3. 追跡者
自宅のトイレが詰まったあの日から何日か経ったある日。休日の男は今日も街に繰り出す。
連日猛暑日が続く。今日の男は自動小銃を手にしておらず、代わりに水色の小柄なリュックサックを背負っていた。
男は廃墟まみれの住宅街の中を練り歩き、とある廃れた工場の前で立ち止まる。遠目で見ても表面のレンガの壁は崩壊し、中の鉄骨が剥き出しになっている。鉄骨は錆が生じており、この場所が人の手を離れて長らく放置されていたことが想像できる。しかし、正面の正門は新たに整備されており、受付係とみられる従業員の姿もある。男は受付に歩を進めた。
受付にて手短に説明や金のやり取りを済ませ、入場した。敷地内に入るとさっそく目の前に、入場者の目を引く、場内を象徴する巨大なそれを目の当たりにする。ウォータースライダーだ。
それだけではない。くねくねと紆余曲折した水の滑り台の先には澄んだ水面の広いプールがある。ウォータースライダーの隣にはまっすぐにプールへと伸びる泡スライダーもある。いずれのスライダーも寂れた廃工場の屋上から伸びていた。
ここは、街が廃工場を大規模改修して新たに生まれ変わって誕生した公営の屋外プールだった。人口が減って税収も乏しくなった街だが、子供たちのための娯楽施設を作りたいという話が役所の議会で上がった。しかし新たに施設を作る金銭的余裕がない。財源も確保できない。そこで、使われなくなった廃工場を安く買い取ってリノベーションを施すことで経済的に安上がりに娯楽施設を生み出すという妥協案が採られた。元が廃工場ということもあり、安全性については不明だ。
工場敷地内に入ってすぐ隣にあった更衣室に男は入る。リュックサックに詰めてきた水着に着替えた。
更衣室を出て、改めてプールの全貌を眺める。そこそこ大きいスライダーと広いプールだが、客は誰一人としていない。男の休日がちょうど平日だからということもあるが、それにしても一人も客がいないのは異様だ。子連れの家族が何組かいたっておかしくない。こんな閑散とした状況で運営費の元は取れているのだろうか。
しかし、そんなことは男には関係ない。男は紆余曲折したウォータースライダーに興味を持ち、そのスタート地点のある工場の屋上に足を進める。半ば崩壊しかけている建物内に入ると、錆びついた配管やカゴ車など、当時まだ工場として稼働していた時に使われていた道具や設備の数々がそのまま放置されていた。客が歩く動線以外は廃材やゴミが散乱している。
壁が剥がれて禿げた階段を上って屋上に向かう。その道中、階下から階段を駆け上がってくる足音が男に迫った。男は身構えた。自分以外に客はいないと思っていた。
階下を見下ろしていると、水着姿の女が階段を駆け上がってきた。そしてすぐにその正体に気づく。その女性は――――先日、男の家にトイレ修理に訪れた排水管の修理業者の女だった。
「お久しぶりです!!」
あの日と変わらない、明るく晴れやかな笑顔だった。淡いベージュ色のショートヘアの女性で、布面積の少ない水色の水着姿だ。
「あ、どうも……」
男は戸惑った。先日初めて出会った女性とこんなにもすぐに再開するとは思ってもみなかった。
「どうしてここに…………――ッ!」
勘付いた。彼女は排水管の修理業者だ。きっとプールの排水管の修理か点検のために来たのであろう。水に濡れる仕事になるからあらかじめ水着を着ているんだ。しかも今日は平日だ。間違いない。
「あなたの後をついてきました! 街を歩いていたら偶然見覚えのある男性が目に留まって…………あ、この水着は受付の売店で買ったんです! ちょっとサイズ小さかったかな……?」
間違いだった。男と同じで休暇だったようだ。しかし、一度仕事で会ったことがあるだけのただの他人を、偶然見覚えがあったというだけの理由で後をつけるものなのか。男は疑問に思った。
「そんなことより、これどうぞ!!」
彼女は快活に、背中に隠し持っていた二枚のビート板を目の前に差し出した。
「スライダーするならこれあった方がいいよ? 貸し出し用のビート板!」
「え? いや、規則ではビート板なしで滑ってもいいみたいだし、ていうか僕は体一つで滑りたくて――」
「いいから、はい!」
有無を言わせず彼女はビート板の一枚を男に差し出した。押しの強さに男は負け、しょうがなくそれを受け取る。二人でビート板を手に、工場の屋上まで登った。
彼女の執拗な申し出により、規則違反だが二人で一緒に滑ることになった。
「あー! 楽しかった!! 次は泡スライダーの方もやってみよ?」
ウォータースライダーの終点のプールに放り込まれた二人。男は自分のペースでゆっくり楽しみたかったが、彼女の存在がそれを許してくれない。ずぶ濡れの状態の男女は再び廃工場に足を踏み入れた。
「あとで売店でビーチボール買ってあげる! それで一緒にビーチバレーしよ?」
次々と新たなプランを繰り出してくる彼女に男は疲労感を覚え始めた。そもそも何で一緒に行動することになっているのかもわからない。
ふと、男は階段の途中、とある階層で足を止める。先程は気がつかなかったが、日の光も届かない暗がりの中、廃材が積み重ねられた瓦礫の山。その中に朽ちたクマの人形が、すべてを諦めた目でこちらを見つめて腰掛けていた。彼女もそれに気づく。
二人は階段を上がるのをやめ、瓦礫の山に近づいた。体はぼろぼろになって虚ろなガラスの目にはひびが入ったクマ。その人形一つを見ただけで、容赦ない時の流れによる風化という、避けようのない事象に対しての恐怖を駆り立てられる。瓦礫の奥には暗闇に閉ざされたまま放置された、時代の移ろいから隔絶された景色が広がる。
仄暗い光景だが、決してこの場のみに限った話ではない。その光景は男たちの未来や、この国の行く末を暗示していた。
男の隣で俯いていた彼女が呟く。
「この国もいずれ、こんなふうになってしまうのかな」
彼女も男も、考えていることは同じだった。男はなんて返していいかわからない。
「さあ、」
あえてそれだけしか返さなかった。あるいは本当にそれだけしか返す言葉が見つからなかったか。男は早々に瓦礫に背を向けて立ち去った。




