第74話 偽りの貴方
鈍い音を響かせながら扉が開き、紬と紅蓮は警戒しながら部屋へ足を踏み入れた。
「……」
紬は思わず目を見開く。
そこは奇妙な部屋だった。
壁一面に鏡が飾られていて、大きな鏡に小さな鏡、丸い鏡や四角い鏡、豪華な装飾が施されたものまで、数え切れないほどの鏡が並び、蝋燭の光を反射していた。
まるで無数の瞳に見つめられているような感覚に襲われる。
「綺麗な鏡……」
紬は一枚の鏡へ近付いた。
その鏡は、金色のフレームに細かな彫刻が施されていた。
「なんか高そう……」
「見る所そこかよ」
紅蓮が呆れたようにため息を吐き、
「鏡なんて使えれば何でもいいだろ」
「そういう問題じゃないの」
と、紬は頬を膨らませた。
その時、
『ねぇ、二人とも』
聞き慣れた声が響いた。
紬の身体がぴたりと止まり、
「……え?」
振り返るが誰もいない。
部屋には紬と紅蓮しかいない筈だった。
『もう帰らない?』
再び声が響く。
今度ははっきりと聞こえた。
「透さん……?」
思わず呟き、慌てて辺りを見回す。
だが、どこにも姿はない。
『紬』
何度も聞いた、あの優しい声。
「透さん……? どこですか……?」
返事はないが、突然目の前の鏡が揺らめいた。
水面のように波打つ鏡面に映ったのは、
「……っ」
透だった。
いつもの優しい笑顔に、紬だけに向ける柔らかな表情。
鏡の中の透は微笑んでいた。
『帰ろう、紬』
透が手を差し伸べる。
『僕達二人だけで、結婚式をしよう?』
その言葉に、紬の肩が震えた。
『誰にも邪魔されない。二人だけで生きていこう?もう戦わなくていいんだよ。僕がずっと紬を守るから』
紬が夢見た未来、透と共に歩む未来。
だが、紬はゆっくりと首を振る。
「……違う」
鏡の中の透が首を傾げ、
『紬?』
「……違う」
紬の声が震える。
会いたい、今すぐ会いたい。
透の声が聞きたい、透の隣にいたい。
それでも、紬は知っている。
透という人を誰よりも理解している。
「……透さんはそんな事言わない……!」
鏡の中の透の笑みが僅かに歪む。
『どうして?』
「僕達二人だけ……?」
紬は唇を噛み締めた。
涙が滲むが、それでも目を逸らさない。
「……馬鹿な事言わないで」
透はそんな人じゃない。
2人だけが幸せならそれでいいなんて、そんな事を言う人じゃない。
《夜叉》のみんな、玲、紅蓮がいる。
大切な人達がいる。
だから、透はきっと言う。
みんなで助け合って生きて行こう、と。
だから、目の前にいるこれは透じゃない。
「透さんを勝手に語るな……!」
紬は焔月に力を込め、紅い炎が刀身を包み込む。
一直線に鏡へ駆け出し、
「はああああぁぁぁっ!!」
振り下ろされた刃が鏡へ突き刺さる。
鏡が砕け散り、無数の破片が床へ飛び散る。
鏡の中の透も、その笑顔も、全て消えていく。
部屋には再び、蝋燭の火だけが揺れていた。
紬は荒い息を吐く。
焔月を握り締めたまま、砕けた鏡を見つめる。
胸が苦しいけれど、その瞳に迷いはなかった。
誰よりも、透を信じているから。
だからこそ分かる。
紬は静かに焔月を下ろした。
その先に待つ真実など、まだ知らないまま――。




