第40話 貴方を想う気持ち
白夜と漆黒との戦いから一か月経ち、あれほど騒がしかった日々が嘘のように、街には穏やかな時間が流れていた。
赫焉側の動きも無く、《夜叉》も比較的落ち着いている。
そんな久しぶりの休日。
紬は駅前で透を待っていた。
「お待たせ」
小走りで駆け寄ると、透が柔らかく微笑む。
「おはよう、紬ちゃん」
「おはようございます!」
自然と笑顔になる。
それだけで今日が特別な日になる気がした。
休日の街は人で溢れている。
透は周囲を見渡し、当たり前のように紬の手を取った。
「こっち」
「えっ」
「はぐれたら大変だからね」
それだけ言って歩き出す。
紬の心臓が跳ねるけれど、その手を振り払う気にはなれない。
むしろ――嬉しかった。
映画館へ到着すると、紬は上映作品のポスターを見上げた。
「これ面白そうです!」
指差したのは恋愛映画だった。
透は一瞬だけ固まったが、紬は気付かない。
「これにします?」
「……うん」
こうして2人は恋愛映画を見ることになった。
売店ではポップコーン選びで紬が悩み始める。
「塩も好きなんですけど、キャラメルも好きで……チョコも気になるんです」
紬は真剣な顔だった。
透は少し考え、そして店員へ向き直った。
「全部ください」
「えっ!?」
紬が目を丸くする。
「先輩!?」
「?」
透は不思議そうな顔で、紬を見ていた。
「僕も全部気になるから、一緒に食べよう?」
あまりにも当然のような言い方に、紬は思わず吹き出してしまった。
上映が始まり、館内が暗くなる。
スクリーンだけが光を放ち、紬は夢中になって映画を見ていた。
そんな紬を、透は時折横目で見てしまう。
泣いていないか。
辛そうな顔をしていないか。
そんなことばかり気になった。
そして、肘掛けの上に置かれた紬の手。
左手には、自分が贈った指輪が光っている。
透は少しだけ目を細め、そっと手を重ねた。
紬の肩が小さく揺れたが、
「……先輩?」
「嫌だった?」
「ち、違います」
と、透は即答だった。
透は小さく笑い、そのまま二人は手を繋いだまま、映画を見続けた。
映画の後はショッピングになり、雑貨店の前で紬が立ち止まる。
「可愛い……」
視線の先には、赤いリボンを付けたくまのぬいぐるみ。
本当に嬉しそうな顔だった。
けれど値札を見ると、そっと棚へ戻す。
少しだけ名残惜しそうだった。
「先輩、お手洗い行ってきます」
「あそこのベンチで待ってるね」
紬が離れていくのを、透は見送った。
そして何故か、静かに来た道を引き返したのだ。
「お待たせしました」
戻ってきた紬へ、透は小さな紙袋を差し出した。
「?」
首を傾げながら中を見ると、
「えっ……!?」
思わず声を上げた。
中に入っていたのは、さっきのリボンが付いたくまのぬいぐるみだった。
「な、何で……!?」
透は少しだけ笑い、
「好きそうだったから」
「でも……!」
「欲しかったんじゃないの?」
「可愛いって思ってましたけど……」
何度も頷いた。
「プレゼント、って事でいい?」
紬は思わず笑ってしまった。
「先輩って、本当にずるいです」
透は首を傾げるだけだった。
その後、2人は人気のパンケーキ店へ入った。
窓際の席で注文したパンケーキを待っていると、運ばれてきたのを見て、紬の瞳が輝く。
「わぁ……!」
そんな姿を見ているだけで、透は自然と微笑んでいた。
その時、近くの席から小さな声が聞こえてくる。
「あの男の人かっこよくない?」
「分かる!」
「モデルさんみたい」
「彼女さんかな?」
「お似合いだよね」
紬の胸が小さく跳ねた。
(彼女……)
まだ、違う。
透から『覚悟しておいてね』と言われ、指輪は貰った。
キスもしたし、抱きしめられたこともある。
けれど、まだ恋人じゃない。
それなのに、
――お似合い。
その言葉だけは嬉しかった。
思わず透を見ると、優しくて、頼りになって、誰よりも自分を守ってくれる人。
(この気持ち……)
紬は段々、自分の気持ちが分かってきた気がした。
そんな時、透のスマートフォンが鳴った。
「あれ」
画面を見ると、
「隊員からだ」
透は席を立つ。
「紬ちゃん、ちょっとごめんね」
「はい」
「すぐ戻るから」
そう言って店の外へ出ていった。
紬は窓越しに透を見つめると、電話をしている横顔に、夕陽が照らされた姿を見ているだけで、胸が温かくなる。
(好き……だな)
自分でも驚いたが、でも否定は出来なかった。
透といると安心するし、楽しい。
もっと一緒にいたい。
隣で一緒に、笑ってほしい。
その気持ちはもう誤魔化せない。
きっと、これが恋なんだ。
これが、貴方を想う気持ちなんだと。
紬がずっと見詰めていると、外にいる透の表情が変わった。
穏やかな顔が消え、鋭い視線に。
あれは、隊長としての顔だ。
嫌な予感が胸を掠めた。
透は短く何かを返し、電話を切る。
そして足早に店へ戻ってきた。
「先輩?」
紬は思わず立ち上がると、透は席の前で立ち止まる。
その表情を見た瞬間、ただ事ではないと分かった。
「紬ちゃん。大変だ」
紬の胸がざわつく中、透は静かに告げた。
「……玲さんが居なくなった」
「え……?」
眠ったままの筈の玲が、居なくなった。
《夜叉》の治療室にいたはずの玲が、消えた。
「施設に戻ろう」
紬も頷いた。
胸騒ぎが止まらないまた、2人は急いで店を飛び出した。
紬と透がまだ、デートを楽しんでいた頃、《夜叉》施設の地下、医療区画では、静かな個室に規則正しいモニター音だけが響いていた。
ベッドの上では玲が眠り続けている。
胸元ーー核の位置には玲自身の刀が深く突き刺さっていた。
刀身を包む紅蓮の焔は、今日も赫焉の呪いを吸い取り続けている。
見回りに来た隊員はモニターを確認し、小さく息を吐いた。
今日も異常なし。
「……玲さん」
返事は無いが、それでも隊員は苦笑する。
「みんな待ってますよ」
透も、紬も、紅蓮も。
玲が帰って来るのを、誰も諦めていない。
その時突然、モニターが警報音を鳴らした。
「っ!?」
モニターの数値が急激に乱れ始め、眠ったままの玲の身体が震え始める。
「玲さん!?」
隊員が駆け寄ると、玲の刀が激しく震えた。
刀身を包んでいた紅い焔が揺らぐ。
「な……」
隊員の顔から血の気が引く。
あり得ない、ずっと安定していたはずだ。
紅蓮の焔が、少しずつ色を失っていく。
鮮やかな紅が消え、黒い炎が噴き上がった。
禍々しい炎は、憎悪そのもののような黒炎。
隊員は思わず後退る。
「なっ……!」
その時、眠っていた玲の唇が微かに動いた。
何かを呟いているが、聞き取れない。
だが確かに、何かを。
そして、閉ざされていた瞳が震えた。
ゆっくりと、本当にゆっくりと。
開こうとしていた――。




