第84話 一夜限りの舞踏会
賑やかな声が響く《夜叉》の食堂には、いつもの張り詰めた空気はなかった。
任務の報告も、妖との戦闘も、誰かを守るために刀を握ることも。
今日は、全部忘れていい日だった。
紬は楽しそうに笑う仲間たちを眺めながら、そっと微笑む。
「……なんだか、不思議」
「ん?」
隣にいた透が首を傾げ、紬は周りを見渡した。
「ここが、こんなに明るい場所になるなんて」
少し前まで、ここは命懸けで戦うための場所だった。
でも今は違う。
仲間たちの笑い声が響き、美味しい料理が並び、誰もが笑顔で過ごしている。
透は優しく微笑み、
「僕も、そう思うよ」
透は紬の左手を見る。
そこには2つの指輪が輝いていた。
「これからは、こういう時間を増やしていきたいね」
紬は頬を赤くしながら、小さく頷いた。
「はい!」
その時、食堂の照明が少し落ち、
「?」
隊員たちが不思議そうに顔を上げた。
すると、食堂の隅にあるスピーカーから、優しい音色が流れ始める。
ゆったりとした旋律で、まるで舞踏会で流れるような、穏やかな曲だった。
「……?」
紬が目を瞬かせると、玲がスピーカーの前から歩いてきた。
「せっかく今日は正装なんだ。ただ食事をするだけでは、少し勿体ないだろ?」
隊員たちから声が上がり、
「ダンス?」
「まじかあ……」
「そんなの出来る奴いるのかよ!」
玲は少し呆れたように笑った。
「失礼だな。こう見えて、私は出来るぞ?」
玲は紬の前で立ち止まり、ゆっくりと一礼する。
「お嬢さん」
「え?」
玲は優雅に手を差し出した。
「私と一曲、踊っていただけますか?」
「……私、ですか?」
「ああ」
玲は柔らかく微笑み、
「嫌か?」
「い、いえ!」
紬は慌てて首を振る。
「嬉しいです」
そっと玲の手に自分の手を重ねると、
「よろしくお願いします」
2人は音楽に合わせ、ゆっくりと踊り始めた。
玲の動きは迷いがなく、とても綺麗だ。
紬は最初こそ緊張していたが、玲の優しいリードのおかげで少しずつ肩の力が抜けていく。
「紬ちゃん」
「はい?」
「楽しんでいるか?」
紬は少し考えてから、笑った。
「はい。すごく楽しいです」
玲も嬉しそうに目を細め、
「そうか。なら良かった」
音楽が2人を包み、戦場では見られなかった、穏やかな時間だった。
玲と紬の姿を見守る仲間たちは、自然と笑顔になっていく。
ゆったりとした音楽が終わりへ近づき、玲は最後の一歩を踏み出すと、紬の手をそっと離した。
そして、紬の前で優雅に一礼し、
「お嬢さん。お上手でした」
玲は柔らかく微笑んだ。
紬は少し照れながら、ドレスの裾を両手で少しだけ持ち上げ、慣れない仕草ながらも頭を下げた。
「ありがとうございます」
その姿に、周りから自然と拍手が起こる。
「綺麗だった!」
「本当に舞踏会みたいだな!」
紬は恥ずかしそうに笑う。
玲はそんな紬を見て、優しく微笑んだ。
「紬ちゃん。初めてとは思えないくらい上手だったぞ」
「玲さんが教えてくれたからです」
「良かった」
玲は少しだけ嬉しそうに頷いた。
「……じゃあ」
透が小さく咳払いをすると、紬が振り返る。
「透さん?」
透は少し照れくさそうに笑い、
「えっと……踊れるか分からないけど……」
そう言うと、紬の前まで歩いていき、片膝をついた。
「お手をどうぞ、お姫様」
その瞬間、周りから小さなどよめきが起こる。
「おお……!」
「リーダー、様になってる!」
紬は目を丸くしたあと、思わず笑った。
「もう……透さんまで」
それでも差し出された手を、優しく握る。
「はい、喜んで」
透はほっとしたように笑った。
2人は音楽に合わせて踊り始めるが、
「あ……」
「……」
「ご、ごめん……!」
透が慌てて足元を見るが、紬は驚いたあと、くすっと笑った。
「大丈夫です。透さん、本当に苦手なんですね」
「うん……」
透は少し困ったように笑い、
「仕事なら何でも出来る気がするんだけどね。これは別みたい」
その言葉に、紬は嬉しそうに笑った。
「なんだか安心しました」
「え?」
「透さんにも苦手なことがあるんだなって」
透は少し目を丸くして、優しく微笑んだ。
「そっかぁ……じゃあ、もう少し頑張らないとね」
今度は慎重に一歩踏み出す。
最初はぎこちないけれど、紬の笑顔を見るたびに、少しずつ力が抜けていく。
1歩、また1歩と2人の動きが重なっていく。
「……今、合いましたね」
紬が嬉しそうに笑い、釣られて透も笑った。
「本当だ」
完璧なダンスではないけど、でもそれが2人らしかった。
2人はお辞儀をし、ダンスは終わってしまった。
その様子を見ていた紅蓮が腕を組むと、
「……なあ」
踊り終えた透が振り返る。
「どうしたの?」
紅蓮は少しだけ目を逸らしながら言った。
「俺も、紬と踊る」
「え?」
透は紅蓮を見ると、少し考え込んだ。
「……紅蓮は、うーん……」
紅蓮は得意げに笑うが、
「ほらな。分かってんじゃねぇか」
透はしばらく悩み、
「やっぱりダメ」
「はぁ!?」
紅蓮が叫ぶ。
「なんでだよ!今、許可する流れだっただろ!」
透は穏やかな笑顔で答える。
「一瞬はそう思ったよ。でも考え直した。紬は僕の婚約者だからね。誰にも譲れないかな」
「考え直すなよ!」
食堂中が笑いに包まれ、玲も思わず苦笑した。
「透は独占欲が強過ぎるな」
透は少し照れながら答える。
「……そうかもしれませんね」
「じゃあ俺も紬ちゃんと踊りたい!」
隊員の一人が手を挙げたが、
「ダメ」
透は即答する。
「早っ!」
再び笑い声が響く。
「じゃあ紅蓮と踊ろうかな〜」
すると紅蓮が鼻を鳴らした。
「男とは踊らねぇ。」
「なんでだよ!」
紅蓮は腕を組み、
「踊りたきゃ女誘え」
「ひどい!」
さらに笑い声が大きくなる。
玲はそんな仲間たちを見て、小さく笑った。
「まあまあ。今日くらい、いいじゃないか」
その言葉を合図にしたように、隊員たちも次々と相手を誘い始める。
「俺たちも踊るか?」
「いいね」
「今日だけなら、私と踊ってあげてもいいわよ?」
「けっ、生意気。でも……よろしく」
照れくさい笑い声に、少し不器用なステップ。
それでも、誰もが楽しそうだった。
紬は透の手を握りながら、食堂を見渡す。
ここは、大切な人と笑い合える場所に変わったのだ。
「透さん」
「ん?」
紬は微笑み、
「……幸せですね」
優しく頷く。
「うん。すごく幸せだよ。僕には勿体ないくらい」
一夜限りの舞踏会は、長い戦いを終えた彼らへの、小さなご褒美のような夜だった。




