよう、男は覚悟を決めた。
しばらく歩いていると、家屋の屋根の上に佇む小鳥を見つけた。男はスコープを覗き込み、中央に小鳥の姿を捉える。
しかし、狙いを外した。男は銃を構えたまま別の家屋の屋根を狙う。青い屋根でそこそこ年季の入った家。そして屋根の上を狙ったまま、そこにいるはずもないトカゲのぬいぐるみを捉えて、引き金を引いた。




