第46話 消えない絆
真っ暗で、何も見えない。
何も聞こえない。
自分がどこにいるのかさえ分からない。
ただ、果てしない闇だけが続いている。
「……あれ?」
紬は辺りを見回した。
何をしていたのか、どうしてここにいるのか。
それすら曖昧だった。
「……私、何してたんだっけ」
小さく呟くと、
『紬』
低い声が響く。
何だか、聞き覚えのある声な気がする。
『お前はよく頑張ったな』
「……頑張った……かな……?」
『ああ』
それは、優しく語りかけてくる。
『もう十分だ。玲も、お前のことは忘れている。』
その名前に何故か、胸が痛んだ。
『お前の大事な透だって、いつかはお前の傍を離れていく』
「……透先輩……?」
『ああ』
闇の中で声が笑う。
『我の息子だって、お前のことなど、どうでもいいと思っているだろうな』
優しい声なのに、その言葉は冷たく感じる。
『どうだ?』
紬の身体に、闇が広がる。
『我と共に楽園へ行こうではないか』
身体が重く、もう疲れた。
もう何も考えたくない。
何も感じたくない。
そんな思いが心を埋めていく。
「……」
紬は俯いてしまったが、遠くから何かが聞こえた。
『……むぎ……』
小さく、かすかな声で、はっきり聞こえない。
『紬!』
今度ははっきり聞こえた。
紬が顔を上げると、闇の中に光が差し込んだ。
『紬!』
また、自分を呼ぶ声がする。
聞き慣れた声だった。
「……紅蓮?」
闇を押し退けるように、光がどんどん大きくなる。
『起きろ!紬!』
その声を聞いた瞬間、探している玲、大切な透、相棒で友達の紅蓮。
そして、帰りを待っている《夜叉》のみんな。
大切な人達の姿が一気に蘇った。
「……そうだ。私……まだ……」
光が全身を包み、
「まだやる事がある……!」
闇が崩れていき、赫焉の気配が遠ざかっていく。
『……ちっ』
「紬!」
再び声が響き、紬はゆっくり目を開いた。
白い天井に、消毒液の匂い。
《夜叉》の医務室だった。
身体が重く、喉も乾いている。
ゆっくり視線を動かすと、ベッドの横に座っていた紅蓮が、勢いよく立ち上がった。
「っ……!」
「……紅蓮……?」
紬の声を聞いて、紅蓮は大きく息を吐いた。
「馬鹿野郎……」
安堵したような声だった。
「やっと起きやがったか……」
「私……」
「3日だ。お前、3日も寝てたんだぞ。」
海岸での出来事が少しずつ嫌でも蘇る。
紅蓮は立ち上がると、
「待ってろ」
そして珍しく少し慌てた様子で言った。
「透呼んできてやるから」
そう言うなり医務室を飛び出していく。
扉が閉まり、静寂が訪れた。
紬はゆっくり左手へ視線を落とす。
玲に刺された傷は、厚く包帯が巻かれていて、薬指には何もなかった。
「あ……」
胸が締め付けられる。
指輪は、透との大切な絆だった。
玲も助けられなかった。
勝手に飛び出して、みんなに迷惑を掛けて。
「……合わせる顔なんて……ないよ……」
涙が零れ落ちた。
「ごめん……なさい……」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
その時、勢いよく扉が開き、
「紬ちゃん!」
透が息を切らしながら駆け込んでくる。
だが紬は顔を上げられない。
涙で顔はぐしゃぐしゃだった。
「……ごめん……なさい……」
透はゆっくりベッドの傍へ腰を下ろす。
そして、そっと紬の左手を握った。
「紬ちゃん。謝らなくていい」
紬は首を振る。
「でも……」
「少し目を閉じてくれる?」
「……?」
紬は戸惑いながらも目を閉じると、左手に何かが触れる。
透の指先が優しく薬指を撫で、しばらくして、
「うん」
透が微笑んだ。
「もう開けて大丈夫だよ」
紬はゆっくり目を開くと、
「……!」
息を呑んだ。
薬指には、失ったはずの指輪があった。
「どうして……」
紬の声は震え、透は苦笑する。
「紅蓮がね、一所懸命探してくれたんだ。」
透は笑った。
「僕も探すって言ったんだけど、お前は紬の所にいろって怒られちゃって」
紬は何だか、張り詰めていたものが切れた気がして、
「っ……」
また涙が溢れる。
「良かったぁ……」
子供みたいに泣きながら、指輪を触る。
透はそんな紬の涙を、指で優しく拭った。
「泣かないで?」
「……っ」
「僕はね」
透は微笑む。
「いつも元気で、いつも笑ってる」
愛おしそうに、言葉を紡いでいく。
「そんな紬ちゃんが好きなんだ」
紬の瞳が大きく揺れ、透はそっと額を寄せる。
「だから、泣かないで?」
そしてそっと唇を重ねた。
何度も、確かめるように。
失わずに済んだことを、ここに居てくれることを、何度も、何度も。
「……ったく」
透が振り返ると、腕を組んだ紅蓮が立っていた。
「他所でやれよ」
「ぐ、紅蓮!?」
紬の顔が一気に真っ赤になり、紅蓮は呆れたように頭を掻いた。
「元気そうで何よりだ」
そう言うと扉へ向かったが、途中で立ち止まる。
「……紬。あんま無茶すんなよ」
紅蓮なりの励ましなのだろう。
紬は小さく頷く。
「……うん、ありがとう」
紅蓮は満足そうに鼻を鳴らし、医務室を後にした。
その日の夜、透はようやく仕事へ戻っていった。
治療室には紬1人になってしまった
いや、正確には1人ではない。
透が座っていた椅子には、リボンの付いたくまのぬいぐるみが座っていた。
「寂しくないように、座らせておくね」
そう言って透が、紬の部屋から持ってきてくれたものだ。
「本当、心配性なんだから……」
そう言いながらも嬉しかった。
くまのぬいぐるみを抱き寄せると、ふと、あの言葉が頭に浮かぶ。
『そんな紬ちゃんが好きなんだ』
「……」
紬の動きが止まった。
「……あれ?」
数秒の沈黙が流れ、
「待って……」
顔がみるみる赤くなる。
「好き……?」
確かに透は言った。
今まで抱き締められたこともあるし、キスだってした。
そして、指輪も貰った。
そういえば、今まで一度も、好きとは言われていなかった。
「~~~~っ……!」
紬は慌ててくまのぬいぐるみに顔を埋めた。
恥ずかしい。
思い出しただけで心臓が壊れそうだった。
薬指の指輪へ視線を落とす。
透がはめ直してくれた指輪を見つめながら、紬は小さく微笑んだ。
「……私も……」
頬を赤く染めながら、幸せそうに。
その夜紬は、なかなか眠ることができなかった。
――だが。
それは紬だけではなかったようだ。
管制室では、
「あぁもう……」
透が机に突っ伏してから、1時間は経過していた。
『そんな紬ちゃんが好きなんだ』
自分の言葉を思い出して、耳を真っ赤にしながら。
もちろん、そんな透の様子を紬は知らない。
そして透もまた。
今頃、紬が自分の言葉を思い出して真っ赤になっていることを知らなかった。
少し離れた場所で、お互いに相手を想いながら、2人はなかなか眠れない夜を過ごすのだった――。




