第73話 知らないはずなのに
重厚な扉が軋んだ音を立てる。
紬と紅蓮は警戒しながら城の中へ足を踏み入れた。
中は静まり返っている。
人の気配も、妖の気配も、何も感じられない。
まるで誰も住んでいない廃城のようだった。
「……暗いな」
紅蓮が低く呟くと、紬も辺りを見回した。
「何も見えないね……」
その時小さな炎が灯り、2人は反射的に身構えた。
壁に取り付けられた蝋燭が独りでに光り出したのだ。
そして2人を導くように、蝋燭の火が次々と灯っていく。
暗闇だった空間が少しずつ照らされていった。
「歓迎されてるみたいで気持ち悪ぃな」
紬も同感だった。
赫焉はきっと知っている。
自分達がここへ来ることを。
いや、待っていたのかもしれない。
やがて階段まで火が灯り、部屋の全体が見えるようになった。
だが、その光景に紬は眉をひそめる。
「……何これ」
壁や柱、天井の至る所に、深い爪痕が刻まれていた。
人間ではあり得ない、巨大な獣が暴れ回ったような傷跡。
蝋燭の火に照らされるそれは、まるで生き物のように見えた。
「うわ……」
紅蓮はそう吐き捨て、紬も小さく頷いた。
2人は警戒を強めながら階段を上っていく。
足音だけが静かな空間に響いていた。
やがて踊り場へ辿り着くと、そこで紬は足を止めた。
「……あ」
壁に巨大な肖像画が飾られていた。
長い黒髪の一人の女性が描かれている。
優しそうな微笑みを浮かべ、品のある美しい女性だった。
だが、その顔だけが無残に引き裂かれている。
鋭い爪で何度も何度も抉られたような跡があり、まるでその存在を消し去りたかったかのようになっていた。
「ひどい……」
紬は思わず呟いた。
その時、隣に立つ紅蓮の様子がおかしいことに気付く。
紅蓮は肖像画から目を離せず、じっと女性を見つめている。
「紅蓮?」
呼び掛けても反応しない。
しばらくして、紅蓮は胸元を押さえた。
「……何か、変な感じだ」
胸の奥がざわつく。
苦しいわけでもなく、痛いわけでもない。
それなのに、目を離せない。
知らないはずなのに、どこか懐かしい気がする。
そんな感覚だった。
紬はもう一度肖像画を見上げた。
顔は見えないが、それでも不思議と優しい人だったのだろうと思えた。
「綺麗な人、だね」
紬は小さく微笑むが、紅蓮は何も答えなかった。
ただ黙ったまま肖像画を見つめている。
やがて紅蓮は視線を外し、小さく息を吐く。
「……行くか」
そう言うと、大きな手が紬の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「わっ!」
一瞬で髪が乱れ、紬は慌てて紅蓮の手を払い除けた。
「もう、紅蓮ってば!」
「ははっ」
紅蓮が珍しく笑ったのを見て、紬も少しだけ肩の力が抜けた。
2人は再び階段を上がると、やがて二階へ辿り着いた。
長い廊下には、所々破れた赤い絨毯が敷いてある。
両脇には重厚な扉が並んでいて、どの扉も固く閉ざされていた。
だが、その中で1つだけ、廊下の奥にある扉だけが僅かに開いている。
ぽっかりと口を開け、中は暗くてよく見えない。
まるで、『ここへ来い』と誘っているようだった。
紬は思わず足を止める。
「……あの部屋……」
紅蓮は鼻を鳴らした。
「まあ、行ってみるか」
罠かもしれないが、ここまで来て引き返す理由はない。
紅蓮は紬の前へ出て、
「俺が先に入る」
「うん」
紬も焔月の柄を握り締める。
2人は視線を交わし、小さく頷いた。
そして、ゆっくりと開かれた扉へ歩き出す。
その先に待つものなど知らないまま――。




