第63話 あの日の続きを
《夜叉》の施設の屋上では、夕暮れの風が静かに吹いていた。
空は茜色に染まり、遠くの街には少しずつ灯りが灯り始めている。
屋上には誰もおらず、透と紬だけだった。
「……綺麗」
紬は柵へ近付き、街を見下ろした。
風が吹き、可憐な髪が揺れる。
玲に選んでもらった桜の髪飾りも、小さく揺れていた。
この景色を見るのは久しぶりだった。
忘れるはずがない、透から指輪を貰った場所。
大切な思い出が詰まった場所。
「紬ちゃん」
後ろから優しい声がする。
紬が振り返ろうとした瞬間、温かな腕が身体を包み込む。
「……え」
後ろから抱き締められ、肩へ額が寄せられる。
透は小さく息を吐いた。
「……紬ちゃん」
耳元で優しく囁き、
「紬ちゃんの方が綺麗だよ」
紬の顔が真っ赤になる。
「っ……」
何も言えない。
透は肩へ顔を埋めたまま動かなかった。
抱き締める腕だけが少し強くなる。
まるで離したくないとでも言うように。
しばらくして、透が静かに口を開いた。
「……何も言わなくて大丈夫だから、このまま聞いて?」
紬は黙って頷き、透は目を閉じる。
「……僕ね」
透は小さく笑う。
どこか情けない笑みを浮かべ、
「紬ちゃんがこのまま誰かに取られるんじゃないかって」
と、抱き締める腕に力が入る。
「ずっと不安だった」
紬は少し驚いた。
《夜叉》のリーダーで、強くて、皆を引っ張る透が、そんな風に不安を抱えていたなんて。
紬はそっと手を伸ばし、そして透の頭を優しく撫でた。
透の肩が小さく震え、
「……ありがとう」
と、安心したような声だった。
夕陽が2人を照らす。
「……このままじゃダメだって気付いたんだ」
透は苦笑する。
「その……」
珍しく言葉に詰まっていて、
「告白されてるの聞いちゃって」
「えっ!?」
「昨日」
「……!?」
紬は一瞬で顔を真っ赤にした。
『透先輩が好きなんです』
全部聞かれていた。
「~~~~っ!」
恥ずかしさでしゃがみ込みそうになり、透は思わず吹き出した。
「ごめん」
「ごめんじゃないです……!」
透は本当に嬉しそうに、笑っていた。
「でもね、嬉しかった」
紬を自分の方に向かせ、透は真っ直ぐ紬を見る。
「紬ちゃんの気持ちが知れて。……紅蓮にも言われたよ」
「紅蓮?」
「お前、順番おかしいだろって」
紬は思わず笑ってしまった。
「ふふっ」
確かにその通りだった。
指輪を渡して、抱き締めて、キスをして。
お互い好きなのも分かっているのに、正式に告白だけしていない。
透も苦笑し、
「僕もそう思う」
「今更、ですよね」
「そうだね」
2人は顔を見合わせ、笑った。
紬は空を見上げ、あの日を思い出す。
『全部終わったら、話すよ。覚悟しておいてね』
あの言葉を、ずっと覚えていた。
だから紬は、少し照れながらも、真っ直ぐ透を見る。
「私……」
「うん」
「待ってたんです」
透の瞳が揺れ、
「本当は全部終わったら話すって言ってくれましたけど」
紬は胸の前で手を握る。
「昨日告白されて、何だか透先輩のこと、もっと好きになってて」
透の胸が熱くなる。
紬は微笑み、
「だから……」
大好きな、透を見つめる。
「改めて言ってくれないかなって」
透がゆっくり手を伸ばすと、指先が紬の頬へ触れる。
優しく、愛おしそうに、そっと。
「……好きだ」
紬の瞳が揺れ、透は微笑んだ。
「……好きだよ、紬ちゃん」
何度も、頬を撫でる。
「僕だけの紬ちゃん」
紬の目から涙が零れた。
止まらない、嬉しくて、幸せで、胸がいっぱいだった。
「……私も」
声が震えてしまうが、それでも伝えたい。
「好きです……」
透の瞳が優しく細まる。
紬は少しだけ恥ずかしそうに笑った。
そして、
「……透さん」
初めて恋人として、特別な人として、名前を呼んだ。
透は一瞬固まってしまったが、段々と耳まで真っ赤になっていく。
「……反則だよ」
「え?」
「何でもない」
咳払いし、紬の手を取った。
少しだけ不安そうに、緊張しながらーーー。
「……付き合って、くれる……?」
世界の危機を背負った、《夜叉》のリーダーとは思えないほど情けない声だった。
紬はもう我慢できずに、涙がぽろぽろ零れる。
「……はい……!」
何度も、何度も頷く。
「……はい……!」
透の手をぎゅっと握ると、安心したように微笑んだ。
頬を伝う涙へそっと口付け、
「……紬ちゃん」
優しい声で、
「……泣かないで?」
と、紬は首を横に振る。
そんなの、無理だ、嬉しすぎる。
透は困ったように笑うと、紬を抱き寄せる。
「……紬」
紬の心臓が大きく跳ねる。
透は何度も名前を呼んだ。
「紬……」
「……はい」
「紬……」
「はい……」
呼ばれる度に嬉しくなる。
透も同じだった。
今まで我慢してきた分、今は何度でも呼びたい。
「……好きだよ」
「……私もです」
透は、心から幸せそうに笑う。
そして紬をそっと抱き締めた。
紬もその胸へ身を預ける。
夕焼け空の下、指輪を渡したあの日と同じ場所で、2人はようやく想いを通わせた。
赫焉との戦いはまだ終わっていない。
それでも今だけは、ただ幸せだった。
2人で見る夕焼けは、どこまでも優しく、美しかった。




