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半妖の黙示録ー契約の成れの果てー  作者: くろあげは。
第5章 私の居場所なんて
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第45話 揺らぐ心

「紬ちゃん?」


透は紬の部屋の前で足を止めた。


軽く扉をノックしてみるが、


「紬ちゃん、居る?」


静かな廊下に声が響く。


返事はなく、透は紅蓮と顔を見合わせた。


「……寝てるんじゃねぇか?」


紅蓮が首を傾げる。


だが透の胸騒ぎは消えず、むしろ強くなっている気がした。


「……入るね」


そう声を掛けてから、透はゆっくりドアノブを回した。


だが、部屋の中に紬の姿はなかった。


「……」


透の表情が曇っていく。


可愛いくまのカバーがかけてあるベッド。


デートの時に一緒に撮った写真が飾ってある机。


どこにも居ない。


あるのは普段と変わらない部屋だけ。


そしてソファーの上には、リボンの付いたくまのぬいぐるみがぽつんと座っていた。


まるで持ち主を待っているように。


どこか寂しそうに。


透はその姿を見つめる。


紬が大切にしているぬいぐるみ。


「おかしいな」


紅蓮が頭を掻くと、


「あいつ、どこ行ったんだ?」


透はゆっくり振り返る。


「管制室に戻ろう。……紅蓮。何だか嫌な予感がするんだ」


その言葉に、紅蓮の表情も引き締まった。


2人は急ぎ足で部屋を後にする。











紬は動けずにいた。


首元には黒い炎を纏った刀の刃が、少しでも動けば肌が裂ける距離に当てられている。


そして後ろから掴まれている手首は、振り払うこともできない。


波の音だけが静かに響き、朝日に照らされた海は美しかった。


だが今の紬に、それを眺める余裕はない。


「……玲さん」


震える声で名前を呼ぶが、背後にいる女性からは返事はない。


長い黒髪が海風に揺れ、虚ろな瞳を浮かべ、感情のない表情で紬を監視していた。


かつて《夜叉》を厳しく指導して、隊員達に慕われていた姿ではなかった。


それでも、紬の胸に浮かんだのは恐怖ではない。


やっと探していた人に会えた。


本当に会えたと、そんな想いだった。


「ふふ」


楽しそうな笑い声で、宵がゆっくり近付いてくる。


「罠だと分かっていましたよね?」


モノクルの奥の瞳が細められた。


「何故そんなに玲さんを取り返したいんですか?」


宵は紬の顎を掴み、無理やり顔を上げさせる。


そんな状態でも、紬は睨み返した。


「貴方には分からない」


紬のその声に、迷いはない。


「玲さんは、私たち《夜叉》の大切な仲間だから」


宵の笑みが僅かに止まったが、紬は続けた。


「貴方は赫焉の操り人形だもんね」


冷たい海風が3人に、吹き抜ける。


「仲間を想う気持ちなんて、分からない」


宵の拳が紬の腹へ突き刺さり、


「……っ……!」


肺の空気が強制的に吐き出される。


膝から砂浜へ落ちたが、突然髪を掴まれ、


「いた……っ…!」


強引に引き上げられる。


髪を掴んでいるのは玲だった。


「玲さん……」


紬は苦しそうに呟いたが、玲は無表情のまま。


まるで命令を実行する人形のようだった。


宵は深く息を吐き、乱れそうになる感情を抑えるように、モノクルを押し上げた。


「……人間の、そういう所が嫌いなんですよ」


紬の腕を掴み、そのまま砂浜へ投げ飛ばした。


「うっ……!」


背中に衝撃が走るが、負けずに紬は立ち向かう。


「仲間とか……友情とか」


宵の眉が僅かに動き、


「貴方も赫焉も、絶対分からない」


紬は首を振った。


「妖だから?違う。紅蓮は妖でも、そういう気持ちは分かるんだもん」


宵の表情が曇り始め、


「貴方達は」


紬は真っ直ぐ見据えた。


「知りたくないだけ!」


波の音だけが響き、宵は紬の頭へ足を乗せた。


「……うるさいですね」


その足に、ぐっと力が込められる。


「ほんとに」


砂へ押し付けられる頬は、痛くて堪らない。


「人間はよく喋る」


それでも、紬は宵を睨み続けた。


その視線が、宵をさらに苛立たせていた。


「玲さん」


宵が振り返ると、


「ちょっと黙らせてください」


玲は静かに紬に、歩み寄った。


そして、黒炎を纏った刀が紬の左手を貫く。


「っ……!」


鮮血が砂浜を赤く染めた。


痛い、痛い……。


だが紬は歯を食いしばり、顔を上げた。


「そうやって……自分の手を汚そうとしない」


宵の眉が動いたが、


「貴方は卑怯者よ」


紬は玲を見る。


そして再び宵を睨んだ。


「いや、赫焉は貴方や玲さんを使ってる」


宵の表情が完全に冷え、


「もっと卑怯者だ!」


何も言わなくなった。


ただ、刀の刺さった左手へ視線を落とすと、薬指に光る銀色の指輪を見つけた。


透との絆の証を宵は見つめ、するりと抜き取った。


「あっ……!」


初めて紬の表情が大きく揺れ、宵は指輪を摘まみ上げた。


「……吐き気がしますね」


その目には、嫌悪が宿っている。


「こういう物を見ると」


「返して!」


紬が叫ぶと、宵は薄く笑った。


「なるほど。これは大事な物なんですね。」


宵は指輪を握ったまま玲を見た。


「玲さん」


穏やかな声のその奥には、苛立ちが滲んでいた。


「もう舐めた口をきかないように」


モノクルを押し上げると、


「始末してください」


玲は無言で頷く。


紬の左手から刀を引き抜くと、玲はそれを振り上げた。


紬へ向けて、迷いなく。


朝日を背にしたその姿はまるで、処刑人のようだった。


「玲さん!」


悲鳴ではない。


助けを求める声でもない。


ただ、大切な人を呼ぶ声。


玲の瞳が僅かに揺れ、刀が止まった。


ほんの一瞬、本当に一瞬だけ。


「紬ちゃん!」


遠くから声が響いたと思うと、透が全力で駆けてくるのが見えた。


その後ろには紅蓮もいる。


宵は舌打ちし、


「……ちっ」


そして踵を返す。


「今日の所は帰りますよ」


玲は無言のまま頷き、宵は手の中の指輪を見下ろした。


「こんな物」


その指輪を、海へ投げ捨てたのだ。


「あっ……!」


指輪は朝日に煌めきながら海へ沈み、宵と玲の足元に影が広がる。


2人の身体は沈み、姿を消していく。


「玲さん!」


紬が叫ぶが、欲しかった返事はない。


残ったのは波の音だけだった。


「紬ちゃん!」


2人が消えた後、透が駆け寄る。


紅蓮も紬の傍に来て、心配そうにしている。


紬の身体は傷だらけで、左手は血で染まっていた。


それでも紬は海を見つめていた。


「ごめん……なさい……。玲さん……また何処かに……」


また、助けられなかった。


また、届かなかった。


また、追いつけなかった。


張り詰めていた糸が切れていく。


透は何も言わなかった。


ただ、そっと紬を抱き締める。


「紬ちゃん」


やっと喋ったと思うと、その声は震えていた。


「紬ちゃんが無事で良かった……」


その言葉を聞いた途端、紬の身体から力が抜け、透の腕の中へ倒れ込む。


「……透先輩……」


小さく呟くと、ゆっくり目を閉じた。


最後に感じたのは、透の温もりだった――。


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