第64話 亀裂が入る日常
透と紬が屋上から戻っても、パーティーはまだ続いていた。
食堂からは笑い声が聞こえてくる。
透は紬の手を握ったまま扉を開いた。
その瞬間、紅蓮が真っ先にこちらを見た。
「お」
唐揚げを咥えながらニヤリと笑い、それに気付いたのか、玲も視線を向けた。
そして小さく微笑む。
「その様子だと、上手くいったようだな」
紬は一瞬で顔を真っ赤にした。
透が咳払いをすると、
「えーっと……」
その声に隊員達が振り返り、自然と食堂中の視線が集まった。
透は少しだけ照れながらも、紬の手を握り直す。
「僕達……付き合うことになりました」
『えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?』
皆の驚きの声で、食堂が揺れた。
「おめでとうございます!」
「やっとですか!」
「長かったぁ!」
「まあ、お互い好き同士なの、みんな知ってましたけど!」
女性隊員達が大騒ぎする中、紬は恥ずかしくて透の後ろへ隠れた。
透も女性隊員達の圧に苦笑している。
一方の男性隊員達は、
「……あぁ」
「終わった……」
「俺の青春……」
「紬ちゃんが……」
机へ突っ伏していた。
完全に撃沈である。
数日前まで映画だ、ショッピングだ、と盛り上がっていたのに、全て消えてしまい、夢は儚く散った。
「好きだったなぁ……」
「分かる……」
食堂の隅だけ空気が重く、紬は不思議そうに首を傾げた。
「どうしたんでしょう?」
紅蓮はそんな様子に吹き出してしまう。
「お前なぁ……」
「?」
「いや、何でもねぇ」
その時、玲が落ち込む男性隊員達の元へ向かった。
「玲さん?」
隊員達が顔を上げると、玲は少し考えた後、静かに言った。
「そんなに落ち込むな」
優しい声で慰め、隊員達の目が潤む。
「玲さん……」
「私で良ければ、映画でも行こう」
落ち込んでいた隊員達は、誰も動かなくなった。
「え?」
「え、あ、うん……?」
「えぇぇぇぇぇぇっ!?」
隊員達が一斉に立ち上がり、玲は首を傾げた。
「嫌だったか?やはり、紬ちゃんの方が、良かっただろうか?」
「嫌じゃないです!」
「絶対行きます!」
「俺も!」
「俺もです!」
一瞬で復活し、見ていた紅蓮は腹を抱えて笑い出す。
「単純すぎんだろお前ら!」
食堂は再び笑いに包まれた。
透も、紬も、玲も、久しぶりの平穏な時間を過ごしていた。
――その時だった。
突然、施設全体に警報音が鳴り響く。
笑い声が止まり、全員の表情が変わった。
『緊急事態発生。緊急事態発生』
機械音声が食堂に響き渡る。
『全隊員、直ちに管制室まで』
透の目が鋭くなり、それは《夜叉》のリーダーの顔だった。
「行こう」
全員が立ち上がり、紬も頷いた。
嫌な予感がする。
理由は分からないが、胸がざわついていた。
透達が管制室へ飛び込むように入ると、そこには既に数名の隊員が集まっていた。
しかし誰も喋らず、モニターを見たまま固まっている。
「な、何だよ、これ……」
透が眉をひそめ、1人の男性隊員が振り返った。
とてつもなく、顔色が悪い。
「……リーダー」
震える手でモニターを指差すと、
「これ……」
全員が視線を向けた。
映っていたのは、あの海岸だった。
紬は思わず息を呑む。
忘れるはずがない、宵と洗脳されていた玲に襲われた、あの海岸。
透は何も言わず、そっと紬の手を握る。
「大丈夫」
短い言葉だが、それだけでも少し安心できた。
海岸はいつも通りで、空も海も変わらない。
「……海の動きが、気味悪いな……」
海面が不自然に揺れている。
波ではない。
そして次の瞬間、全てが止まった。
「……え?」
誰かが声を漏らすのも無理はない。
波も、風も止まり、写真のように動かない。
まるで世界から、時間だけが切り取られたようだった。
不気味なほどの静寂が走ったが、
「鳥が……」
1人の隊員が呟くが、声が震えている。
「止まってる……」
空を飛んでいた鳥が、羽ばたいていたはずの鳥が、空中で静止していた。
そして、小さな音が響き、
「……え?」
海面に1本のの線が走った。
まるで硝子に入った傷のような、細い亀裂が現れる。
「嘘だろ……」
隊員の1人が後退ると、再び音が響き、1本だった亀裂が2本になる。
ゆっくりと確実に、海面を侵食するように、亀裂が広がっていく。
誰も声を出せなくなった。
理解できない、理解したくない。
目の前で起きている現象が、常識からあまりにもかけ離れていた。
そんな間でも、亀裂は止まらない。
世界そのものが壊れ始めているように。
透は無意識に紬の手を強く握った。
紅蓮は険しい表情でモニターを睨み、玲も言葉を失っていた。
モニターの中では今もなお、世界が壊れはじめていた。




