地下の深淵、四人の大罪人
ガギィィ、と重苦しい金属音が響き、頑丈な鉄格子が開かれた。
「おい、入れ」
傭兵が乱暴に進の背中を蹴り飛ばす。すでに抵抗する力などない進は、湿った冷たい石の床へ、ゴミのように転がり落ちた。背後でガシャンと容赦なく格子が閉まり、鍵がかけられる。
「精々仲良くやるんだな。そこはお前みたいな小悪党にゃ、分不応な特等席だ」
傭兵たちの下卑た笑い声と足音が、徐々に通路の奥へと消えていく。
残されたのは、完全な静寂と、カツン、カツンと天井から水滴が滴る音だけだった。
「……う、あ……っ」
進は痛む脇腹を抱え、泥にまみれた顔をゆっくりと上げた。
そこは、尋問室よりも遥かに広い、ドーム状の地下大牢だった。壁の松明は消えかけており、かすかな燐光だけが部屋を青白く満たしている。
目が暗闇に慣れてくるにつれ、進の心臓は別の恐怖で激しく波打ち始めた。
広い牢のあちこちに、明らかに常人ではない「気配」を纏った先客たちがいたのだ。
「……おいおい。何だ、随分と小さくて可愛い坊やが入ってきたね」
最初に声をかけてきたのは、壁に背を預け、退屈そうに指先でトランプを滑らせていた青年――キースだった。
整った顔立ちに、張り付いたような胡散臭い笑み。しかし、その細められた瞳は、進のヨレたパーカーや、手首の傷、空間に怯えきった表情を一瞬で見定め、品定めするように冷たく光っている。
「キース、うるさい。耳障りよ」
部屋の隅、一段高くなった石のベンチに腰掛けていた少女――ルナが、冷徹な声でそれを遮った。
長い髪を揺らし、上品なワンピースを纏った姿は、まるでどこかのお嬢様のようだ。しかし、彼女の美しい瞳には光が宿っていない。盲目のはずの彼女は、正確に進のいる方向へ顔を向けると、嫌悪感を隠そうともせずに鼻を鳴らした。
「目が見えなくて良かったわ。その子が部屋に入ってきた瞬間から、空気の濁り方が不快極まりないもの。自分のエゴと恐怖でドロドロに腐った、最悪の魂の音が聴こえるわ」
「はは、手厳しいねぇルナ。まぁ、大方、街の『偽りの正義』にハメられたクチだろ、あの顔は」
キースが肩をすくめる。進は彼らの言葉の意味が分からず、ただ、その圧倒的な存在感に気圧されてガタガタと震えることしかできない。
「……あ、う……」
その時、牢の奥の暗闇から、地響きのような足音と共に、見上げるほどの巨漢――ハクがぬっと姿を現した。2メートルを超える岩のような肉体。進は悲鳴を上げて後ずさろうとしたが、大男の顔は、驚くほど純朴で、心配そうに歪んでいた。
ハクは進の前にしゃがみ込むと、泥と血に汚れた進の頭を、大きな、温かい手でそっと包み込むように触れた。
「おまえ……ちいさいの。おまえ、いたい、いたい、ある? ……かわいそう」
「おい、ハク。新入りをあまり驚かせてやるな」
最後に部屋の奥から響いたのは、低く、低音の効いた、落ち着いた大人の声だった。
現れたのは、顎に薄い髭を蓄えたベテラン剣士――ガルード。背中には、並の人間では持ち上げることもできない巨大な大剣を背負っている。数々の修羅場を潜り抜けてきたであろう彼の身体からは、隠しきれない王者の風格と、同時に、不思議なほどの静けさが漂っていた。
ガルードはハクの巨体を優しく制しながら、進の前にゆっくりと膝をついた。その鋭い眼光が、進の全身の傷と、手枷を見て、ふっと和らぐ。
「……子供だな。随分と酷い扱いを受けたらしい」
ガルードは大きな手を伸ばし、進の手首の鉄枷に触れた。彼が少し指先に力を込めただけで、頑丈なはずの鉄の手枷が、まるで粘土のようにひしゃげてパキリと砕け散った。
「え……っ」
驚愕する進の頭を、ガルードはガシガシと乱暴に、しかし温かく撫でた。
「安心しろ、坊主。この牢にいる限り、あの阿呆な傭兵どもも、街の愚民どもも、お前には指一本触れさせん。俺の剣が、お前を守ってやる」
その言葉は、異世界に落とされてから進が初めて触れた、本物の「大人の優しさ」だった。
誰も自分の言うことを信じてくれなかった世界で、この強そうな男は、自分を守ると言ってくれた。
(この人は、味方なんだ……。正しい、格好いい大人だ……!)
進の胸に、救われたという強い安堵と、ガルードへの憧れが同時に芽生える。
だが、進はまだ知らなかった。
目の前で自分を優しく労ってくれているこの男が、「弱者を虐げる外道」を一切の躊躇なく即殺する、この世界で最も恐ろしい断罪者であることを。
そして、自分がその「外道」の過去を持つ人間であるという現実が、いつかこの優しい手を血に染めるかもしれないという恐怖を、進はまだ予感すらしていなかった。
「……さて」
ガルードは立ち上がり、牢の隅にある干し草の山を顎で示した。
「お前はまず休め。審判の日がいつになるかは分からんが、それまでここがお前の家だ。ハク、その子に水を分けてやってくれ」
「ん、わかった。ちいさいの、これ、のむ、いい」
ハクが木製の水筒を差し出してくる。
冷たい石の壁に囲まれた、陽の光すら届かない地下大牢。しかし、理不尽に満ちた外の世界に比べれば、この奇妙な悪党たちが集まる空間の方が、今の進にとっては奇妙なほど静かで、安全な場所に思えた。
この暗闇の中で、進の長い数日間の牢屋生活が始まろうとしていた。




