第85話 家族のぬくもり
休日の昼下がり、透は紬の家の前で、小さく深呼吸をした。
いつもの隊服ではなく、落ち着いた色のスーツに身を包み、両手には紙袋を提げている。
片方にはイチゴのショートケーキ、もう片方には餅入りのどら焼きが入っている。
隣に立つ紬が、少し心配そうに顔を覗き込んだ。
「……透さん、大丈夫ですか?」
「うん……」
透は苦笑し、
「でも、妖と戦う時より緊張してるかもしれない」
その言葉に、紬は思わず吹き出した。
「ふふっ。透さんにも、そんなことあるんですね」
「もちろん、あるよ」
透は小さく笑う。
「でも今日は、失敗できないからね」
そう言って、意を決したようにインターフォンを押すと、ほどなくして、玄関の扉が開く。
「あら、いらっしゃい!」
紬の母が笑顔で迎えてくれ、
「透くん、待ってたわよ」
「お邪魔します」
透は深く頭を下げる。
すると、その後ろから父が姿を見せた。
「……」
が、腕を組み、じっとこちらを見ている。
「お、お父さん……」
「まだ何も言ってないぞ」
ぼそりと返され、紬が苦笑する。
リビングへ通されると、透は紙袋を差し出した。
「これ……。お母さんには、イチゴのショートケーキを。お父さんには、餅入りのどら焼きを持ってきました。以前、お2人の好物だと聞いたので……」
母が目を丸くすると、
「あら……!覚えててくれたの?」
「はい」
透は少し照れくさそうに笑う。
「せっかくご挨拶に来るので」
母は嬉しそうに目を細めた。
「まぁ……ありがとう」
一方、父はどら焼きの箱を見つめたまま、何も言わない。
だが、その表情はどこか柔らかかった。
しばらくして透は居住まいを正し、深く頭を下げた。
「お父さん。お母さん。紬さんと結婚させてください」
部屋が静かになり、紬は思わず息を呑んだ。
父はしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐く。
「……透くん」
「はい」
「少し、付き合ってくれないか?」
「え?」
父は立ち上がり、車の鍵を手に取る。
「男同士で話がしたい」
紬が目をぱちくりとさせた。
「お父さん?」
「すぐ戻る」
そう言うと、父は玄関へ向かい、透も静かに立ち上がった。
「……行ってきます」
「は、はい!」
2人を見送り、家の中は静かになった。
青い空の下、車はゆっくりと走っていた。
窓の外には、見慣れた街並みが流れていく。
車内には、しばらく静かな時間が続いた。
やがて、父が口を開き、
「……紬はな」
「はい」
「昔から、よく怪我をする子だった」
透が思わず笑う。
「今も、慌てて転びそうになることがあります」
「ははっ、そうか」
父も小さく笑った。
「でもな、泣いても次の日には笑ってる。自分が辛くても、人の心配ばかりする」
運転をしながら、ぽつりと続ける。
「……大事な娘なんだ」
透は静かに頷いた。
少しの沈黙があり、そしてーーー
「透くん」
「はい」
「君は、紬を幸せにしたいと思っているか?」
透はまっすぐ前を見つめ、迷わず答える。
「はい。誰よりも、笑っていてほしいです。泣いている時は、一番近くで支えたい。嬉しいことも、悲しいことも、全部一緒に分け合って生きていきたいです」
父は静かにその言葉を聞いていた。
やがて、ふっと笑い、
「……そうか」
赤信号で車が止まる。
父は少し照れくさそうに言った。
「なら、安心だ」
透が顔を上げる。
「君になら、紬を任せられる」
その言葉に、透の肩から力が抜けた気がした。
「……ありがとうございます」
父は小さく頷き、
「娘を、よろしく頼む」
透は深く頭を下げた。
「はい。必ず、大切にします」
その頃家では――、
「……さて」
母が立ち上がり、
「ケーキ、食べましょうか?」
「え?いいの?」
「だって、せっかく買ってきてくれたんだもの」
2人でショートケーキを皿に移し、向かい合って座る。
「いただきます」
ひと口食べると、甘いクリームと苺の酸味が口いっぱいに広がった。
「……美味しい」
紬が自然と笑顔になり、母も嬉しそうに頷いた。
「本当に覚えててくれたのねぇ」
「うん」
「優しい人ね?」
「……うん」
紬は少し照れながら笑う。
母はそんな娘を見つめて、ふふっと微笑んだ。
「幸せそう」
「え?」
「今の紬、すごくいい顔してるわ?」
紬は少しだけ頬を赤くする。
「……幸せだよ」
その答えに、母は優しく目を細めた。
「良かった」
しばらく2人でケーキを食べ、穏やかな時間が流れる。
やがて、母がぽつりと口を開いた。
「小さい頃は、お嫁に行かないって言ってたのにね」
「えぇ!?」
「お母さんとずっと一緒にいるーって泣いてたのよ?」
「も、もう……!」
顔を真っ赤にする紬を見て、母は楽しそうに笑い、優しく頭を撫でる。
「たくさん幸せになってね?」
「……うん」
「いつでも帰ってきていいのよ?」
「うん」
その返事が終わった頃、母の視線がテーブルの上へ向いた。
「……」
「……お母さん?」
「ねぇ」
突然真剣な顔になったと思うと、
「お父さんの分のどら焼き、食べちゃおうかしら」
「駄目だよ!?」
紬が慌てて箱を抱えると、玄関の扉が開いた音が聞こえた。
「あ、帰ってきた」
玄関へ向かうと、そこには父と透が立っていた。
しかも、先ほどより少しだけ打ち解けた雰囲気になっている。
「あら、おかえりなさい」
母がにっこりと笑い、
「ちょうど良かったわ。今からあなたのどら焼きを食べようとしてたところ」
「おいおい……」
父が呆れたようにため息をつく。
「俺の分だからダメだ」
そのやり取りに、透が思わず吹き出した。
「ふふっ」
「……笑ったな?」
「す、すみません」
「いや、いいんだ」
父もつられて笑い、その姿を見て、紬の胸がじんわりと温かくなる。
(透さん……お父さんと仲良くなれたんだ)
その後、4人でどら焼きを食べ、他愛もない話に花を咲かせた。
気が付けば、外は夕暮れ色に染まっていて、透が立ち上がる。
「それでは、今日はこの辺で失礼します」
深く頭を下げると、母が目をぱちりとした。
「あら?もう帰るの?」
「はい。長い時間、お邪魔しました」
「今日は泊まっていったら?」
「……え?」
透が固まってしまい、紬も目を見開いた。
「お、お母さん!?」
その時、
「あぁ。そうだな」
父が静かに口を開く。
「それがいい」
「……え?」
透が驚いたように顔を上げると、父は少しだけ視線を逸らした。
「……今度来る時は、パジャマとか、着替えを持ってくるといい」
しん、と静かになる。
紬は、その言葉の意味を理解して、微笑んだ。
母も優しく微笑み、透はしばらく瞬きを繰り返したあと、本当に嬉しそうに笑った。
「……ありがとうございます。では今日は、お言葉に甘えて……」
父はぶっきらぼうに頷く。
「あぁ。お母さんのご飯も美味しいからな」
その短い言葉に、紬の胸がじんわりと温かくなった。
きっと今、透は《夜叉》の仲間だけではなく、自分の家族にも、迎え入れられたのだ。
窓の外では、穏やかな夕日が、4人を優しく照らしていた。




