鎖に繋がれた五人、荒野の異形
「――おい、起きろ。死にたくなければな」
低い地鳴りのような声と、冷酷な金属の冷たさが首元を走る感覚で、進は意識を取り戻した。
「……う、あ……」
泥と脂汗にまみれた顔を上げると、視界に飛び込んできたのは、赤茶けた乾いた大地と、不気味にねじ曲がった枯れ木が果てしなく続く荒野だった。
ジャスティアの街を覆っていた、あの欺瞞に満ちた白い光はもうどこにもない。どんよりとした灰色の雲が、重苦しく空を支配している。
進が身震いして立ち上がろうとした瞬間、首元がドクン、と不気味に脈打った。
「う……っ、何、これ……」
黒い茨の紋様が刻まれた首輪が、かすかに熱を帯びている。触れると、皮膚の下で無数の虫が這い回っているような不快な感覚がした。
「忘れたか。大審問官のじじいが言っていただろ。俺たちは今、一つの鎖で繋がれている」
呆れたように溜息をついたのはキースだった。彼は首輪から伸びる、かすかに光る半透明の『光の鎖』を指先で弾いている。
その鎖は、進、ガルード、キース、外れた場所で頭を押さえているルナと、地面の虫を珍しそうに眺めているハクの首輪へと、数珠繋ぎに連結されていた。
「互いの距離が離れすぎると、この茨の紋様が侵食を始める。……すぐに死ぬわけじゃないのが性格が悪いよね。数日かけて、じわじわ、じわじわと、骨が鳴るまで首を締め上げられる。誰か一人が勝手に遠くへ逃げて、三日以上戻ってこなかったら……その時点で全員あの世行き。ねえ、そこのお嬢さん、僕たちの『魂の音』とやらは、今どんな風に聴こえる?」
キースの皮肉に、ルナは岩に腰掛けたまま、不快そうに顔をそむけた。
「最悪よ。全員の音が鎖を通じて泥のように混ざり合って、鼓膜が腐りそうだわ。特に……そこの怯えてるだけの足手まとい。あなたのせいで私までじわじわと絞め殺されるなんてことになったら、その前に私の手で呪い殺してあげるから」
「ひっ……!」
進は肩をすくめて後ずさる。数十メートルは自由に動けるとはいえ、一度逸れたら「数日後に確実に死ぬ」という見えない死のタイマーを首元に仕掛けられた恐怖は、進の胃を早くも限界まで追い詰めていた。
「みんな、なかよし、いいこと。ちいさいの、これ、たべる?」
ハクがどこからか拾ってきた干からびたトカゲのようなものを差し出してくるが、進は青い顔で首を振るのが精一杯だった。
「無駄口はそこまでだ。……来るぞ」
ガルードの声が一段と低くなり、背中の巨大な大剣の柄に手がかけられた。
その瞬間、荒野の空気が、肌を刺すような禍々しい気配へと一変する。
赤茶けた大地のあちこちから、ボタボタと油のような真っ黒な液体が湧き出し、それが生き物のようにうねりながら形を成していく。
現れたのは、3足歩行の異形。人間の「悪意」や「妬み」を煮詰めて固めたような、顔のない影の化け物――この荒野を徘徊する『魔物』だった。それも、一匹ではない。十数匹の群れが、獲物を定めたように耳障りな鳴き声を上げて進たちを囲んでいく。
「いや、いや……っ! なんで、こんな……!」
本物の化け物を前にして、進の足は完全にすくんだ。恐怖のあまり、今すぐ全速力でこの場から走り去りたいという衝動が脳を支配する。
「進、走るなよ!」
キースがナイフを滑らせながら、鋭く釘を刺す。
「戦闘の範囲ならいくら動いても問題ないが、パニックになってこのエリアから完全に飛び出すなよ! 三日の猶予があるとはいえ、一度お前を見失ったら、僕らは首を絞められながらお前を捜索する羽目になるんだからね!」
「戦うって……俺、そんなの無理、無理だよ……っ!」
進が涙目を浮かべたその時、頭上を巨大な風切り音が通り抜けた。
「下がっていろ、坊主」
ガルードが前に踏み出す。身の丈ほどもある大剣が、まるで紙切れのように軽々と振り抜かれた。
凄まじい風圧と共に、最前列にいた3匹の魔物が、一瞬で一刀両断されて黒い霧へと霧散する。
「おおおおおっ! はく、どーーん!」
ハクが地響きを立てて突撃し、岩のような拳で魔物の頭部を文字通り粉砕した。
キースは狂気的な笑みを浮かべながら、踊るような足さばきで魔物の急所を正確に射抜いていく。ルナすらも、彼女が指先を向けると、魔物の足元の影が牙となって突き出し、動きを完全に封じ込めていた。
光の鎖がゆとりを持って伸び縮みするおかげで、4人の実力者はそれぞれの間合いを殺すことなく、圧倒的な戦闘力で魔物を蹂躙していく。
これが、街から「大罪人」として恐れられ、排除された者たちの本物の強さ。
進はただ、その有効範囲の境界線の内側で、頭を抱えて震えることしかできなかった。
だが、敵の数が多い。一匹の魔物が、戦場を大きく迂回し、背後に隠れている最も脆弱な獲物――進へと狙いを定めて跳躍した。
大きく開かれた影の顎が、進の視界を覆う。
「あ、死――」
進が目を瞑った瞬間。
「言ったはずだ。俺がお前を守ると」
凄まじい肉体の衝突音。
ガルードが距離を詰めて進の前に割り込み、自らの左腕で魔物の鋭い爪を受け止めていた。肉が裂け、鮮血が飛び散る。ガルードは苦悶の表情一つ浮かべず、右手の一撃でその魔物を叩き潰した。
「ガルードさん……! 腕、腕が……!」
進は血の気が引いた。自分のせいで、この強い、優しい大人が傷ついた。
「かすり傷だ。気にするな」
ガルードは血を拭いもせず、進に背を向けたまま、残る魔物たちを睨みつける。
「子供が怯えるのは当然だ。お前は俺の背中に隠れていろ。この命に代えても、守り抜いてやる」
その背中は、あまりにも大きくて、圧倒的に格好良かった。
誰も信じてくれなかった自分を、ただ「子供だから」という理由だけで、命をかけて守ってくれる。
(格好いい……本物の、ヒーローだ……)
進の胸に、激しい憧れと救いが満ちていく。
――だが、それと全く同じだけの質量で、最悪の「毒」が胸の奥で弾けた。
(違う……。違うんだ、ガルードさん。俺は、そんな風に守ってもらえるような、綺麗な子供じゃないんだ。俺は、教室であいつを……ニコニコ笑いながら、みんなと一緒に追い詰めた、汚い『加害者』なんだ……!)
ガルードの優しさに触れれば触れるほど、進の心は罪悪感でズタズタに引き裂かれていく。
もし本当の過去を知られたら、この人は、この強い剣は、一瞬で自分を「外道」として惨殺するだろうか。
進は、救い主であるはずのガルードの背中を見つめながら、激しい後ろめたさに呼吸を乱し、ただその場に立ち尽くすしかなかった――。




