第65話 それぞれの覚悟
管制室には重苦しい空気が流れていた。
モニターの中では今もなお、海面の亀裂が広がり続けている。
透は険しい表情のまま、モニターを見つめていた。
「……時間が迫ってきている」
誰も言葉を返せない。
玲は腕を組みながら静かに頷いた。
「最近、街で発生していた空間異常。あれは、この亀裂の前触れだったようだな」
隊員達も神妙な顔になる。
街ではブラックホールのような黒い穴が突如出現し、そこから特級妖が現れる事件が続いていた。
妖を討伐すれば穴は閉じるが、数日後にはまた別の場所で現れる。
異常だとは思っていた。
だが、まさか世界そのものに亀裂が入るなど、誰が想像できただろうか。
透はモニターから目を離さないまま言った。
「……この亀裂が大きくなれば、もっと妖がこちらの世界へ流れ込んでくるかもしれない」
紅蓮が腕を組んだまま口を開き、
「逆に言えばだ」
全員が紅蓮を見る。
「あの亀裂が穴になれば、親父の居る妖の世界へ行けるかもしれねぇ」
紬は息を呑んだ。
赫焉のいる世界、ずっと探していた場所。
だが、紅蓮は苦く笑う。
「……帰って来れる保証はねぇけどな」
重い沈黙だった。
紬は拳を握り締める。
家族、友達、学校。
ようやく元に戻った日常、全てを置いて行くかもしれない。
そんな覚悟など簡単にできるはずがなかった。
透は決意したように口を開く。
「……行くしかないね」
紬は俯き、小さく呟く。
「……少し時間をください」
透の眉が動くが、
「紬ちゃん……」
「帰って来れる保証もないのに」
声が震えていた。
「何も言わずに行くなんて……できません」
家族、友達の顔が浮かぶ。
全部失うかもしれない。
そんな恐怖が胸を締め付ける。
だが、透もまた焦っていた。
モニターでは今も亀裂が広がっている。
本当に、時間がないのだ。
「紬ちゃん!」
透が珍しく声を荒らげた。
「時間が……」
透は拳を握り、
「時間が無いんだよ……!」
紅蓮が眉をひそめた。
「おい、透」
低い声で制するが、透は止まれなかった。
紬の瞳に涙が浮かびだし、怖い、苦しい、責められている気がした。
そして、紬は涙を零しながら叫ぶ。
「……みんな!」
透の瞳が揺れた。
「みんな……透先輩みたいに……!」
声が震え、涙が頬を伝う。
「強い訳じゃないんですよ……!」
そう言い残し、紬は管制室を飛び出した。
勢いよく扉が閉まり、透はその場に立ち尽くした。
先程の自分の言葉が、どれだけ紬を追い詰めたのか、今になって理解する。
「……透」
紅蓮が肩へ手を置き、
「透の気持ちも分かるけどよ」
透は俯いてしまった。
「紬の気持ちも分かる」
玲も近付き、透の髪をぐしゃぐしゃと撫でた。
「あぁ。2人の気持ちもよく分かるよ。彼女も透も、まだ高校生だ」
透が顔を上げると、玲は微笑んだ。
「やりたい事なんて、いっぱいある」
その言葉に、透は何も言えなかった。
後ろから隊員達も声を上げる。
「そうっすよ!」
「リーダー、1人で抱え込まないでくださいよ!」
「みんなリーダーの味方ですから!」
「俺達も一緒に戦います!」
透は目を見開いた。
皆がいる、1人ではない。
紅蓮はニヤリと笑い、勢いよく透の背中を叩いた。
「いてっ!」
「ほら」
紅蓮は顎で扉を示し、
「紬を探しに行って来い」
玲も頷く。
「まずは彼女を安心させてあげないと、世界なんて救えないぞ?」
透は少しだけ笑った。
「……みんな……ありがとう……!」
そう言って管制室を飛び出した。
紬は無意識に屋上へ来ていた。
夜風が頬を撫で、ベンチへ腰掛けたまま膝を抱える。
「……はぁ」
深いため息が出てしまい、情けなかった。
「私……何やってるんだろ」
《夜叉》の隊員なのに、世界を守る側なのに、覚悟ができていない。
「……《夜叉》失格でしょ……」
ただ風だけが吹く。
その時、屋上の扉が開く。
「……紬!」
透が、息を切らしながらこちらへ来る。
だが紬は俯いたままで、今は顔を見られない。
透は少し離れた場所で立ち止まった。
そして、
「……ごめん」
紬の肩が震える。
「ごめんね」
透は苦しそうに笑った。
「僕、自分のことしか見えてなかった」
紬も涙を堪えながら呟く。
「私も……勝手な事言ってごめんなさい……」
透は少し微笑むと、
「……隣、いい?」
と、紬は小さく頷いた。
透はベンチへ腰掛け、そっと紬の髪を撫でた。
「紬は、悪くない」
紬が顔を上げると、透は笑っていた。
「急に言われても困っちゃうよね」
自嘲気味に笑っていた。
「僕は周りが見えてなかった」
やっぱり、透は責めなかった。
全部自分のせいだと思っている。
だから余計に胸が痛む。
「……怖いんです」
透は黙って聞いてくれる。
「帰れなかったらどうしようって」
我慢していたのに、紬の目から涙が零れる。
「お父さんも、お母さんもいるし……」
友達も、学校だって行きたい。
「透さんも……いるし……」
透の瞳が優しく細まり、そっと額を紬の頭へ預けた。
「うん………怖いよね」
その一言だけで、紬の涙は止まらなくなった。
紬が落ち着くまで黙っていた透が、突然立ち上がる。
「よし」
紬が顔を上げると、透は優しく笑った。
「今日は家に帰ろう?」
「え?」
「ちゃんと休もう」
紬は少し考えた後、頷く。
「……はい」
だが透は何やら考え始める。
「うーん……」
腕を組み、真剣な顔をしていた。
そんな様子に、紬は首を傾げた。
「透さん?」
透はぶつぶつ何か呟いている。
「親御さんに挨拶した方がいいよね……」
「え?」
紬は固まっているが、透は真面目なようだ。
「だって付き合ってるし……指輪も渡したし……」
透は今更、照れ始めた。
紬の顔が真っ赤になるが、
「透さん!」
透は本気で悩んでいる。
「よし、とりあえず帰ろっか。もう暗いし、送るよ?」
透は立ち上がり、手を差し出した。
「一緒に帰ろう」
紬は思わず笑ってしまう。
不思議だった、透といると最後には笑えてしまう。
「はい!」
紬はその手を取り、透は優しく握り返す。
紬はまだ知らない。
透が本気でこの後、両親へ挨拶しようとしていることを。
そして、全てが終わった未来で、自分との将来を本気で考えていることを。
夜の廊下に、2人の笑い声が静かに響いていた。




