第43話 届かない、この手
「玲さん……」
紬は、2人が消えた場所を見つめていた。
胸が苦しくて、堪らない。
やっと見つけて、やっと会えたのに。
それなのに――。
『紬ちゃん?』
通信機から透の声が聞こえ、
『状況はどう?』
紬ははっと我に返る。
「透先輩……」
震える声を抑えながら答えた。
「玲さんが……いました」
『!』
通信の向こうで息を呑む気配がする。
「でも、赫焉の右腕の宵と一緒に……」
『え、玲さんが――』
その時、
「きゃあああっ!!」
甲高い悲鳴が商店街に響いた。
商店街のお肉屋の前に、小学生くらいの女の子が尻もちをついていた。
その目の前には、大きな狼の妖が、鋭い牙を剥き出しにしながら、今にも飛びかかろうとしている。
「……!」
紬は通信機を切る間もなく地面を蹴った。
焔月を出現させると、狼の妖が女の子へ飛びかかる。
紬の焔月の刃が、狼の牙を受け止めた。
火花が散り、
「さあ、逃げて!」
と、紬が叫ぶ。
だが女の子は泣きながら首を横に振った。
「やだぁ……!」
「え?」
「私の、私のくまさんが……!」
女の子が狼の妖を指差すし、紬は視線を向けた。
狼の毛並みに、小さなストラップが引っ掛かっている。
リボンの付いたくまのストラップ。
その姿に、紬は目を見開いた。
透から貰った、リボンのくまのぬいぐるみに、どこか似ていた。
きっと、あの子にとっても大切な宝物なのだろう。
誰かに買ってもらった、大好きな人から貰った、かけがえのない思い出。
紬は優しく微笑んだ。
「私に任せて」
そして力を込めると、狼の牙を弾き返した。
「きゃっ!」
紬は女の子を抱き上げ、
「大丈夫だよ」
と、安心させるように微笑む。
「まずは安全な場所に行こう」
女の子は涙を浮かべながらも頷いた。
狼の妖に気を付けながら、《夜叉》の車まで辿り着くと、待機していた隊員が駆け寄ってくる。
「紬さん!」
「この子、お願いします!」
隊員は女の子を受け取ったが、女の子は不安そうに紬を見上げる。
「くまさん……」
紬は優しく頭を撫でた。
「大丈夫、大丈夫だから。必ず取り戻す」
隊員が女の子を車内へ案内する。
それを確認した紬は、ゆっくりと振り返った。
狼の妖が低い唸り声をあげながら、こちらへ向かって来る。
鋭い牙を剥き出しにし、血走った瞳で。
紬は焔月を握り直したが、胸の奥がざわつく。
玲の虚ろな瞳が脳裏を過った。
『……誰だ、お前は。』
あの言葉が離れない。
自分の事は、忘れられていた。
思い出しても、もらえなかった。
それでも、玲を諦めるつもりはない。
絶対に、諦めない。
「……早く倒して、玲さんを探さないと」
そして紬は、静かに目を閉じる。
狼の妖が地面を蹴り、凄まじい速度で紬と距離を詰める。
鋭い爪が紬へ振り下ろされたが、紬は動かない。
風が吹き、黒い髪が揺れる。
一本、また一本と、髪が赤く染まっていく。
まるで炎が燃え広がるように。
そして、空気が震えた。
圧倒的な覇気が解き放たれ、狼の妖の動きが止まる。
本能が理解した。
目の前の存在は危険だと。
轟音と共に放たれた覇気が、狼の妖を飲み込んだ。
「ガァァァッ!!」
狼の妖の巨体が吹き飛び、建物の壁へ叩き付けられ、コンクリートが砕け散った。
周囲の妖たちも一斉に後退する。
恐怖していた、圧倒的な力に。
紬はゆっくりと目を開く。
炎のように揺れる赤い髪に、焔月から熱が溢れ出す。
紬は狼の妖を真っ直ぐ見据えた。
「玲さんの所へ行かせて」
狼の妖が後ずさると、紬は焔月を構えた。
玲を取り戻すために、大切な人を迎えに行くために。
その戦いが、今始まる――。
その頃、ショッピングセンターでは、透は巨大な蜘蛛の妖と対峙していた。
避難は既に完了している。
残っているのは妖と《夜叉》だけ。
蜘蛛の妖が鋭い脚を振り下ろしたが、透は紙一重で躱す。
そして地面を蹴った。
銀色の軌跡が走ると、いつの間にか、蜘蛛の妖の首が滑り落ちた。
巨体が崩れ落ち、透は小さく息を吐いた。
その時、ふと噴水広場へ目が向く。
そこに立つ人影があった。
長い黒髪に、見慣れた隊服を着た女性。
透の瞳が大きく見開かれた。
「……!玲さん!」
間違えるはずがない。
ずっと探していた人だった。
だが玲の瞳は虚ろで、何も映していないような目をしている。
そして隣には、赫焉の右腕ーー宵が。
宵は透を見ると、愉快そうに笑った。
「……っ!」
透は駆け出したが、
「玲さん!!」
2人の足元から影が広がった。
「待って!」
透が一所懸命手を伸ばすが、届かない。
玲と宵は闇へ沈んでいき、最後に見えたのは、透を見ても何も反応しない玲の姿だった。
「玲さん……」
透はその場に立ち尽くした。
駅前では、巨大な大蛇の妖が地面を這い回っていた。
紅蓮は鋭い爪に焔を宿し、
「ようやく遠慮しなくて済むな」
地面を蹴った。
焔を纏った爪が閃き、大蛇の首が宙を舞った。
轟音と共に巨体が崩れ落ちる。
「……ふぅ」
紅蓮は髪をかき上げると、
「手こずらせやがって」
駅の入口に人影を見つける。
「……!」
長い黒髪に、《夜叉》の見慣れた隊服。
忘れるはずもない。
「玲!」
紅蓮が叫ぶと、玲は紅蓮を見た。
だが、玲は首を傾げたのだ。
まるで、知らない人を見るように。
そして興味を失ったように視線を逸らされ、紅蓮の胸が締め付けられる。
「おい……」
紅蓮は、玲の元へ走り出す。
しかし、玲の隣には何故か宵がいた。
宵は紅蓮を見ると、ゆっくりと微笑んだ。
それは、悪意に満ちた笑みだった。
玲と宵の足元から影が広がり、
「待て!!」
紅蓮が手を伸ばす。
だが、これも届かない。
2人は闇へ沈んでいき、最後まで玲は、紅蓮を見ようとしなかった。
そして消える寸前、宵はモノクルの奥の瞳を細めながら3人を嘲笑うかのような笑みを浮かべていた。




