第34話 白夜の鬼ごっこ
夜の廃病院は、不気味なほど静かだった。
ひび割れた外壁に、割れた窓ガラス。
人気のない暗い建物は、まるで巨大な亡霊みたいにそこへ立っている。
風が吹くたび、どこかで金属が軋む音が響いた。
《夜叉》の専用車両から降りた紬は、思わず建物を見上げる。
「……ちょっと不気味……」
小さく呟く。
ここは有名な心霊スポットらしい。
昼間ですら近寄る人が少ない場所だと、移動中に隊員が話していた。
まして今は夜。
暗闇に沈む廃病院は、普通の廃墟以上の気味悪さを放っていた。
隣で紅蓮が鼻を鳴らし、
「まだまだお子ちゃまだな」
「ち、違うし!」
紬がすぐに反論する。
「怖いとかじゃなくて、雰囲気が嫌なの!」
「同じだろ」
紅蓮は面白そうに笑い、紬はむっと頬を膨らませる。
そんなやり取りをしながらも、二人の視線は自然と廃病院へ向いていた。
笑ってはいるけれど、気は抜いていない。
ここに双子の片割れがいる。
そう思うだけで、空気が張り詰めていく。
紬は左手へ視線を落とした。
透がくれた、薬指の銀色の指輪。
指輪は夜の光を受けて、小さく輝いている。
不思議と、心が落ち着いた。
透の言葉を思い出し、
『覚悟しておいて』
紬は小さく息を吐いた。
「……絶対、帰らなきゃ」
その呟きを、紅蓮は聞き逃さなかった。
けれど何も言わず、代わりに軽く紬の肩へ手を置く。
「行くぞ、紬」
「うん!」
二人はゆっくりと廃病院へ足を踏み入れた。
古びた扉が、不快な音を立てて開く。
途端に、冷たい空気が肌へまとわりついた。
懐中電灯の光だけが、長い廊下を照らしている。
壁には黒い染みがあり、天井には垂れ下がったコード。
どこかから、水滴の落ちる音が響いていた。
紬は思わず紅蓮へ近づく。
「……やっぱりちょっと怖いかも」
「はっ」
紅蓮が小さく笑う。
「透なら今頃、お前が怖がってないか心配で死にそうだな」
「っ……!」
紬の顔が一気に熱くなる。
「そ、そんな事ないって!」
「どうだか」
即答だった。
紅蓮は呆れたように肩を竦める。
「お前ら、もう少し自分の気持ちに正直になれって」
「うぅ……」
紬が言い返せず視線を逸らした、その時だった。
廊下の奥で、何かが鳴った。
二人の空気が変わり、紅蓮の目が鋭く細まった。
暗闇の奥から、
「ふふっ」
幼い笑い声が響いた。
懐中電灯の光が届かない場所から、小さな影がゆっくり姿を現す。
異様なほど白い髪に、白い服。
人形みたいに整った顔。
けれどその口元だけが、酷く歪んでいた。
双子の片割れは、にたりと笑う。
「やっほー」
まるで友達に話しかけるみたいに、軽い声だった。
けれど瞳には、どろりとした悪意が滲んでいる。
双子の片割れは、紬と紅蓮を順番に見て、そして心底嫌そうに顔を歪める。
「幸せそうで反吐が出そうだよ」
双子の片割れは、くすくす笑った。
「人間ちゃんに、赫焉様の失敗作くん」
その言葉に、紅蓮の目が静かに細まる。
紬も表情を引き締めた。
双子の片割れは、まるで観察するみたいに二人を眺めている。
特に、紬の左手薬指へ視線が止まった。
銀の指輪を見た瞬間、双子の片割れの笑みがさらに歪む。
「うわぁ、ほんと気持ち悪い」
ぞわり、と嫌な妖気が広がった。
「傷の舐め合い?それとも愛の誓い?」
紬は小さく眉を寄せるが、逸らさない。
双子の片割れはそんな紬を見て、つまらなそうに口を尖らせた。
「前はもっと壊れそうな顔してたのに。透って子に愛されて、強くなっちゃった?」
その瞬間、紅蓮の妖気がぴたりと変わった。
空気が重く沈み、赤い瞳が冷たく、双子の片割れを射抜いていた。
「……随分喋るじゃねぇか」
珍しく、怒りを押し殺した声だった。
双子の片割れは、紅蓮から溢れる妖気を受けてもなお、楽しそうに笑っていた。
まるで本気で怒られているとも思っていないみたいに。
「失敗作が、なに人間ごときに熱くなってんの?」
廃病院の暗闇へ、耳障りな笑い声が響く。
「あー、ほんと笑える」
双子の片割れは口元を歪めた。
その目は、紅蓮を見ていない。
最初から興味がないみたいに。
視線はずっと、観察するように、舐め回すように、紬へ向いていた。
紬は不快になり、小さく眉を寄せる。
双子の片割れは、そんな反応すら面白そうに笑った。
「……ねえ、人間ちゃん。僕、白夜っていうの」
双子の片割れーー白夜は、にこりと笑う。
無邪気な子供みたいな笑顔なのに、酷く不気味だった。
「人間ちゃんの名前、教えて?」
まるで紅蓮など存在しないみたいに、白夜の世界には、もう紬しか映っていなかった。
紅蓮の眉がぴくりと動き、空気がさらに熱を帯びる。
「……おい」
警告みたいな声だった。
白夜は、ゆっくりと紅蓮へ視線を向けたと思うと、空気の温度が、すっと下がる。
先程までの無邪気な笑みが消えていた。
「……失敗作は黙ってなよ」
冷たい声だった。
白夜の瞳が、ぞっとするほど冷えている。
「クソガキが」
その言葉にも白夜は笑わず、ただ煩わしそうに眉を寄せる。
そしてゆっくり、その場へしゃがみ込んだ。
白い指先が、冷たい床へ触れる。
すると、黒い影が床から滲み出し、紬が目を見開く。
影はまるで生き物みたいに蠢きながら、徐々に形を変えていく。
腕、脚、顔が現れ、人型へ形を変えていく。
そして完成した姿を見た瞬間、紬は息を呑んだ。
「……え……」
それは、白夜そっくりだった。
まるで鏡写し。
白夜はくすりと笑い、
「失敗作は、これで遊んでて」
黒い影の白夜が、一気に紅蓮へ飛び掛かった。
「っ!」
轟音が響き、紅蓮が咄嗟に炎が纏う刀で受け止める。
火花が散り、床が砕けた。
けれど影の白夜は止まらない。
獣みたいな速度で、次々と攻撃を叩き込んでいく。
「チッ……!」
紅蓮は大きく後方へ飛び退いた。
その隙に、白夜は再び紬へ視線を戻す。
また、白夜は嬉しそうに笑った。
「さてと。やっと2人きりになれたね、人間ちゃん」
紅蓮と影の白夜が激しくぶつかり合う音が、廃病院へ響き渡る。
床が砕け、火花が散る。
2人の妖気が渦巻く。
その激戦を横目に、紬は静かに息を整えた。
怖くない訳じゃない。
相手から漂う気配は、不気味で、冷たくて、気持ち悪い。
けれど、逃げるつもりはなかった。
紬はそっと右手を前へ出し、意識を集中する。
熱が手先に集まって行き、血がざわめく感覚を感じる。
赤黒い光が空間へ滲み出し、それは徐々に形を変え、一振りの刀となって現れる。
血の宿る刀ー焔月を、紬はその柄を強く握り締めた。
透と紅蓮、皆で付けた、皆の想いが乗った焔月。
白夜がぱちぱちと、わざとらしく拍手する。
「わあ、凄い!」
楽しそうだが、瞳はまるで、獲物を観察するみたいに冷たい。
白夜は小さく首を傾げた。
「失敗作の血が流れてる刀?」
余裕そうに、くすくす笑っている。
「人間ちゃんって、思ってたより強かったりする?」
紬は刀を構えたまま、白夜を真っ直ぐ見据える。
「……どうだろ」
震えそうになる心を押さえ込む。
透ならきっと、迷わない。
そう思ったから、紬も前を向く。
白夜はそんな紬を見て、少しだけ目を細めた。
「へぇ」
何だか、嬉しそうだった。
「やっぱり、壊しがいありそう」
白夜は紬の焔月を見つめながら、楽しそうに目を細めていた。
まるで新しい玩具を見つけた子供みたいに。
「じゃあさ」
白夜がにっこり笑い、
「僕と鬼ごっこしない?」
紬が眉を寄せる。
白夜はくすくす笑いながら、両手を広げた。
「人間ちゃんが鬼ね〜」
次の瞬間、白夜の身体が、ゆらりと揺れる。
そしてそのまま、足元の影へ沈み込んでいった。
「っ!?」
紬が目を見開く。
影は水面みたいに波打ち、すぐに静かになる。
消えた。
気配が、どこにもない。
廃病院の空気だけが、不気味な静寂を残している。
けれど紬は慌てなかった。
隠れたなら、探せばいい。
紬は強く焔月の柄を握る。
恐怖を押し込めるみたいに。
『この病院の何処かにいるよ〜』
どこからともなく、白夜の声が響く。
上か、下か。
前か、後ろか。
全く分からない。
まるで病院全体が喋っているみたいだった。
『見つけられるかなぁ?』
紬は小さく息を吐き、そして後ろで戦っている紅蓮を見る。
影の白夜と激しく斬り結ぶ紅蓮は、ちらりと紬へ視線を向けた。
「紅蓮!私、行ってくる!」
その言葉に、紅蓮はニヤリと笑った。
「迷子になるなよ、お子ちゃま」
「紅蓮はそこで待っててよね!」
紬はすぐに言い返す。
けれど次の瞬間には、もう表情を引き締めていた。
白い隊服を翻しながら、暗い病院の廊下を走り出す。
懐中電灯の光が、暗闇を切り裂いた。




