第25話 今度は、私が
透が連れて行かれてから、一ヶ月が経った。
季節は少しだけ進み、街には初夏の風が吹き始めている。
けれど紬の時間だけは、あの日で止まったままだった。
学校へ行き、授業を受ける。
友達といつも通り話す。
そして、家へ帰る。
毎日同じ事を繰り返しているのに、何も頭へ入ってこない。
気付けばスマホを見て、通知を待っている。
透からの連絡も、玲からの連絡も何一つ来ない。
正直、生きているのかさえ、分からない。
「……透先輩」
あの日の光景が、何度も頭へ浮かぶ。
溢れすぎた血に、透の苦しそうな呼吸。
自分を庇う背中に、何も出来なかった。
「私がいたから……」
紬は強く唇を噛む。
夜も眠れず、目を閉じると、透が倒れる瞬間ばかり夢に出てくる。
また透が傷付くのが。
自分のせいで壊れていくのが。
自問自答ばかりして、何も出来ないまま、一ヶ月が過ぎた。
夜風を浴びる為に、紬は毎日のように人気のない公園で、ブランコへ座り、ぼんやり地面を見つめていた。
「……いつまでそうしている」
紬が顔を上げると、街灯の下には紅蓮が立っていた。
紬は少し目を伏せると、
「……ごめんなさい」
「謝るのは、俺にか?」
紅蓮はゆっくり近付いてくる。
「透は戻らないかも知れない」
その言葉だけで、胸が締め付けられる。
「《夜叉》が隠している」
分かっているけれど、でも認めたくなかった。
紅蓮は紬を見下ろす。
「お前は、このままでいいのか」
紬は何も言えず、俯いたまま拳を握る。
「……私のせいで」
また、それを口にした瞬間だった。
「いつまでそうしている!!」
紬の身体がびくりと震え、紅蓮の怒声が夜へ響いた。
「あいつは、お前を守るために壊れた!!なのにお前は、泣いているだけか!」
紬の目から涙が零れるが、紅蓮は全部、正しかった。
透はずっと守ってくれた。
怖かったはず、傷付いていたのに。
それでも、自分の前へ立ってくれた。
なのに自分は…。
紅蓮は険しい顔のまま続ける。
「透は、お前を守る事を選んだ。なら、お前はどうする」
涙が止まらないけれど、その奥で何かが変わり始めていた。
逃げたくない。
このまま終わりたくない。
透を失いたくない。
紬はゆっくり涙を拭った。
「……助けたい」
紬は顔を上げると、泣き腫らした目でも、その瞳には確かな意思が宿っていた。
「今度は、私が透先輩を守りたい」
「……ようやくスタートラインに立ったか」
そう呟くと背を向け、
「来い」
紬が目を見開く。
「《夜叉》へ乗り込むぞ」
その言葉に、紬は強く頷いた。
そして二人は、夜の街を歩き出す。
透を取り戻すために。
身体が鉛みたいに動かない。
「……っ」
透がゆっくり目を開けると、白い天井に見慣れない照明が垂れていて、消毒液の匂いが鼻を刺激する。
ぼやけた視界のまま身体を起こそうとして、鋭い痛みが走った。
「ぁ……ッ」
胸が痛み、腹部も腕も、全身が軋んでいた。
呼吸を整えながら、透は周囲を見渡す。
綺麗な部屋だった。
いい感じの広さもある。
柔らかそうなソファに、大きなテーブル。
簡易キッチンも備え付けられている。
一見すれば高級ホテルの一室。
だが、透の表情が徐々に強張っていく。
この部屋には、窓がない。
扉は電子ロック式で、こちらからは開かない。
そして、天井の隅には小さな監視カメラが、透を見ていた。
「……は」
透はこの部屋を知っている。
《夜叉》時代、極秘任務で一度だけ資料を見た事がある。
組織にとって不都合な人間を、外部と遮断する秘密施設。
逃げ場のない監禁部屋だった。
「……ふざけんな」
その時、
『おはよう、透』
突然天井のスピーカーから声が響く。
「……リーダー」
冷たい声だけが、無機質な部屋へ静かに響く。
『身体の調子はどうかな?君は中級妖と戦闘し、重症を負った。だから、リーダーとして君を治療させてもらったよ』
「……そんな事、頼んでない。僕は、此処を辞めたんだ」
怒りを押し殺した声だった。
だがスピーカーの向こうの玲は、淡々としている。
『いいや。君は《夜叉》の人間だ』
透の目が見開かれる。
『辞表なんて、ただの紙切れに過ぎない。それを上に出すかは、私が決める事だ』
透の呼吸が乱れ、頭が熱くなる。
「っ、ふざけるな……!!」
透が立ち上がろうとした瞬間、傷が激しく痛んだ。
「ぁ……っ!」
身体が崩れそうになるが、それでも透は壁へ手をつき、睨み上げた。
「僕を……閉じ込める気か」
『……まだ疲れているようだね。ゆっくり休むといい。…後で食事を運ばせるよ』
「待てッ!!」
透が叫ぶが、スピーカーから玲の声が途切れた。
透は荒い呼吸のまま扉へ向かい、ドアノブを掴む。
やっぱり開かない。
「っ……!」
電子ロックが反応しないという事は、逃げられない。
透はゆっくり顔を上げ、監視カメラの赤いランプが、静かに光っていた。




