第51話 囚われの小鳥さん
また、あの暗闇だった。
どこまでも続く、果てのない闇。
上も下も分からない。
音も無く、ただ静寂だけが広がっている。
紬はゆっくりと周囲を見渡した。
「……あれ?」
自分が何をしていたのか思い出せない。
胸の奥だけが妙にざわついていた。
何か大切なことがあった気がする。
何かを忘れている気がする。
「私……何してたっけ……」
首を傾げた、その時だった。
『紬ちゃん』
優しい、聞き慣れた声がして、紬は勢いよく振り返った。
「透先輩!」
姿は見えない。
それでも確かに聞こえた。
「透先輩!どこですか!?」
声のする方へ駆け出そうとした瞬間、記憶が蘇る。
何かを企んでいる宵、自分の事を思い出してくれたかもしれない玲、いつも大切にしてくれる透。ぶっきらぼうだけど優しい紅蓮。
そして――。
『貴方の大切な紬さん。お借りしますね』
「……っ!……行かないと……!」
皆のところへ帰らないと。
足を踏み出そうとした時だった。
『ううん』
透の声がまた、聞こえた。
優しくて、だけどどこか寂しい声。
『もういいんだよ』
紬が立ち止まる。
『もう何もしなくていいんだ』
「え……?」
『さよなら、紬ちゃん』
声が遠ざかっていき、どんどん遠く聞こえなくなっていく。
「待って!」
紬は必死に手を伸ばしたが、
「透先輩!行かないで!」
それでも声は消えていく。
「透先輩!!」
叫んだ瞬間、紬は目を覚ました。
「っ!」
勢いよく身体を起こす。
荒い呼吸で、額は汗ばんでいる。
激しく脈打つ心臓が、妙に痛い。
「はぁ……はぁ……」
夢、で良かった。
そう理解しても胸が苦しい。
紬はゆっくり周囲を見渡し、言葉を失う。
「……ここは……?」
そこは見た事の無い、ただの広い空間だった。
だが異様で、黒い鉄格子に、天井まで伸びる柱が不気味だ。
まるで巨大な檻の中に居るようで。
「鳥籠……?」
本当に、鳥を閉じ込めるための籠なのかもしれない。
ただし、閉じ込められているのは自分だった。
「え……?」
ふと、冷たい感触に視線を落とす。
両手首、両足首には銀色の鎖が巻かれ、鳥籠の柱へと繋がれていた。
これは……逃げられない。
「何これ……」
紬は顔をしかめた。
そして、もう一つの違和感に気付く。
「あれ……?」
隊服でも、制服でもなく、見慣れない服を着ていた。
白を基調とした柔らかなワンピースは、レースの付いた袖で、ふわりと広がるスカートが可愛らしい。
まるで物語に出てくるお姫様のような服だった。
「なっ……!?」
紬は慌てて裾を握る。
顔が青ざめる。
意識のない間に着替えさせられた。
「宵……!」
怒りが込み上げ、鳥籠を掴む。
鉄格子がガシャンと音を立てるが、開く様子はない。
「ふざけないで……!」
人形でもないのに、まるで着せ替え人形みたいな扱いだ。
「絶対に許さないんだから……」
唇を噛み締めたその時、どこかで扉の開く音が響いた。
ゆっくりと近付いてくる足音。
何処か、嬉しそうにも思える。
そして薄闇の中から現れたのは、会いたくもない宵だった。
「おはようございます。私の小鳥さん」
宵は穏やかな笑みを浮かべていた。
まるで旧友に挨拶でもするように。
その笑顔に、紬は嫌悪感を隠さない。
「……気持ち悪い」
宵は本当に不思議そうに、首を傾げた。
「何がです?」
「全部。全部気持ち悪い」
紬は汚い物でも見たかのような表情で、即答した。
「勝手に着替えさせて、閉じ込めて……!」
宵は少し考えるような仕草を見せる。
「ですが、その服はとても似合っていますよ。」
「そういう問題じゃない!」
紬は怒鳴った。
だが宵は楽しそうに微笑むだけだった。
まるで反抗する姿すら気に入っているかのように。
その笑顔が、紬には何より不気味だった。
《夜叉》の施設では、討伐へ向かっていた隊員達が続々と帰還していた。
施設内へ入った隊員達は、1人の女性の姿を見て足を止める。
「……え?」
信じられないものを見るように、誰かが呟いた。
「玲さん……?」
次の瞬間、歓声が上がった。
「玲さん!!」
「本当に玲さんだ!」
「帰ってきたんですか!?」
隊員達が一斉に玲の元へ駆け寄る。
泣きながら抱き付く者、笑う者、安堵する者。
失われていた日常が戻ってきたようだった。
「すまない……」
玲は申し訳なさそうに苦笑いをした。
「何してたんですかー!」
「心配したんですよ!」
久しぶりの笑顔が施設に広がる。
だが、1人の女性隊員が辺りを見回した。
「あれ?」
その子は、紬と仲の良かった隊員だった。
「リーダー?紬ちゃんは?」
その子の笑顔が消えていく。
「え……?」
透は俯いたまま、拳を強く握り締めている。
「リーダー……?」
「……紬ちゃんは……」
紅蓮が透の肩を優しく叩き、代わりに告げた。
「宵に攫われたんだ……」
あんなに喜んでいた歓声が消え、
「……え?」
女性隊員の顔から血の気が引いた。
「紬が、玲を元に戻した後だ……」
紅蓮も悔しそうに拳を握る。
「宵に連れて行かれた……」
誰も何も言えない。
「……嘘」
女性隊員の目に涙が浮かぶ。
「そんなの……嘘ですよ……」
透は何も言えない。
自分が守れなかった。
その事実だけが胸を締め付けていた。
「リーダー!!」
女性隊員が透の胸ぐらを掴んだ。
「何してるんですか!!」
涙が溢れている。
「紬ちゃんが大事なんでしょ!?」
透は抵抗しない。
「なのに……!……どうして守ってあげなかったんですか!!」
透は静かに目を閉じた。
脳裏に浮かぶ、
『もう絶対、君を傷付けさせない』
自分で言った言葉。
それなのに、守れなかった。
「……ごめん……」
「私じゃなくて……!」
女性隊員は泣きながら叫ぶ。
「紬ちゃんに謝ってくださいよ……!」
その言葉が、透の胸を深く抉った。
玲は唇を噛み締め、紅蓮も目を伏せた。
誰も責められない。
だけど、誰もが苦しかった。
《夜叉》は玲を取り戻した。
だがその代わりに。
皆の太陽のような少女を失ってしまったのだから。
その夜、透は誰もいない管制室で、一人だけモニターを見つめていた。
握り締めた手の中にはあの日、床に落ちていた指輪が、寂しそうに光っている。
「……待ってて。必ず迎えに行くから」
透の瞳に宿るのは、絶望ではない。
紬を取り戻すという、揺るぎない決意だった。




