第39話 「ただいま」
《夜叉》の車が施設へ到着した頃には、空はすっかり夜更けの色に染まっていた。
長い夜だったけれど、誰一人として疲れた顔はしていない。
それよりも、紬が無事に帰ってきたことに、皆が安堵していた。
車が止まるなり、施設の入口から女性隊員が駆け寄ってくる。
「紬ちゃん!」
ドアが開いた瞬間、紬は抱きしめられた。
「良かった……!」
本気で心配していたのだろう。
声が少し震えている。
「あんな上から落ちたって聞いて、生きた心地しなかったんだからね!」
「す、すみません……」
思わず謝ると、女性隊員は頬を膨らませた。
「紬ちゃんは悪くないの」
そして優しく肩を抱く。
「リーダーが助けてくれたとはいえ、一応精密検査しておこうね」
「はい」
紬が頷き、女性隊員に付いて行こうとすると、その後ろから、当然のように透が歩き出した。
女性隊員が振り返り、
「……リーダー?」
「何?」
と、透は不思議そうに首を傾げた。
「リーダーはダメです」
「?」
さらに首を傾げ、
「何で?」
「何でって……」
女性隊員は額を押さえた。
「女性用の検査室です」
「うん」
「だからリーダーはダメなんです!」
透は数秒考え、真顔で言った。
「でも心配だから」
すると、周囲から吹き出す声が漏れた。
「重症だな……」
「かなり重症ですね……」
「さっきからずっとあんな感じ」
隊員達のひそひそ声が飛び交うが、透は全く気にしていない。
本気で紬の心配しかしていないからだ。
その時、ぐいっと透の隊服が、引っ張られた。
「おい」
紅蓮だった。
呆れた顔をしている。
「過保護もいい加減にしとけよ」
「過保護じゃない」
「じゃあ保護者か?」
紅蓮は盛大にため息を吐き、女性隊員へ手を振る。
「紬の検査、よろしくなー」
「任せて」
「ほら行くぞ」
「でも――」
「来い」
有無を言わせない声だった。
透は名残惜しそうに紬を見ると、紬は小さく微笑んだ。
「大丈夫ですよ」
その言葉でようやく透は頷いた。
「……終わったら呼んでね」
「はい」
まるで子供を預ける親みたいだな、と隊員達は思ったが口には出さなかった。
笑いを堪えるのに必死だったからだ。
約一時間後、検査は全て終了した。
幸い異常は無しで、女性隊員達も胸を撫で下ろしていた。
紬が応接室の扉を開けると、
「紬ちゃん!」
透が勢いよく立ち上がり、そして次の瞬間には抱きしめられていた。
「わっ!?」
紬が目を丸くするしていると、透は肩へ額を押し付けたまま尋ねた。
「異常なかった?」
「はい」
「本当に?」
「大丈夫でしたよ?」
「痛いところは?」
「ありません」
「頭は痛くない?」
「大丈夫です」
「目眩は?」
「ありません」
横で聞いていた女性隊員が吹き出した。
「リーダー、問診始めないでください」
応接室に笑い声が広がる。
紅蓮はソファーに寝転びながらマカロンを齧っていた。
「こいつな」
ぽりぽりと音を立てながら呟く。
「ずっと部屋ん中ウロウロしてたんだぞ」
「え?」
「三回くらい検査室に来てましたね」
「入ってないから、大丈夫」
透が反論する。
「大丈夫、じゃありません」
紬は思わず笑ってしまう。
そんな紬を見て、透も少しだけ表情を緩めた。
そしてそっとソファーへ座らせる。
「無理して立たなくていいからね」
「はい」
すると透の視線がテーブルへ向いた。
そこには紅蓮が確保していたマカロンの皿が。
既にかなり減っている。
透は無言で皿を持ち上げると、紅蓮が嫌な予感を覚える。
「おい」
透はそのまま紬へ差し出した。
「マカロン食べる?」
「え?」
「甘い物好きだったよね」
「は、はい……」
「どうぞ」
急に紅蓮が立ち上がったと思うと、
「はあ!?」
大声を出して、透に攻め寄る。
「お前、今何した!?」
「何って?」
「そのマカロン!」
「うん」
「俺のだろ!?」
「違うよ」
透が真顔で答えると、隊員達が吹き出した。
紅蓮はテーブルを指差す。
「お前が食べていいって言ったんだろ!」
「言ったね」
「じゃあ何で取り上げるんだよ!」
「紬ちゃんが食べるかもしれないから」
「だから何で俺の皿から取るんだよ!」
応接室は笑いに包まれ、女性隊員は紅蓮の肩を叩く。
「もういいじゃない」
「良くねえ」
「マカロンならまだあるわよ」
「そういう問題じゃねえんだよな……」
女性隊員は何度も頷く。
そして透を見て、紬を見て、最後に紅蓮を見た。
「うん」
「重症だね」
「かなり重症」
隊員達も口々に言うが、透だけが意味が分からなかった。
「?」
本当に分からないらしい。
紬は受け取ったマカロンを一つ摘まみ、口へ運んだ。
甘い香りが広がり、何だか安心する。
「美味しいです」
その言葉を聞いた瞬間、透は心底安心したように微笑んだ。
「良かった」
紅蓮は天井を見上げ、盛大なため息を付く。
「あーもう。白夜達よりお前の方が厄介だわ」
再び笑いが起こり、紬もつられて笑った。
透も少しだけ笑った。
戦いは終わったが、もちろん怖いこともあったし、苦しいこともあった。
けれど今はこうして皆が笑っている。
紬は応接室を見渡した。
優しい隊員達に、相棒の紅蓮。
そして隣にいる、大切な人。
温かい場所。
帰って来られた場所。
胸の奥がじんわりと温かくなる。
だから紬は心の中で、そっと呟いた。
――ただいま。
紬達が楽しくしている頃、闇に包まれた玉座の間では、赫焉は玉座へ腰掛けたまま、白夜と漆黒の戦いを静かに見届けていた。
敗北ーーそれだけだった。
やがて、重いものを引き摺る音が響く。
玉座の前で宵が片膝をついた。
その手には白夜と漆黒の髪が握られている。
2人は床へ乱暴に転がされた。
「赫焉様」
宵が頭を下げると、
「このモノ達は、どういたしますか?」
赫焉はゆっくりと立ち上がった。
静かな足音が響き、白夜と漆黒の前で立ち止まる。
すると、2人の頭を掴み上げた。
「がっ……!」
「っ……!」
赫焉の指へ力が込められ、ミシミシと骨が軋む音が響いた。
「お前達は何故、戻ってきたんだ?」
白夜の顔が青ざめ、漆黒も歯を食いしばっている。
赫焉は笑っていたが、目は鋭く細められていた。
「紅蓮の首はどうした?」
さらに力が強くなり、2人の顔が苦痛に歪んだ。
しかし赫焉は興味を失ったように呟く。
「使えない駒に価値は無い」
そして、白夜と漆黒の額を互いに激しくぶつけた。
血が飛び散り、2人の身体から力が抜けると、ぶらりと腕が垂れ下がった。
赫焉はそのまま手を離し、2人は宵の足元へ転がった。
「処分しておけ」
「……かしこまりました」
宵は静かに頭を下げる。
赫焉はゆっくりと玉座へ戻り、深く腰を下ろした。
赤い瞳が細められ、赫焉の口元がニタリと歪んだ。
「さあ、玲。そろそろ起きる時間だ」
赤い瞳が妖しく輝き、
「我を喜ばせてくれ」
玉座の間に、不気味な笑みだけが浮かんでいた。




