第79話 冷めきった心に、寄り添えたら
「……親父……」
紅蓮は震える声で呼びかけるが、
「親父! 闇に飲まれないでくれ……!」
その願いも届かない。
赫焉はゆっくりと紅蓮へ近付き、その首を右手で掴み上げた。
「……っ!」
足が宙に浮き、呼吸ができない。
それでも紅蓮は赫焉の腕へしがみ付き、離れようとはしなかった。
「……親父……」
掠れた声で呼び続ける。
「母さんは……こんな事……望んでない筈だ……」
赫焉は何も答えず、首を締める力だけが、さらに強くなっていく。
「紅蓮!」
紬は駆け出すが、赫焉から溢れた妖氣が暴風となり、紬を吹き飛ばす。
背中から割れた鏡へ叩き付けられ、鋭い破片が腕や背中を切り裂いた。
「……っ!」
激痛に顔を歪めながらも、紬は立ち上がろうとする。
しかし、赫焉の放つ圧が全身へ重くのしかかった。
「くっ……!」
膝が床へ落ち、焔月を支えにしても、身体は動かない。
それでも紬は歯を食いしばり、焔月を強く握り締めた。
脳裏に浮かぶのは、二人の笑顔。
優しく頭を撫でてくれた透、最後まで背中を押してくれた玲。
「お願い……」
涙が頬を伝う。
「透さん……玲さん……」
焔月を胸の前で握り締める。
「私と紅蓮に……力を貸して……!」
その瞬間、焔月が大きく脈打つ。
刀身へ紅い炎が灯り、瞬く間に焔月全体を包み込んだ。
その炎は紅蓮の腕へも伝わり、身体全体を優しく包んでいく。
赫焉はわずかに目を見開いた。
「……何だ、この炎は」
熱くない。
それなのに、心の奥深くへ入り込んでくるような、不思議な力だった。
思わず赫焉は紅蓮から手を離す。
「がはっ……!」
紅蓮は床へ膝をつき、激しく咳き込むが、ゆっくりと立ち上がった。
身体を包む炎は勢いを増していく。
「透……玲……」
拳を強く握り締めると、
「お前達の想い――」
額に鋭い痛みが走った。
骨が軋む音が響き、
「無駄になんか、しないからな!」
叫びと共に炎が吹き上がる。
紅蓮の額から、赫焉にも劣らぬ立派な二本の鬼の角が姿を現した。
赫焉はその姿を見つめ、動きを止める。
紅蓮はゆっくりと赫焉へ歩み寄り、炎を纏ったまま、その大きな身体を見上げる。
「……親父」
優しく紅蓮が笑うと、
「ごめんな」
赫焉は微かに肩を震わせた。
「今まで一人にさせて」
紅蓮は両腕を広げながら、
「寂しかったよな」
一歩、近付く。
「苦しかったよな……」
そして、何倍も大きな赫焉の身体を、そっと抱き締めた。
「……!」
赫焉の瞳が大きく見開かれ、紅蓮を包んでいた炎は、そのまま赫焉へと移っていく。
その炎は熱くなかった。
まるで長い冬を終わらせる、春の陽だまりのように、凍てついた心を静かに溶かしていく。
「あ……」
赫焉の膝が崩れ落ち、
「……あぁ……」
震える手で頭を抱える。
濁っていた瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。
「我は……」
自分の両手を見つめ、
「我は何を……」
嗚咽が漏れる。
「妻だけではなく……息子までも……失おうとしていた……」
紅蓮は何も言わず、抱き締め続けた。
その温もりだけを、赫焉へ伝え続ける。
「……許してくれ……」
赫焉は小さく呟く。
「あぁ……許してくれ……雪……」
雪――それは、紅蓮の母の名だった。
紅蓮は静かに目を閉じ、小さく頷いた後、紬へ視線を向けた。
「……紬」
その声には、確かな願いが込められていた。
「親父を……親父を助けてくれ……」
紬は赫焉を見つめ、静かに息を呑んだ。
赫焉を包んでいた禍々しい妖氣は、確かに薄れてきている。
けれど、紬には分かってしまった。
赫焉は何百年もの間、負の力をその身に取り込み続けてきた。
その代償は、あまりにも大きい。
このままでは赫焉の命は、もう……。




