第75話 食卓を囲むということ
砕け散った鏡の部屋を後にし、紬と紅蓮は静かに階段を上っていく。
城の中は相変わらず不気味なほど静まり返っていた。
足音だけが、重苦しい空気の中へ吸い込まれていく。
「……いつまで続くんだろう」
「あぁ」
短く答えた紅蓮は、拳を軽く握り直した。
やがて2人は3階へ辿り着く。
そこにも重厚な両開きの扉があった。
紅蓮はゆっくりと扉へ手を掛ける。
「ここは開きそうだな」
「うん」
鈍い音を響かせながら扉が開き、部屋へ足を踏み入れた瞬間、紬は思わず目を見開く。
「……すごい」
そこは広大な食堂で、高い天井には豪華なシャンデリアが埃を被っていた。
壁には美しい装飾が施され、部屋の中央には長い長い食卓が置かれている。
10人以上は座れそうな大きなテーブルに、磨き上げられた銀食器が並んでいて、今にも料理が運ばれてきそうなほど整えられた席だった。
誰もいないというのに、まるで、この瞬間も誰かを待ち続けているようだ。
紬はゆっくりと食卓へ近付き、
「……こんな大きなテーブル」
椅子を見つめながら歩いていく。
主人が座るのであろう、一際立派な椅子の隣には、もう1つ小柄な椅子があり、その隣には、少しだけ小さな椅子が置かれていた。
紬は思わず足を止める。
「……」
その椅子だけが、不思議なほど綺麗だった。
埃一つ積もっていない。
今でも誰かが座るのを待っているように、綺麗にされていた。
紅蓮もその椅子を見つめる。
何だか、胸の奥がざわついた。
理由は分からない、知らないはずなのに、その席を見ているだけで、苦しくなる。
「……行くか」
紅蓮は静かに背を向け、紬は何も聞かなかった。
聞いてはいけない気がした。
2人は食堂を後にし、しばらく無言で廊下を歩く。
やがて紬がふっと笑った。
「ねぇ、紅蓮」
「ん?」
「みんなの所戻ったら、またパーティしようよ」
紅蓮は足を止め、
「……は?」
「みんなでご飯食べてさ」
紬は笑顔のまま続けた。
「透さんも、玲さんも、《夜叉》のみんなと、今度はもっと賑やかに!もちろん、紅蓮も最後まで付き合うんだからね!」
紅蓮は少しだけ目を丸くした。
紬は食堂のことを聞かなかった。
あの小さな椅子のことも、肖像画のことも、何も。
ただ、当たり前のように未来の話をしてくれた。
「……面倒くせぇ」
ぶっきらぼうにそう返すが、その口元はわずかに緩んでいた。
「そんなこと言って」
紬はくすっと笑うと、
「ちゃんと来るくせに」
「……知らね」
照れ隠しのように頭を掻きながら、紅蓮は再び歩き出した。
紬も笑顔でその後を追い、2人は最後の階段を上る。
そして階段を上り切ると、そこには長い廊下が続いていた。
左右には、高そうな壺や像が何個飾られている。
赤い絨毯が真っ直ぐ奥へと伸び、蝋燭が2人を照らしていた。
廊下の果てには、今までとは比べ物にならないほど巨大な、黒い両開きの扉がそびえ立っていた。
天井近くまで届くほどの高さで、黒い扉には禍々しい紋様が刻まれ、その隙間からは濃密な妖気が漏れ出している。
息をするだけで胸が苦しくなるほどの圧迫感が、紬は無意識に焔月の柄を握り締める。
「……すごい妖気」
紅蓮も静かに頷き、
「あぁ」
真っ直ぐ巨大な扉を見据えていた。
「親父……」
赫焉は、全ての元凶。
自分を捨てた父親でもある。
2人は扉の前まで歩み寄ると、紬はふと後ろを振り返った。
静かな廊下は、誰も上がってくる気配はない。
「……透さんと玲さん、来ないね」
紬の少しだけ心配そうな声に、紅蓮は鼻で笑った。
「大丈夫に決まってんだろ」
そう言って拳を軽く鳴らすと、
「《夜叉》の元リーダーと、現役リーダーだぜ?」
その口元に、自信に満ちた笑みが浮かぶ。
「あんなクソみたいな宵に負ける訳ねぇんだ」
紬もその言葉に小さく笑う。
「……そうだね」
透も玲も、必ず来る。
2人はそう信じていた。
巨大な黒い扉を前に、それぞれの想いを胸に抱えながら。




