翡翠の緑門、怪力乱神
精神的に崩壊しかけたルナをキースが必死に支え、一行はついに、最上層への最後の境界線へと到達した。
そこにあったのは、禍々しい深緑のネオンが怪しく発光する、超重量の黒鉄の門――『緑の門』。
門の前には、全身が岩石のような筋肉で覆われた、ハクの一回り以上も巨躯を誇る『緑の番人』が腕を組んで立っていた。
「ここを通る資格があるか、余が直々に検分してやろう。ルールは至極単純、この『鉄塊』をどちらが長く持ち上げ続けられるか。純粋な力比べだ」
番人が合図すると、ハクと番人の前に、それぞれ巨大な黒鉄の重量物が天井から降りてきた。一度持ち上げれば、時間が経つごとに重量が段階的に、無限に重くなっていくという、逃げ場のない処刑の天秤だった。
「ハク……!」
少年が悲痛な声を上げる。すでに仲間たちは全員ボロボロだ。最後に残ったハクまで壊れてしまったら、もう本当の後がない。
「ここで待ってて」
ハクはいつも通りの淡々とした、けれどどこか優しい口調で言い残すと、上着を脱ぎ捨て、その巨大な鉄塊へと両手をかけた。
「フン、始めようぞ!」
番人の咆哮とともに、二人は同時に鉄塊を持ち上げた。最初はハクの怪力をもってすれば容易な重量だった。しかし、この勝負の真の恐怖はここからだった。
時間が経つにつれ、システム音が鳴るたびに、鉄塊の質量が「ドスン!」と音を立てるように重くなっていく。
五分が経過する頃には、重量はすでに中層の建造物一つ分に匹敵する領域に達していた。
番人の全身の筋肉が爆発しそうなほどに膨れ上がり、猛烈な鼻息が吹き出す。ハクの肉体にも、かつてない負荷がのしかかっていた。ハクの太ももの筋肉が激しく痙攣を始め、踏み締めた床の鉄板がメリメリと自重で陥没していく。
さらに時間が経過する。重量は倍加し、ハクの腕の皮膚から、圧力に耐えかねた血がプツプツと吹き出し始めた。
ベキッ、とハクの右腕の骨がきしむ不快な音が響く。
「……っ、が、あ……っ!」
ハクの口から鮮血がドッと溢れ、床を赤く染める。限界だった。全身の毛細血管が破裂し、視界が自身の血で真っ赤に染まっていく。脳内が酸欠で真っ白になり、ハクの膝がガクリと崩れかけ、鉄塊の重みに押し潰されそうになったその時――。
ハクの視線が、血に染まる床の、ほんのわずかな隙間に落ちた。
踏み荒らされ、陥没した鉄板の割れ目。その暗闇の奥に、過酷な鉄の都市にはおよそ似つかわしくない、小さな一輪の花が、力強く、静かに咲いているのが見えた。
こんな地獄のような場所でも、命は必死に生きようと輝いている。
自分がここで倒れたら、この後ろで涙を流して自分を呼んでいる、あの弱くて優しい少年はどうなる。あの命は、ここで摘まれてしまう。
「……おお、おおおおおおおおおおおッ!!!!!――」
ハクの口から、人間のものではない、野生の獣のような咆哮が迸った。
次の瞬間、ハクの肉体の限界を完全に超越した、神懸かり的な怪力が覚醒した。
バキバキバキッ!!!と脱臼しかけていた両腕の骨を筋肉の力だけで強引に噛み合わせ、ハクは潰れかけていた巨体を、一ミリの揺らぎもなく真っ直ぐに押し上げた。それどころか、重くなり続ける鉄塊を、まるで羽毛であるかのように頭上高くへと持ち上げてみせたのだ。
「な……ばか、な……!? まだ、力を隠して……そんな、超人的な力が……っ!?」
先に限界を迎えたのは番人だった。ハクの底知れぬ怪物ぶりに完全に恐怖した番人は、集中力を乱し、重さに耐えかねて鉄塊の下敷きとなり、絶叫とともに圧殺され、光の粒子となって消滅した。
ハクの完全勝利。
だが、番人の消滅を確認した瞬間――。
ハクの身体から完全に骨が抜けたようになり、全身から限界まで引き出していた魔力と力が一瞬で霧散した。
ハクは糸の切れた人形のように、そのまま意識を失って床へと倒れ伏した。完全な気絶だった。肉体のすべてのエネルギーを使い果たし、ピクリとも動かない。
「ハク! ハク!!」
進が涙をボロボロと流しながらハクに抱きつく。ハクの呼吸は浅く、体中から流れた血で床に巨大な血溜まりができている。中層での無双が嘘のように、彼は文字通りすべてを使い果たして眠りについていた。
緑の門が、重々しく開く。
キース、ガルード、ルナ、そしてハク。
二人を守り続けてくれた4人の超人たちが、今や全員、精神を壊され、肉体を徹底的に破壊され、あるいは力を使い果たして、辛うじて息をしているだけの状態で倒れ伏している。
四つの門をすべて突破した。しかし、目の前に広がるのは、勝利の喜びなど微塵もない、あまりにも凄惨な絶望の光景だった。
開かれた緑の門の向こう側、最上層の玉座から、すべての元凶である【皇帝】の冷徹な拍手の音が、静かに響き渡る。
進とニコは、血の海のなかでガタガタと激しく震えながら、お互いの手をぎゅっと握りしめた。
守ってくれる盾はもう誰も動かない。残されたのは、まだ頼りない自分たち二人だけ。
圧倒的な恐怖に心臓を抉られそうになりながらも、進とニコは、玉座に佇む【皇帝】をまっすぐに見据えるのだった――。




