第54話 汚された愛
管制室に響いた声に、透は顔を上げた。
隊員の一人がモニターを指差している。
その顔には驚きと興奮が入り混じっていた。
「水族館の監視カメラです!」
「何が映ったの?」
透が近付くと、息を呑んだ。
モニターに映っていたのは、1人の少女で、白いワンピースを着て、風に揺れる髪が可憐だ。
見間違えるはずがない、紬だった。
「紬ちゃん……!」
隊員達が立ち上がる。
「見つかったんですか!?」
「無事だったんだ……!」
歓声が上がるが、玲は黙ったまま画面を見つめていた。
紅蓮も腕を組み、眉をひそめる。
何かがおかしい。
理由は分からない。
だが胸の奥に小さな違和感が残る。
その時、モニターの中の紬が、ゆっくりと振り返った。
監視カメラを真っ直ぐに見つめ、こちらが見えているかのように、微笑んだ。
透の胸がざわつく。
紬はそっと手を伸ばした。
まるで――。
『おいで』
そう誘っているかのようだ。
そして紬は、水族館の中へ消えていった。
静まり返る管制室で透は、画面を見つめたまま呟いた。
「……呼んでる」
玲が低く言う。
「何で、あそこに……」
「行きます」
紬に繋がるなら、罠でも行くしかない。
水族館へ駆け付けた透達だったが、館内のどこにも紬の姿はなかった。
二階の展示エリアや、許可をもらって入ったバックヤード。
全て調べたが、全く居る気配がない。
「どこ行ったんだよ」
紅蓮が舌打ちしたその時、通信機が鳴った。
『リーダー!』
隊員の焦った声が、耳を震わせる。
「どうしたの?」
『紬ちゃんです!』
透の目が鋭くなる。
『今度はショッピングセンターにいます!』
「……」
『監視カメラに映りました!』
紅蓮がため息を吐いた。
「次は、何処だって?」
玲も目を細める。
「まるで、誘導されているかのようだな」
それでも向かうしかない。
映画を見に行ったショッピングセンターにも、やはりいなかった。
透はふと、立ち止まる。
水族館、ショッピングセンター、どちらも紬との思い出がある場所。
そして、もう1つの場所が頭を過った。
「……もしかしたら」
「何だ?」
透は、夕焼けに染まり始めた空をじっと見つめた。
「海岸です」
紅蓮が顔を上げる。
「……この前の所か」
透は小さく頷いた。
「紬ちゃんなら行きたくない筈だ」
あの日宵に呼ばれ、罠だと分かっていても、玲を助けに行った場所。
そして紬が酷い状態で見つけられ、3日も目を覚まなかった、思い出したくもない場所。
だからこそ、今まで現れた紬は、きっと最後にそこへ行く。
夕暮れの海岸は、赤く染まっているかのように美しかった。
波が静かに打ち寄せ、そこに少女は立っていた。
透が砂浜へ足を踏み入れると、少女が振り返る。
そして、優しく微笑んだ。
「やっと来てくれましたね」
聞きたかった紬の声、見たかった紬の顔、透に向ける優しい紬の笑顔。
だが、透は何も答えない。
少女は首を傾げた。
「透先輩?」
一歩近付くと、腰には焔月が鞘に収まっている。
それも、違和感があった。
その姿は完璧だった。
「どうしたんですか?私ですよ?」
透が静かに刀を抜くと、夕陽を受けて刃が光る。
そこへ遅れて来た、玲と紅蓮も到着した。
「透!」
玲が声を上げるが、透は振り返らない。
「手出ししないでください」
玲と紅蓮が足を止める。
透は刀を構え、切っ先を少女へ向ける。
「この偽物は、僕が始末する」
少女はきょとんとした顔をした。
そして、首を傾げる。
「なんでですか?」
悲しそうに笑う。
「私ですよ?紬です」
透の表情は変わらない。
「違う」
少女の笑みが僅かに揺れた。
「紬ちゃんは」
透は遠くの海面を見た。
「あの日、あんな辛い事があったのに、此処に来る筈がないんだ」
少女の目が細くなり、透が地面を蹴った。
轟音が鳴り響き、足元の砂が爆ぜる。
一瞬で間合いを詰めるが、焔月と透の刃が激突した。
火花が散り、偽物が驚いた顔をする。
「っ!?」
そのまま吹き飛ばされたが、直ぐに立ち上がり、笑いだした。
「強いですね。……でも少し寂しいです。やっと会えたのに」
透はそんな言葉には答えず、再び踏み込んだ。
「覚えてますか?」
偽物が透の攻撃を受け流しながら呟くと、
「水族館」
透の瞳が細くなる。
「楽しかったですよね?ショッピングセンターも、また行きたいなって――」
透の斬撃が更に重くなるが、偽物は余裕を貫いていた。
これは透をわざと挑発している。
透が最も嫌うやり方で、揺さぶろうとしていた。
「この海も」
夕陽が水面に反射して、
「綺麗ですよね。またこれて良かったです」
透の中で何かが切れた。
本物の紬なら、絶対に言わない。
絶対に言わないと、確信が持てる。
「黙れ」
偽物の笑顔が僅かに固まり、透はゆっくり刀を構えた。
「君は、紬ちゃんじゃない。僕達の思い出を利用するな。紬ちゃんの声で話すな」
空気が震え、透の覇気が膨れ上がったと思うと、透が消えた。
偽物が咄嗟に焔月を構えたが、受け止めきれない。
轟音と共に吹き飛ぶが、透は止まらない。
次々と、偽物の身体に傷が増えていく。
そして、肩を深く斬り裂いた瞬間、黒い影が溢れ出した。
血ではなく、おぞましい影だった。
玲が目を細め、
「やはり、か」
紅蓮も鼻を鳴らした。
「宵の仕業だな、あれは」
それでも偽物は、まだ紬の姿のままだった。
「ひどいですね」
悲しそうにわざとらしく笑う。
「透先輩。私だって、言ってるのに」
透の迷いは完全に消えた。
刀を構え、静かに、ただ静かに呟く。
「違う」
偽物が動きを止め、透は真っ直ぐ見据えた。
「紬ちゃんは、そんな風に笑わない。人を傷付けない」
風が吹き、夕陽が2人を照らす。
透は最後の一歩を踏み込んだ。
「もう二度と、僕の前で紬ちゃんを侮辱するな」
視界が、透の刃で白く染まると、何かが割れる音がし、偽物の頬に亀裂が走った。
瞳から割れていき、頬、口元と、まるで仮面が砕けるように、紬の顔が崩れていく。
その中から、黒い影が溢れ出した。
ドロドロと蠢く闇から、紬ではない声が響く。
「本当に」
影が不気味に笑う。
「不愉快ですね」
声の主は、宵だった。
透は刀を下ろさず、冷たい瞳のまま見つめる。
「宵」
「紬さんは近いですよ?貴方のすぐ近くに居るかもしれませんね」
そう言い残し、影は砕け散った。
砂浜に残されたのは、少しだけ蠢く、わずかな黒い欠片だけ。
玲がそれを拾い上げじっと見つめると、その欠片は微かに脈打っていた。
「……これがあれば……」
透と紅蓮が顔を上げ、玲は黒い破片を強く握り締めた。
「この破片を辿れば、宵の居場所が分かるかもしれない。《夜叉》の科学チームに持って行こう」
ようやく、紬へ続く道を見つけたかもしれない。
透は夕暮れの海を見つめ、静かに呟いた。
「待ってて」
その瞳にはもう迷いはなかった。
「必ず、必ず迎えに行くから」
波の音だけが、静かに響いていた。




