静寂の夜、剥がされる仮面
日が沈むと、荒野は一転して不気味な静寂と、凍えるような極寒に支配された。
5人はねじれ曲がった巨大な枯れ木の根元に身を寄せ合い、夜を明かすことにした。ガルードが手際よく熾した小さな焚き火だけが、パチパチと爆ぜる音を立てながら、暗闇の中で5人の顔を赤く照らしている。
「ふぁ……はく、ねむい。おやすみ」
ハクは大きな身体を丸めると、満腹そうな顔であっという間に地響きのようなイビキをかき始めた。少し離れた岩の上では、ルナが気配を殺して目を閉じ、瞑目している。
進は、焚き火の火の粉を見つめながら、膝を抱えて縮こまっていた。
昼間の疲れもあり、いつの間にか浅い眠りに落ちていく。……しかし、その意識の底で待っていたのは、最も見たくない「あの教室」の光景だった。
『お前も同罪だよな、進?』
耳元で、歪んだ笑い声が響く。
黒板に書かれた無数の誹謗中傷。机にぶちまけられた生ゴミ。その中心で、泣くことすら忘れて震えているクラスメイトの背中。
それを、周りの奴らと一緒に「あはは」と笑顔で見下ろしている、かつての自分がそこにいた。
傍観という名の加害。空気を乱さないための加担。
『お前が空気を作ったんだろ』
被害者の顔が、突然、昼間に自分を庇って血を流したガルードの顔へと変わる。ガルードが、血に染まった大剣を自分に向けて、冷酷に言い放つ。
『お前のような外道、生かしてはおかん』
「――うわぁっ!」
進は短い悲鳴を上げて跳び起きた。
激しい動悸と、背中を伝う嫌な冷や汗。
慌てて首元に手をやると、光の鎖に繋がれた茨の首輪が、じっとりと冷たく肌に張り付いている。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ」
夢と現実の境界が分からなくなり、荒い呼吸を繰り返す進の耳に、焚き火の向こうから滑らかな声が届いた。
「うなされてたね。怖い夢でも見たかい? 坊主」
キースだった。彼は器用にナイフの先で小さな木切れを削りながら、薄気味悪い笑みを浮かべて進を見ていた。ガルードは少し離れた暗闇の中で周囲の警戒にあたっており、今この場にはいない。
「あ……す、すみません、起こしちゃって……」
進が小さくなって謝ると、キースは削っていた木切れを火の中に放り込み、猫のような目を細めてにじり寄ってきた。
「いいよ、別に。それよりさ……ちょっとお喋りしようか」
「え……?」
キースの細い指が、自分の首輪から伸びる半透明の鎖をツン, と弾く。
「昼間の魔物との戦いのときも思ったんだけどさ。君、ガルードに守られている間、ずっと今にも吐きそうな顔をしてるよね。普通、あんな風に命がけで守られたら、感謝するか、安心するものなんだけど」
「それは……ガルードさんが、俺のせいで怪我をしたから……申し訳なくて……っ」
「本当にそれだけ?」
キースの声のトーンが、すっと冷たいものに変わる。
「僕、こう見えて『人の嘘』を見抜くのだけは天才的でね。この【残光の枷】、じっくり耳を澄ますと、繋がっている相手の感情の響きが伝ってくるんだよ。……君の鎖から流れてくる音、あれはね、ただの恐怖じゃない」
キースのナイフの先端が、進の鼻先をなぞるように動く。
「過剰な後ろめたさと、底なしの罪悪感。まるで、**『自分は優しくされる資格のないクズだ』**って、自分で自分を呪っているような、すごーくドロドロした音がするんだよねぇ。ねえ、進?」
「ち、違う、俺は……」
血の気が引いていく。心臓の音がドクドクと、うるさいほどに跳ね上がる。
「君、あの審問場で『俺は盗んでない、殴ってない』って叫んでたよね。それは本当なんだろう。君みたいな臆病者にそんな大それた犯罪は無理だ。……でも、君は『別の何か』をやってここに落ちてきた。魔物に怯えてるんじゃない。ガルードの優しさに触れて、君の過去の『濁り』が炙り出されてるんだ」
キースの目が、獲物をいたぶる蛇のようにギラリと光った。
「白状しなよ。君、本当は何をしてきたの?」
「あ……、あ……」
声を絞り出そうとするが、喉が完全に閉ざされて音にならない。
見透かされている。この男は、自分の本質が「加害者側」であることに気づいている。もしこれをガルードやルナにバラされたら――。
恐怖で完全に硬直した進の前に、突然、分厚い影が割り込んだ。
「おい、キース。夜更かしが過ぎるぞ。子供をからかうな」
暗闇から戻ってきたガルードが、キースを睨みつけながら重々しい足取りで割って入った。
キースは一瞬でいつものヘラヘラとした道化の笑みに戻り、「おっと、過保護な騎士様のお出ましだ。邪推が過ぎたかな、おやすみ」と肩をすくめてゴロリと横になった。
ガルードは進の様子を心配そうに見つめると、自分の大きなマントを脱ぎ、進の小さな身体にふわりとかけた。大人の、温かくて、圧倒的に安心する匂い。
「坊主、冷え込んできた、これを着ていろ。……キースの言うことは気にするな。あいつは人を揺さぶって楽しむ狂人だ」
「……ありがとう、ございます」
進が震える声でマントにくるまると、ガルードは進の隣にドサリと腰掛け、焚き火に新しい薪をくべた。炎がパチパチと爆ぜ、ガルードの彫りの深い横顔を厳かに照らす。
「進。大審問官から『世界の祭壇を目指せ』と言われたが……この先の世界がどうなっているか、知っているか?」
進は小さく首を振った。何も知らない。ただ、理不尽にここに落とされただけだ。
「この奈落の底には、世界の果てへ至る道中に、いくつもの巨大な『結界(障壁)』が張られている。それを越えなければ、先へ進むことはおろか、このエリアから出ることすら叶わん」
ガルードは首元の茨の首輪を忌々しげに指先で触れた。
「そして、その最初の結界を管理しているのが、この先にある鉄殻都市の支配者……【皇帝】のアルカナを宿す男だ。俺たちが先へ進むためには、どうしてもあの都市へ行き、支配者から結界を通るための『鍵』を、力ずくでも毟り取る必要がある」
「支配者から……鍵を……」
「そうだ。街の奴らが交渉に応じるような玉とは思えん。おそらく、手荒な真似になるだろう。……戦いは避けられん。だが、安心しろ」
ガルードは進の頭に、ぽんと大きな手を置いた。
「お前が戦う必要はない。荒事、汚い事、命の奪い合い……そんなものは俺たち大罪人が引き受ければいい。お前はただ、俺の背中の後ろで、生き残ることだけを考えていろ」
「ガルードさん……」
マントの温かさと、ガルードの言葉。それは進にとって、これ以上ないほど優しく、心強い救いのはずだった。
――なのに、進の目からは、声を出さずに涙が溢れ落ちていた。
(違う……。ガルードさん、俺は、そんな風に守ってもらえるような、綺麗な子供じゃないんだ。俺は、教室であいつを……ニコニコ笑いながら、みんなと一緒に追い詰めた、汚い『加害者』んだ……!)
ガルードの優しさに触れれば触れるほど、進の心は罪悪感でズタズタに引き裂かれていく。
キースの鋭い観察眼への恐怖。そして、ガルードのこの温かさが、自分の過去を知られた瞬間に激しい憎悪へと変わるかもしれないという、逃げ場のない絶望。
首輪の鎖で縛られたこの旅は、まだ始まったばかりだというのに、進の心は内側から確実に崩壊を始めていた。
翌朝――。
凍えるような夜が明け、5人が再び歩き始めて数時間が経った頃。
「……見えたぞ。あれがガルードの言っていた、【皇帝】の街だ」
先頭を行くキースが、皮肉げな笑みを浮かべて地平線を指さした。
赤茶けた荒野の先、黒い煙と激しい蒸気を出して巨大な歯車を回転させる、黒鉄の城塞都市がその圧倒的な姿を現していた。




